◀第33章:結界の外側で、世界は声を失いかけていた
▶第37章:「神童」の隣に立つために — 盾と剣の覚醒
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第35章:すれ違いの真実、夜の港で僕らは言葉を失う
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港町の夜は、昼とはまったく違う表情を見せる。 潮風はひんやりとして、灯台の光がゆっくりと回転し、波の音が静かに響いていた。 見晴らし台からは、港の灯りが宝石みたいに散らばって見える。
――ここに来るのは、二度目だ。 海が黄金色に輝く夕暮れの下、アイリスと大切な「約束」を交わしたあの日。
あのときの僕は、もっと素直で、もっと無防備だった気がする。 なのに今は――胸の鼓動が、あのときよりずっと騒がしい。 未来の音どころか、不協和音に近い。
「アリア、ここ……やっぱり綺麗だね」 隣でアイリスが微笑む。 夜風に揺れる金色の髪が、灯りを反射してふわりと光った。
……反則だろ、それ。
「う、うん。まあ……その、たまにはこういうのもいいかなって」 声が裏返った。 僕は無意識に、手すりを“とん、とん”と指先で叩いていた。
呼吸のように自然な癖。 でも今日は、そのリズムが妙に速い。
「ふふっ、アリアって、こういう場所好きなんだ?」 「す、好きっていうか……嫌いじゃないというか……」 語彙力が迷子だ。
アイリスは僕の反応が面白いのか、くすくす笑っている。 その笑顔を見るだけで胸がざわつく。 戦闘より緊張するってどういうことだ。
「アリア、今日……誘ってくれてありがとう」 「えっ、あ、うん。別に……その……」 なんでそんな素直に言うの。 心臓がもたない。
距離が近い。 いや、近すぎる。 あと十センチで肩が触れる。
僕はそっと半歩だけ離れた。 その瞬間、アイリスがほんの少しだけ寂しそうに目を伏せた。
「……アリア、もしかして嫌だった?」 「ち、違う! 違うよ! ただ、その……」 近いと、落ち着かないだけで。
でもそんなこと言えるわけがない。
僕は太ももの横を“とん、とん”と叩いた。 無意識の癖が、動揺を隠しきれていない。
アイリスがちらりと僕の指先を見て、 「……アリア、緊張してるの?」 と小さく笑った。
――やめてくれ。 その笑顔が一番、心臓に悪い。
夜の港町は静かで、波の音だけが響いていた。 その静けさが、逆に胸の鼓動を強調する。
すれ違いの予感が、胸の奥で小さく疼いた。
見晴らし台の手すりに寄りかかりながら、アイリスは港の光を眺めていた。 その横顔は、戦場で見せる凛とした表情とは違って、どこか柔らかい。
「アリア、今日……なんだか変だよ?」 アイリスが首をかしげる。
「へ、変って……別に、変じゃないよ」 僕は慌てて否定したが、指先は“とん、とん”と手すりを叩いていた。 完全に動揺している証拠だ。
「ほら、また叩いてる」 「えっ……あ、これは……その……」 「緊張してるときの癖でしょ?」 アイリスはくすっと笑う。
――やめてくれ。 その笑顔が一番、心臓に悪い。
「アリア、私といると……緊張するの?」 「っ……!」 直球すぎる。
「そ、そんなこと……ない、と思う……たぶん……」 語尾が迷子になっていく。
「ふふっ、なんで“たぶん”なの?」 「いや、その……」 僕は視線を逸らす。 港の灯りが滲んで見えるのは湿気のせいだ。 決して、動揺しているせいじゃない。
「アリアって、戦闘のときはすごく頼もしいのに……こういうときは、すごく可愛いよね」 「かっ……!?」 心臓が跳ねた。
アイリスは悪気なく言っている。 だからこそ、余計に刺さる。
「か、可愛いって……その評価は……僕の戦術的有用性や、魔力波形の安定性と……著しく乖離してるというか……!」 口から勝手に理論が飛び出した。
「えっ、乖離?」 「そ、そうだよ! “可愛い”は戦闘評価項目に存在しないし、僕の役割は前衛魔術師であって……その……可愛いは……非合理的で……!」 自分でも何を言っているのか分からない。
アイリスはぽかんとしたあと、ふわっと笑った。
「アリアって……ほんと、アリアだね」 「ど、どういう意味!?」 「ううん、いい意味だよ」
