雨は途切れることなく街を覆い、通りは水に沈みかけていた。電柱の半分はすでに水面に隠れ、看板の文字は滲んで読めなくなっている。灰色の空から落ちる雨粒は、まるで世界を少しずつ消していくようだった。
なぎさはそんな街を歩きながら、目を輝かせていた。 「ねぇねぇ、りんちゃん!絶対どこかに秘密の場所があると思うんだよー!雨でも安心できる、特別な場所!」 彼女は水たまりを跳ねながら進み、沈みかけた建物を覗き込む。
りんはその後ろ姿を静かに見守り、フードを深くかぶって雨を避ける。 「……危ない場所ばかりだ」 「でも、見つけたら楽しいよー!秘密基地みたいな場所!」 なぎさは笑顔で振り返り、りんの冷静な声を軽やかに受け流す。
通りの先には古い建物があった。壁はひび割れ、窓ガラスは割れている。けれど、屋根の一部はまだしっかり残っていた。 「わー!あそこ、登れそうだよー!」 「……滑るぞ」 「だいじょーぶだよー!」 なぎさは勢いよく階段を駆け上がり、りんはため息をつきながら後を追う。
屋上に出ると、雨音が一層強く響いた。街全体を見渡せるその場所は、沈みゆく世界の中で唯一開けた空間だった。 「わぁ……すごいねぇ!街がぜーんぶ見えるよー!」 なぎさは両手を広げ、雨に濡れながら声を上げる。
りんは静かに隣に立ち、沈みゆく街を見下ろす。 「……秘密の場所、か」 「そうだよー!ここなら特別だよー!」 なぎさの笑顔は雨に負けないほど明るく、りんの心に小さな灯をともしていた。
屋上に出た二人は、しばらく雨音に耳を澄ませていた。屋根を叩く水のリズムは絶え間なく続き、まるで世界がひとつの楽器になったようだった。
「わー……ここ、ほんとに秘密基地みたいだねぇ!」 なぎさは濡れた髪を手で払いながら、屋上の隅に置かれた古い木箱を覗き込む。中には錆びたランタンや古い本が詰まっていた。 「見て見て!ランタンだよー!火をつけたら、夜でもここで過ごせるねぇ!」 「……油は残ってないだろう」 「でも、置いてあるだけでワクワクするんだよー!」
りんは木箱の隣に腰を下ろし、静かに街を見下ろす。沈みゆく通りには水面が広がり、街灯の光が揺れていた。 「……全部、沈むな」 「うん……でも、ここから見るとちょっと綺麗だよー!水に映る光が星みたい!」 なぎさはスケッチブックを取り出し、鉛筆を走らせる。雨粒が紙に落ちて滲むが、彼女は気にせず描き続ける。
 りんはその姿を横目で見ながら、心の奥で小さな安堵を覚える。無邪気に絵を描くなぎさの姿は、この終末の世界に抗う小さな希望だった。 「……お前は、強いな」 「えへへー!褒められたぁ!」 なぎさは笑顔で鉛筆を振り、りんは小さく目を細める。
屋上の片隅には古い傘が立てかけられていた。布は破れているが、骨組みはまだ残っている。なぎさはそれを広げてみせる。 「じゃーん!これも秘密基地の道具だよー!」 「……役には立たない」 「でも、雰囲気は大事なんだよー!」
雨音に包まれた屋上は、二人だけの特別な場所になっていた。沈みゆく街を見渡しながら、彼女たちは確かに「秘密」を共有していた。
屋上の隅に立てかけていた古い傘が、突然の強い風に煽られた。 「わわっ!傘が飛んじゃうー!」 なぎさは慌てて追いかけるが、濡れた屋根で足を滑らせそうになる。
りんはすぐに手を伸ばし、なぎさの腕を掴んだ。 「……危ない」 短い言葉と冷静な動作。なぎさは目を丸くしてから、すぐに笑顔を浮かべる。 「ありがとー!りんちゃん、やっぱり頼りになるねぇ!」
傘は屋根の端に引っかかっていた。二人は協力して拾い上げる。布は破れていたが、骨組みはまだしっかりしていた。 「じゃーん!秘密基地の守り神だよー!」 「……ただの壊れた傘だ」 「でも、ここに置いておけば雰囲気出るんだよー!」 なぎさは嬉しそうに傘を屋上の隅に立て直す。
その時、スケッチブックのページが風に煽られ、屋根の上を滑っていった。 「きゃー!絵が飛んじゃうー!」 なぎさは必死に追いかけるが、紙は雨に濡れて重くなり、屋根の端で止まった。 りんは素早く拾い上げ、濡れたページをなぎさに渡す。 「……ほら」 「ありがとー!りんちゃん、ナイスキャッチ!」
二人は雨に濡れながら笑い合う。小さなトラブルも、互いに支え合えば乗り越えられる。 その実感が、二人の間に確かな絆を育てていた。
屋上の片隅で、古いランタンが雨に濡れて光を失っていた。けれど、二人の笑顔はその代わりに屋上を照らしていた。
雨は途切れることなく屋上を叩き続けていた。けれど、その音は不思議と心を落ち着ける旋律になっていた。なぎさは濡れたスケッチブックを胸に抱え、りんの隣で空を見上げる。 「ねぇねぇ、雨ってずっと降ってるのに……こうしてると、ちょっと優しい音に聞こえるねぇ」 「……そうだな。静かだ」 りんの短い言葉に、なぎさはにっこり笑う。
二人は屋上の隅に腰を下ろし、沈みゆく街を見渡した。水面に揺れる街灯の光は、まるで星のように瞬いている。 「りんちゃんってさぁ、冷静で頼りになるよねぇ!あたしがドジしても、すぐ助けてくれるし!」 「……お前が騒がしいだけだ」 「ふふっ、でもそれでバランス取れてるんだよー!」 なぎさの言葉に、りんはわずかに口元を緩めた。
屋上の片隅には壊れた傘と古いランタンが並んでいた。役には立たないけれど、二人にとっては「秘密基地の証」だった。雨音に包まれながら、その小さな空間は確かに特別な場所になっていた。
遠くで汽笛が響いた。週末に走る安楽死列車の音。 それは世界の終わりを告げる合図であり、同時に少女たちの旅が次の舞台へ進む予兆でもあった。
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