「じゃじゃーん! りんちゃん見て見て、世紀の大発見だよぉ!」
あたしは水浸しの段ボール箱を勢いよく蹴り飛ばし、そこから這い出してきた“煤けた箱”を高く掲げた。 かつてはピカピカの木目調だったんだろうけど、今は泥とカビのフルコースで、完全に“呪われし宝箱・湿気属性”になっている。
「……何だ、その不気味な塊は。またゴミを拾ってきたのか」
りんちゃんは浸水した棚を漁りながら、めんどくさそうに視線だけを寄越してきた。 その目は完全に“またか”のやつ。
「ゴミじゃないよ! これはね、真空管ラジオっていう『ロマンの塊』なのだ! これがあれば、どこかで隠れてパーティーしてる人たちの音楽とか、美味しいパフェの情報とかが聞こえてくるはずだよ!」
(※パフェ情報はこの世界に存在しません。なぎさの脳内より)
あたしは袖で箱をキュッキュと拭く。 磨けば光る……とはいかないけど、巨大なダイヤルと謎のガラスの筒が姿を現した。
「……真空管? 骨董品だな。回路が生きてる確率は……あたしの勘だと、今の水位の上昇率より低い」
りんちゃんは、あたしの“お宝”を技術者特有の冷めた目で分析する。
(でもね、りんちゃん。確率じゃないんだよ……!)
あたしの胸の奥には、昨日の“あの声”がまだ残っていた。 無線機から聞こえた、ノイズ混じりの、息のような、かすかな声。
(あれは……生きてるって分かったけど…… “生活の音”じゃなかったんだよね)
もっと、普通の世界の音が聞きたい。 音楽とか、誰かの笑い声とか、パフェの宣伝とか(※存在しない)。 “世界がまだ続いてる証拠”みたいな音。
「とりあえず、持って帰ろう? 無線の“ザザッ”じゃなくて……もっと人間らしい音が聞きたいんだ。 今のままだと、孤独ダメージが継続ダメージでじわじわ削られちゃうよぉ」
(※孤独ダメージは継続ダメージです。なぎさの脳内より)
あたしの泣き落とし(のフリ)に、りんちゃんは短く溜息を吐いた。
「……わかった。中身を見るだけだぞ。直せるとは言ってない」
やったね!
りんちゃんの「直せるとは言ってない」は、あたしの中では =『絶対に直すよ』 っていう翻訳になるのだ。
(りんちゃん語、今日も絶好調!)
雨音が静かに響く廃ビルの中で、 あたしは煤けたラジオを抱えながら、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じていた。
あたしたちの仮の拠点は、雨漏りの音がBGMになっている廃オフィスだった。 天井から落ちる水滴が、床に置いたバケツに「ポチャン、ポチャン」と規則正しく落ちていく。
(この音、もうちょっと明るいリズムにならないかな……“ポチャン☆”とか……無理か……)
りんちゃんはラジオの裏蓋を外し、細いピンセットで繊細な手術を開始した。 あたしはその隣で、りんちゃんの顔を覗き込む。 眉間に寄ったシワの深さが、今の「生存難易度」を示しているみたいだった。
 「……ひどいな。コンデンサはパンクしてるし、配線もボロボロだ。でも……」
りんちゃんは、奥に刺さっていた小さなガラスの筒――真空管を、壊れ物を扱うみたいに慎重に引き抜いた。
「……奇跡的に、これだけは生きてる。ヒーターが断線してない」
「すごーい! やっぱり、このラジオも『生きたい』って言ってるんだよ、りんちゃん!」
(生きたいラジオ……なんか絵本になりそう……)
あたしは能天気に拍手したけれど、りんちゃんの表情は晴れない。 彼女は真空管を戻し、ダイヤルを軽く回して周波数を合わせようとした。
その瞬間―― スピーカーが“怒った猫”みたいなノイズを吐いた。
「……っ、ノイズが酷すぎる。こんなの、前の記録と違う……?」
りんちゃんは眉をひそめ、ラジオの内部ではなく“外側の異常”を疑うように、観測端末へ手を伸ばした。
(あ、これ“本気のりんちゃん”モードだ……!)