その笑顔は、どこか安心したようにも見えた。 ――嫌われてないって、分かったからだろうか。
「アリアって、私のこと……どう思ってるの?」 「えっ」 急に核心を突かれ、呼吸が止まる。
「だってね、最近……アリア、ちょっと距離を取るようになった気がして」 「そ、そんなこと……」 ある。 めちゃくちゃある。
だって、近いと心臓が壊れる。
「私、嫌われちゃったのかなって……少しだけ思った」 アイリスが小さく呟く。
「ち、違う! 嫌いなんて絶対ない!」 僕は思わず声を上げた。
アイリスが驚いたように目を瞬く。 そして――ほんの少しだけ、嬉しそうに微笑んだ。
「そっか……よかった」
その表情に、胸がきゅっと締めつけられる。
そのとき――
「おーい、二人ともー! なんか距離感おかしくないかー!?」 下の階段からマークの声が響いた。
「マーク、空気読め」 ナギの冷たい声が続く。
「いや、読んだ上で言ってるんだが!?」 「読んだなら黙れ」 「ひどくない!?」
リンネがひそひそ声で言う。 「ねえナギ、これ……完全に“すれ違いフラグ”じゃない?」 「ええ。アリアが逃げて、アイリスが追う構図ね」 「青春だねぇ……」 「黙りなさい」
……全部聞こえてるんだけど。
僕は顔を覆いたくなった。
アイリスはというと、頬を赤くしながらも、 さっきよりずっと柔らかい笑顔を浮かべていた。
――どうしてそんな顔をするんだよ。
胸の奥が、またざわついた。
港の灯りが揺れて見えるのは、夜風のせいじゃない。 胸の奥がざわついて、視界まで落ち着かない。
アイリスは手すりに寄りかかりながら、僕の方をそっと見つめていた。 その瞳は、戦場で見せる鋭さとは違う。 柔らかくて、温かくて――近づくと危険だ。
「アリア、さっきの……本気で言ってくれたんだよね?」 「えっ、ど、どれ……?」 僕は無意識に太ももを“とん、とん”と叩いていた。
「“嫌いなんて絶対ない”ってやつ」 「っ……!」 その言葉を繰り返すのは反則だ。
「う、うん……あれは……本気、だけど……」 声が震える。 戦闘では震えないのに、なんでこんなときだけ。
「よかった……」 アイリスは胸に手を当て、ほっと息をついた。
――その表情が、また心臓に悪い。
「アリアって、ほんと不器用だよね」 「う……」 否定できない。
「でも……そういうところ、好きだよ」 「っっ……!」 心臓が跳ねた。 魔力制御装置より正確に跳ねた。
「す、好きって……その……意味が……」 「え?」 「いや、その……“好き”にも種類があるというか……統計的に分類すると……」 僕は完全にパニックだった。
「アリア、落ち着いて?」 アイリスがそっと僕の手に触れようとした。
――その瞬間。
僕は反射的に半歩下がってしまった。
「あ……」 アイリスの手が空を切る。
しまった。 また距離を取ってしまった。
「ご、ごめん! 違うんだ、これは……!」 僕は慌てて手すりを“とん、とん、とん”と叩く。 癖が完全に暴走している。
「アリア……私、そんなに怖い?」 「ち、違う! 怖くない! むしろ……逆で……」 逆ってなんだ。 自分で言っておいて意味が分からない。
「逆?」 アイリスが首をかしげる。
「その……近いと……心臓が……落ち着かなくて……」 言った瞬間、顔が熱くなる。
アイリスは一瞬ぽかんとしたあと―― ふわっと笑った。
「そっか……アリアも、そうなんだ」 「え……?」 「私もね、アリアが近いと……なんか胸がぎゅってなるの」 「っ……!」 それは、反則だろ。
僕は完全に固まった。 魔獣の咆哮でも動けるのに、アイリスの言葉ひとつで硬直するなんて。
「だからね……アリアが距離を取ると、ちょっとだけ寂しいの」 アイリスは夜風に揺れながら、静かに言った。
胸が痛い。 でも、嫌な痛みじゃない。
――僕は、どうしたいんだろう。
守りたい。 でも、近づくのが怖い。 でも、離れたくない。
矛盾だらけの感情が胸の奥で渦を巻く。
そのとき、階段の下から小声が聞こえた。
「……ナギ、これもう告白未遂じゃない?」 「未遂どころか、アリアが自爆してるだけね」 「青春だねぇ……」 「黙りなさい」
……全部聞こえてるんだけど。
僕は顔を覆いたくなった。
でも、アイリスは―― さっきより少しだけ、僕に近づいていた。
夜風が少し強くなり、港の灯りが揺れた。 アイリスは僕のすぐ隣に立っている。 距離は――さっきより近い。 胸の鼓動が、魔力制御装置の警告音みたいにうるさい。
さっきの言葉が、まだ胸の奥で反響していた。
――「アリアも、そうなんだ」。
アイリスも、僕が近いと胸がぎゅっとなる。 その一言が、頭の中で何度もループしている。
戦闘中の魔法理論なら即座に整理できるのに、 恋愛感情だけはどうしても整頓できない。
「アリア……さっきの、嬉しかったよ」 アイリスがそっと言った。
「え……?」 僕は無意識に太ももを“とん、とん”と叩いていた。 癖が止まらない。
「アリアが……嫌いじゃないって言ってくれたこと。 それだけで、今日ここに来た意味があったなって」
アイリスは夜風に揺れながら、少し照れたように笑った。 その笑顔は、戦場のどんな魔獣よりも僕の心を揺らす。
――どうしてそんな顔をするんだよ。
胸の奥が、またざわつく。 でも、さっきより温かい。
そのとき、階段の下からひそひそ声が聞こえた。
「……ナギ、あれもう“すれ違い”じゃなくて“進展直前”じゃない?」 「ええ。アリアが気づけば一歩進むのに、気づかないから停滞してるのよ」 「青春だねぇ……」 「黙りなさい」
……全部聞こえてるんだけど。
でも、さっきまでのような恥ずかしさより、 今はむしろ――背中を押されている気がした。
「アリア」 アイリスがそっと僕の袖をつまんだ。
その指先は、ほんの少し震えていた。
「逃げないでほしいな。 ……私、アリアとちゃんと話したいから」
胸がきゅっと締めつけられる。 逃げたくない。 でも、近づくのが怖い。 でも、離れたくない。
矛盾だらけの感情が、夜風の中で静かに揺れていた。
僕は小さく息を吸い、指先を“とん”と叩いた。 その一音が、揺れる心を少しだけ整えてくれる。
「……うん。逃げないよ」
その言葉に、アイリスはほっと微笑んだ。
その笑顔が、夜景よりも眩しかった。
港町の夜は、ゆっくりと深まっていく。 灯台の光が静かに回り、波の音が一定のリズムで耳に届く。 さっきまで胸の中で暴れていた感情が、少しずつ落ち着いていくのを感じた。
アイリスは僕の隣で、袖をつまんだまま離さなかった。 その指先は、もう震えていない。
「アリア……今日は、来てくれて本当に嬉しかった」 アイリスがそっと言う。
“来てくれたこと”―― それは、ただ待ち合わせに来たという意味じゃない。 彼女の不安に、僕が向き合ったこと。 あの日の「止まりそうな音」を、僕が聞き逃さなかったこと。 その全部を含んだ言葉だと、胸の奥で分かった。
「僕も……その……来てよかった、と思う」 言葉にすると、胸の奥がくすぐったくなる。
「ねえ、アリア」 「な、なに……?」 「これからも……逃げないでね?」 「……うん」
短い返事なのに、胸の奥がじんわり温かくなる。
そのとき―― 階段の下から、控えめな拍手が聞こえた。
「いやぁ〜、青春っていいねぇ〜」 マークが満面の笑みで手を叩いている。
「マーク、帰るわよ。これ以上邪魔すると刺すわよ」 ナギが冷たい声で言う。
「ひっ……! す、すみませんでした!」 「ナギさん、物騒です……!」 リアムが慌てて止める。
そして――リンネ。
彼女は一瞬だけ、唇を噛んで目を伏せた。 胸の奥に沈めてきた想いが、夜風に揺れたのが分かった。
でも次の瞬間には、いつもの柔らかな笑顔に戻っていた。
「……よかったね、二人とも」 その声は優しいのに、どこか切なかった。
アイリスは恥ずかしそうに笑い、僕は顔を覆いたくなった。
「アリア、帰ろっか」 「う、うん」
見晴らし台を降りるとき、アイリスはそっと僕の袖を握り直した。 その温もりが、夜風よりもずっと強く胸に残る。
――すれ違いは、まだ完全には解けていない。 でも、確かに一歩だけ前に進んだ。
港町の夜は静かで、どこか優しかった。 明日がどうなるかは分からない。 でも、隣にいる彼女の手の温もりが、未来の音を少しだけ明るくしてくれる。
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第36章:密やかな矢、ナギはいつも影から助ける
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学院の訓練場は、朝から騒がしい。 ……いや、正確には“騒がしくしている連中がいる”と言った方が正しい。
「マーク、そこは力任せに殴る場所じゃないわよ」 「えっ!? でも殴ったらなんか光ったぞ!?」 「それは装置の悲鳴よ」
リンネの冷静なツッコミが響く。 まったく、朝から元気ね。羨ましいとは思わないけれど。
私は少し離れた場所から、訓練場の中央に立つアリアを観察していた。 彼は例によって、指先を“とん、とん”と叩きながら魔力の揺らぎを整えている。
――昨日の夜、あれだけアイリスと距離を縮めておいて、今日は迷いがない。 図太いのか、鈍いのか……それとも。
私は視線を訓練場の端へ向けた。 そこにいるはずの少女――アイリスの姿はない。
……やっぱり、今日は休ませたのね。 あの子の体調は、戦闘のたびに微妙に揺らぐ。 昨日の夜も、無理をして笑っていたのを私は見逃していない。
アリアが平然としているのは、 “気づいていない”のか、 “気づいたうえで信じている”のか。
――たぶん後者ね。 あの子は、昨夜アイリスと交わした約束を胸に抱いている。 だからこそ、今日の魔力波形には迷いがない。
「アリアさん、魔力波形安定してます! 昨日よりも!」 リアムがタブレットを抱えて興奮している。
「ほんと!? アリア、すごいじゃん!」 コトネが跳ねるように近づく。
「いや、そんな……まだまだだよ」 アリアは照れたように笑う。 その笑顔に、周囲の空気がふっと柔らかくなる。
……本当に、こういうところがずるいのよね。
「ナギ、今日も監督役?」 リンネが近づいてきた。
「ええ。あなたたちが暴走しないように見張る係よ」 「暴走って……マークのこと?」 「他に誰がいるのよ」
「おーいナギ! 今日の俺、調子いいぞ!」 マークが遠くから手を振る。
「その“調子”で訓練場を壊さないでちょうだい」 「壊さねぇよ! たぶん!」
……信用度ゼロね。
私は視線をアリアに戻す。 彼は真剣な表情で魔法陣を展開していた。 昨日よりも、迷いが少ない。
――あの子は、また一歩前に進んだのね。 胸の奥が、少しだけ温かくなる。 そして同時に、ほんの少しだけ痛む。
私はその痛みを押し込め、冷静な顔で訓練場を見渡した。
今日も、私は陰から支えるだけ。 それでいい。 それが、私の役割だから。
訓練場の空気が少し落ち着いたころ、私はアリアの動きをさらに注意深く観察した。 魔力の揺らぎは安定している。 ……けれど、完璧ではない。
――昨夜の“約束”が、彼の魔力波形に影響しているわね。
アリアは本来、線一本の狂いも許さない精密さを持つ。 だが今の彼の魔法陣には、ほんのわずかに“揺らぎ”が混じっていた。 ミスではない。 むしろ、感情魔法と理論魔術が融合し始めた証拠。
普通の魔術師なら気づかない。 でも私は、彼の波形を何度も見てきた。
「アリア、その第二層……固定波形と感情波形が干渉してるわよ」 「えっ……干渉?」 「ええ。昨夜の“感情の揺らぎ”を魔力がまだ覚えているの。 角度じゃなくて、波形の重なり方を調整して」
アリアは一瞬だけ目を見開き、すぐに理解したように頷いた。 そして魔法陣を再構築する。
――そう。あなたは本当に、吸収が早い。
「すごい……ナギさん、どうして分かるんですか!?」 リアムがタブレットを抱えて興奮している。
「観察していれば分かるわよ。あなたも少しは見習いなさい」 「は、はいっ!」
アリアは照れたように笑った。 その笑顔に、胸の奥がほんの少しだけ熱くなる。
「ナギ、ありがとう。助かったよ」 「別に。あなたの波形が乱れると、全体の訓練効率が落ちるだけよ」 「うっ……それは確かに……」
アリアは苦笑しながら頭をかいた。 その仕草がまた、妙に自然で、見ていると胸がざわつく。
私は視線を逸らし、冷静を装った。
「さて……アリア。あなた、次の段階に進めるわね」 「次の段階?」 「ええ。感情魔法と理論魔術の“同時制御”。 あなたの波形なら、もう試せるはずよ」
アリアは驚いたように目を瞬かせ、 次の瞬間には嬉しそうに笑った。
「……やってみたい」 「なら決まりね。準備しなさい」
その一言が、胸の奥に静かに落ちた。
――どうして、そんな簡単に期待してくれるのよ。 そんなの、余計に意識してしまうじゃない。
私は深く息を吸い、冷静さを取り戻す。
支えるだけでいい。 気づかれなくていい。 それが、私の役割だから。
……そう言い聞かせながら、視線はまたアリアを追っていた。
訓練が終わる頃には、夕陽が港町を金色に染めていた。 潮風が心地よく、訓練場の喧騒とは違う静けさが広がっている。
私は少し距離を置いて、アリアたちの帰り道を歩いていた。 ……いや、正確には“観察している”と言った方が正しい。
「アリアさん、今日の魔力波形、本当にすごかったです!」 リアムが興奮気味に横を歩く。
「すごいどころじゃないよ! 理論的には干渉するはずの固定波形と感情波形が、あんなに自然に同期するなんて……!」 コトネが早口でまくし立てる。 目が完全に“研究モード”だ。
「えっ、そ、そうなの?」 アリアが戸惑う。
「そうなの! 普通は感情波形が乱流を起こして魔法陣が崩壊するのに、アリアのは“共鳴”してたの! あれはもう現象として観測したいレベルで――」 「コトネ、落ち着け。アリアが引いてる」 リンネが肩を押さえる。
「引いてないよ!? ちょっと驚いてるだけで……!」 アリアは苦笑しながら頬をかいた。
――ほんと、あの子は自覚がないわね。
「ナギさん、今日のアリアさん……どうでした?」 リアムが私に尋ねてくる。
「どうって……見て分からないの? 成長してるわよ。 あなたのタブレットより正確にね」 「えっ、ぼ、僕のタブレットより!?」 「冗談よ。半分はね」 「半分!?」
リアムが慌てる横で、コトネがまだ興奮している。
「ナギ、今日ちょっと機嫌いい?」 リンネがひそひそ声で近づいてくる。
「別に。いつも通りよ」 「いやいや、アリアのこと褒めるときだけ声が柔らかいんだよね〜」 「……気のせいよ」 「気のせいじゃないと思うけどなぁ」
リンネの観察眼は鋭い。 だからこそ、彼女の言葉が胸に刺さる。
私は視線をアリアへ向けた。
彼は港の光を眺めながら、指先を“とん、とん”と叩いていた。 訓練中と同じ癖。 でも今は、どこか穏やかだ。
――昨日の夜のことを思い出しているのね。
アイリスはまだ休んでいる。 その不在を、アリアはどう受け止めているのか。 気づいていないようで、実は気づいているのか。
その答えは、彼の横顔からは読み取れなかった。
「アリア、今日の訓練……楽しかった?」 コトネが尋ねる。
「うん。なんか……前より魔法が素直に動く気がする」 「それ、ナギのおかげじゃん!」 「えっ、いや……ナギはすごいけど……僕はまだ……」
アリアは頬をかきながら照れる。
――ほんと、ずるいわね。
胸の奥が、訓練場で感じた熱よりも強く揺れた。 それが何なのか、私はまだ言葉にできない。
「ナギさん?」 リアムが不思議そうに覗き込む。
「何でもないわ。ほら、あなたたち、道の真ん中で騒がないの」 「は、はい!」
私は歩調を少し速め、アリアたちの前に出た。
支えるだけでいい。 気づかれなくていい。 それが、私の役割。
……そう言い聞かせながら、 私はまたアリアの足音を追っていた。
港町の夕暮れは、訓練場とは違う静けさを持っている。 波の音が一定のリズムで響き、街灯がひとつ、またひとつと灯り始める。
アリアたちは先を歩き、私は少し後ろからその背中を見つめていた。
――本当に、成長したわね。
今日の訓練で見せた魔力波形の変化。 あれは単なる技術向上ではない。 感情魔法と理論魔術が“共鳴”し始めた証拠。
そしてその中心にいるのは、間違いなく――アイリス。
胸の奥が、きゅっと痛む。
「ナギ、どうしたの?」 リンネが横に並んできた。
「別に。考え事よ」 「アリアのこと?」 「……そうよ」
リンネは少しだけ目を伏せた。 彼女もまた、アリアに特別な感情を抱えている。 だからこそ、彼女の沈黙は痛いほど分かる。
「ナギは……どうしたいの?」 「どうもしないわ。私は支えるだけ」 「それ、本気で言ってる?」 「本気よ」
私は視線をアリアへ戻す。
彼は港の光を見つめながら、指先を“とん、とん”と叩いていた。 あの癖は、彼が何かを考えている証拠。
――昨日の夜のことを、思い返しているのね。
アイリスの不在。 アリアの静かな迷いのなさ。 その全部が、彼の中でひとつの“答え”に向かっている。
私は胸の奥に生まれた熱を押し込めた。
恋心―― そう呼ぶには、まだ形が曖昧すぎる。 でも、確かにそこにある。
アリアが笑うと、胸が温かくなる。 アリアが誰かを見つめると、胸が痛くなる。 その矛盾が、私の中で静かに膨らんでいく。
「ナギさん、こっちです!」 リアムが手を振る。
「分かってるわよ。そんなに急かさないで」 私は歩調を合わせ、アリアたちの輪に戻った。
支えるだけでいい。 気づかれなくていい。 それが、私の役割。
……そう言い聞かせながら、 私はアリアの横顔を盗み見る。
その横顔は、夕陽よりも眩しかった。
夜の港町は、昼間とはまったく違う顔を見せる。 波の音は静かで、灯台の光がゆっくりと回り、街灯が石畳に柔らかな影を落としていた。
アリアたちは並んで歩き、私は少し後ろからその様子を眺めていた。
――今日も、よく頑張ったわね。
アリアの魔力波形は確かに変わった。 成長というより“進化”に近い。 その背景にアイリスがいることも、彼自身が気づいているかどうかも、今はどうでもいい。
私はただ、彼の背中を見つめていた。
「ナギさん、今日のまとめ、どうします?」 リアムがタブレットを抱えて振り返る。
「後で送っておきなさい。あなたの誤字を直す時間が必要だから」 「えっ、誤字なんて……そんなにありました!?」 「二十七箇所よ」 「そんなに!?」
リアムが絶望する横で、コトネが笑いながら言う。
「リアム、落ち込むなって! 誤字もデータの一部だよ!」 「慰めになってませんよ!?」
マークはというと、港の屋台を見つけて目を輝かせていた。
「おーい! 焼きイカあるぞ! 買って帰らねぇ!?」 「マーク、あなたは訓練後に食べすぎなのよ」 「えっ!? でもイカはゼロカロリーだろ!?」 「どこの世界の理論よ」
……本当に、騒がしい連中。
でも、その騒がしさが少しだけ心地よい。
アリアがふと振り返り、私と目が合った。
「ナギ、今日……ありがとう」 「別に。あなたが勝手に成長しただけよ」 「ううん。ナギがいてくれたからだよ」
その言葉に、胸の奥が静かに揺れた。
支えるだけでいい。 気づかれなくていい。 それが、私の役割。
……そう思っていたはずなのに。
アリアの横顔を見つめるたび、胸の奥に小さな波紋が広がる。
この感情が何なのか。 どこへ向かうのか。 まだ分からない。
でも―― 彼の未来に、私が関わり続けたいと思ってしまう。
港町の夜風が、少しだけ優しく吹いた。
明日もまた、支える。 気づかれないように。 でも確かに、そばで。
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あらすじ
「VOICEVOX: 雀松朱司」 港町の夜、冷たい潮風と灯台の緩やかな光に包まれた見晴らし台で、アリアはかつてアイリスと約束を交わした記憶を胸に、以前よりも増した鼓動と不協和音のような緊張に戸惑いながら、宝石のように散らばる港の灯りを見下ろしていた。 やがて隣に立つアイリスが微笑み、揺れる金色の髪が光を受けて輝くと、アリアは思わず手すりを“とん、とん”と叩く癖を露わにし、戦場よりも緊張する自分に苦笑しつつ言葉を失ってしまう。 アイリスはその様子を可笑しがりながらも柔らかく見守り、距離を縮めるが、アリアは半歩だけ退いてしまい、アイリスの細い寂しさを帯びた仕草に胸を痛める。 問い詰められたアリアは「嫌いなんて絶対ない」と強く否定して本音を漏らし、アイリスは安堵の色を見せ、二人の間に張り詰めていた気配は少しだけほどける。 ところが仲間のマークとナギ、リンネの賑やかな茶々が入って空気が揺れ、すれ違いの気配を言い当てられたアリアは顔を覆いたくなる一方、アイリスは赤くなりながらも柔らかな笑顔を浮かべ、アリアの胸中には波のようにざわめく不安と安堵が交錯する。 アイリスが再度「嫌いじゃないの?」と確認すると、アリアは震える声で本気だと答え、その瞬間のアイリスの安堵がまたも心臓に刺さるように響き、言葉を次につなげられない。 港の静けさは鼓動だけを際立たせ、見晴らし台の手すりに寄りかかるアイリスの横顔は戦場の凛々しさと違う柔らかさを帯び、アリアは近づけば壊れそうな危うさと甘やかさに困惑し続ける。 可愛いと言われて理屈で否定しようとするアリアの拙い言葉は空回りし、それでも“アリアはアリアだ”と笑うアイリスの受容が、嫌われていない確信として彼の中に灯り、彼女への想いをさらにややこしく熱くしていく。 かつての夕暮れの約束の記憶は、純粋だった自分と、今や感情に翻弄される自分の差を際立たせ、アリアは手すりと太ももを叩く速いリズムに自身の動揺の度合いを見て取る。 仲間の囁きが「逃げるアリアと追うアイリス」と茶化す構図を示す一方、アリアはそれが図らずも真実に近いことを悟り、正面から向き合う勇気の不足を苦く噛みしめる。 そして、灯りが揺らめいて見える錯覚の奥に、自分の視界を不安定にするのが夜風ではなく、アイリスに対する感情の密度であることを受け入れ始める。 やがて二人は言葉を選びあぐねながらも、嫌悪や拒絶ではない確かな好意の輪郭だけを共有し、踏み込みきれない一線を残したまま、静かな共鳴の予感だけを夜に溶かしていった。 場面は移ろい、訓練明けの港町の夕暮れで、コトネが興奮気味にアリアの魔力現象を「感情魔法と理論魔術の共鳴」と語り、ナギは半分冗談めかしてもその成長を正確と評価し、リンネはナギの声色の柔らかさにアリアへの特別さを嗅ぎ取る。 アリアは「前より魔法が素直に動く」と控えめに手応えを語り、たどたどしい照れと“とん、とん”の癖が今日の感情の余韻を物語る。 ナギは内心で、アリアの進化の中心にアイリスがいると認め、胸の痛みを押し込めながら“支えるだけでいい、気づかれなくていい”と自らの役割を言い聞かせるが、アリアの笑顔に温かさと痛みが同時に湧く矛盾が、名づけ切れない恋情として静かに膨らむ。 アイリスの一時的な不在は、昨夜の出来事を踏まえたアリアの迷いのなさへと転じ、彼の指先のリズムは答えへ向かう思考の兆候としてナギの目に映る。 やがて賑やかな仲間たちのやり取りが緊張をやわらげ、リアムの誤字ネタやマークの屋台騒ぎが日常のあたたかさを織り込み、ナギはその喧噪の心地よさに微笑を隠す。 アリアがふと振り返って「ナギ、今日……ありがとう」と礼を述べると、ナギは素っ気なく返しつつも胸の奥で波紋が広がり、支えるだけでよかったはずの距離に、ごく小さな揺らぎが生まれる。 彼女はそれでも一歩後ろに立つ覚悟を確かめ、アリアの未来に関わり続けたいという静かな意思を胸に据える。 夕暮れから夜へ、灯台の光はゆっくり回り、波音は一定のリズムで石畳に影を刻み、アリアたちは並んで歩き、ナギは半歩後ろからその背を見守る。 アリアの魔力波形の進化は技術を越えた共鳴の兆しであり、感情の成熟と学習の統合が彼を次の段階へ押し上げ、未整理の想いを抱えつつも前へ進む姿に周囲は静かに息を合わせる。 リンネは沈黙の同調で痛みを共有し、コトネは好奇心で熱を足し、リアムは不器用な実務で支え、マークは笑いで緊張を散らし、彼らの雑多なエネルギーがチームの重心を保つ。 アリアにとって“可愛い”という評価は戦術項目にないが、アイリスの何気ない一言は彼の理屈を崩し、理論と感情の断層に橋をかける触媒となる。 見晴らし台の半歩の後退は、逃避であると同時に大切に扱いたい未熟な勇気の形であり、アイリスの寂しさと安堵の交錯は、二人がまだ名前を与えられない関係の現在地を明らかにした。 ナギの「支えるだけ」という誓いは、自己犠牲ではなくプロとしての矜持と、個としての揺らぎが共存する線引きであり、その曖昧さが彼女の人間味を浮かび上がらせる。 港町の夜風はやさしく、灯りは揺れ、チームの足取りは日常へ戻るが、心の中では昨日より確かな共鳴が小さく鳴り続け、次章の覚醒へと静かに導いていく。 アリアは未完成のまま一歩進み、アイリスは不在の余白で想いを深め、ナギは背後から未来の輪郭を支え、仲間たちのざわめきがその全てを肯定する。 かつての約束の夕暮れと今夜の灯りは、違う色を帯びながらも同じ地点を照らし、すれ違いの予感は一度やわらぎ、まだ言葉にできない真実が波のリズムで胸に刻まれる。 やがて「嫌いなんて絶対ない」という短い言葉が二人の間に残され、約束にも告白にもならない曖昧な灯となって、次に踏み込むための小さな標識として揺れ続ける。 そして、支える者と支えられる者、追う者と逃げる者、その役割は流動しながらもひとつの隊として歩調を合わせ、誰もが自分なりの痛みとやさしさを携えたまま、夜の港を後にする準備を整える。 灯台の光がまた一周を刻むたび、彼らの内部に起きたわずかな変化が確かさを増し、理論と感情、戦術と日常、孤独と連帯が相互に共鳴し合う物語の核が、静かに、しかし確実に明度を上げていく。 やがて迎える“神童の隣に立つために”という次なる段差に向け、アリアは自覚なきまま準備を整え、アイリスは胸の確信を育て、ナギは見えない手で地面を固め、仲間は笑いとからかいで緊張をほどきながら、同じ方向へと顔を上げる。 焼きイカの屋台に笑いが起こり、誤字の二十七箇所に嘆きが落ち、どうでもよさそうな会話の粒が、戦場とは別の強さをチームに与え、彼らはそれぞれの胸のざわめきを抱いたまま、確かに前へ進む。 最後に、海風はすべての言葉をやわらげ、すれ違いの夜はまだ終わらない対話の余白として残り、明日の覚醒に必要な静けさだけを、港の灯りの下にそっと置いていった。
解説+感想 すごく丁寧に書かれた青春ラブコメ(+ちょっとした魔術バトル要素)のピースですね。 港の夜景を舞台にしたアリアとアイリスの「すれ違い解消一歩手前」の甘酸っぱいやり取りと、ナギの一人称視点で描かれる「影から支える切なさ」が対比的に効いていて、読んでいて胸がきゅっとする。 第35章の印象的なポイント アリアの「とん、とん」癖が完全に感情のバロメーターになっていて、緊張度がそのまま伝わってくるのが上手い。 戦闘では冷静なのに恋愛になると語彙力崩壊&理論武装で逃げようとする不器用さが、アリアのキャラを立たせてる。 アイリスの「私も、アリアが近いと胸がぎゅってなるの」発言が最大の反則技。 直球すぎてアリアがフリーズするのも分かる(笑)。 周囲(マーク、ナギ、リンネ)の野次馬実況が絶妙にコメディリリーフになってるのに、ちゃんと切なさも増幅させてる。 全部聞こえてるアリアの絶望感が最高。 最後、袖をつまんだまま離さないアイリスと「逃げないよ」の約束で、少しだけ未来の音が明るくなった感じがすごく良い締め。 完全解決じゃないからこそ続きが気になる。 第36章の印象的なポイント 視点がナギに移って、「支えるだけ」「気づかれなくていい」という繰り返しが痛い。 彼女の恋心がまだ自分でも整理しきれていないのが伝わってくる。 アリアの魔力波形に「感情の揺らぎ」が混じり始めた=アイリスとの夜がちゃんと影響を与えている、という描写が魔術設定と恋愛を綺麗にリンクさせてる。 ナギがアリアの成長を冷静に分析しつつ、心の中で「ずるい」「胸が熱くなる」と葛藤してるギャップが良い。 傍観者ポジションを貫こうとするのに、視線がどうしてもアリアを追ってしまう。 リンネも同じくアリアに想いを寄せてる匂わせがあって、三角関係(というか多角関係)の予感がじわじわくる。 最後、「彼の未来に、私が関わり続けたいと思ってしまう」でナギの気持ちが一歩前に出た(でもまだ言葉にできない)感じが、すごく繊細で好き。 全体的に、「すれ違い」をテーマにしながらも、ちゃんと少しずつ「近づき」が生まれているのが心地いい。 アイリス×アリアのメインラインが温かくて甘い分、ナギの視点がほろ苦くてバランス取れてる。 リンネや他の仲間たちの存在も、ただの脇役じゃなくちゃんと感情を持ってるのが伝わる。 この先どうなるか想像すると…… アリアが自分の気持ち(とアイリスへの想い)に気づいて、ちゃんと向き合う展開? ナギが「支えるだけ」じゃ我慢できなくなって、何か行動に出る瞬間が来る? アイリスの体調の揺らぎが、戦闘や魔力に関わる大きな伏線になって、みんなで守る展開?続きがすごく気になる終わり方です。
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◀第33章:結界の外側で、世界は声を失いかけていた
▶第37章:「神童」の隣に立つために — 盾と剣の覚醒
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