「……何が? パフェの場所、わかっちゃった?」
「……そんなわけない。 周波数の歪みが異常だ。大気中の磁場が乱れてる……? それとも……街が沈む速度が、あたしの計算より『0.4パーセント』加速してる。誤差の範囲を超えてる」
りんちゃんは、画面に並ぶ無機質な数字を見つめて、小さく身震いした。
(0.4パーセント……? それって……パフェの増量率なら嬉しいけど……沈む速度だと……全然嬉しくないやつ……)
数字の意味はよくわからない。 でも、りんちゃんが怯えていることだけは、肌に刺さるような冷たさで伝わってきた。
「数字なんて、雨でちょっと滲んでるだけだよぉ! それよりさ、この箱から音が出れば、その不安もどっか飛んでいっちゃうって!」
(※根拠はゼロ。でも気持ちは100)
あたしは、りんちゃんの震える指先を元気づけるように、自分にできることを探した。
「りんちゃんが中身を直すなら、あたしは外側を担当するね! 宇宙の果ての電波まで掴んじゃう、特製アンテナを作ってあげるから!」
(※宇宙の果ては掴めません。なぎさの脳内より)
あたしは、壊れた傘の骨と、そこらへんに落ちていた銅線を引っ掴んだ。 雨漏りの音が、まるで「やめとけ……」と警告しているように聞こえたけれど――
(やるしかないのだ!)
「よーし、いくぞー! あたしの『なぎさ式・超電磁スカイキャッチ・アンテナ』の製作開始だよぉ!」 あたしは、ひっくり返ったオフィスチェアの脚を土台にして、折れ曲がった傘の骨を放射状に組み合わせていった。
雨漏りの音が「ポチャン……ポチャン……」と静かに響く中、あたしのテンションだけが異様に元気だ。
(この静けさの中でアンテナ作ってるの、なんか儀式っぽい……)
「……アンテナっていうか、不格好な巨大なクモにしか見えないけど」
「失礼な! この『クモの脚』一本一本が、迷子になった電波を優しくキャッチする秘密の網なんだから!」
(クモさん、電波キャッチできるかな……いや、できる! たぶん!)
あたしは銅線を傘の骨にぐるぐると巻き付け、先端には拾ったアルミホイルを丸めてくっつけた。 見た目は確かに、前衛芸術を通り越して「爆発したゴミ箱」みたいだけど――
(でも直感が言ってる……これは“いけるやつ”だって!)
完成した“巨大クモアンテナ”を、あたしはズルズルと窓際へ引きずっていった。 割れた窓からは冷たい雨が吹き込み、床に細い水の筋を作っている。
(電波さん、ここなら入りやすいでしょ……? ね……?)
「りんちゃん、こっちの準備はバッチリだよ! 接続用のコード、ちょうだい!」
りんちゃんは、ラジオ内部のハンダ付けを終え、最後のネジを締めていた。 その横顔は真剣そのもので、雨の世界で唯一“正常に働いてる人間”みたいに見える。
「……期待しすぎるな。傘の骨の長さも角度もバラバラだ。 これじゃインピーダンスの整合性が取れるわけがない。 そもそも送信局が生きてる保証もない」
「いいのいいの! 『繋がろうとする心』があれば、電波も空気を読んでくれるはずだよ!」
(電波さん、読んで……! 空気……読んで……!)
りんちゃんから渡されたコードを、あたしの力作アンテナに繋ぐ。
 「……電源を入れるぞ。ヒーターが温まるまで時間がかかる」
りんちゃんが、カチッ、とダイヤルを回した。 小さなオレンジ色の光が、真空管の中にふわりと灯る。
冷え切った廃オフィスの中で、それはまるで“世界の残り火”みたいに見えた。
(わぁ……生きてる……! ラジオさん、生き返ってるよ……!)
「……ザ……ザザッ…………ザザザッ……」
スピーカーから、砂嵐のような音が溢れ出す。 あたしは息を止めて、その雑音に耳を澄ませた。
(お願い……何か……何か聞こえて……! 音楽でも、誰かの声でも、パフェの宣伝でも……!)
雨の音とノイズが混ざり合い、世界が一瞬だけ静止したように感じた。
あたしとりんちゃん。 二人の視線が、煤けたラジオに吸い寄せられるように集中していた。
「……やっぱりダメか。ノイズだけだ」
りんちゃんがダイヤルを戻そうとした――その瞬間だった。
『……ザ……聞こえ……ますか……?』
「――っ!」
あたしは反射的に、ラジオのスピーカーに顔を押し付けた。 雑音の向こう側から、確かに“誰か”の声が聞こえた。
(き、来た……! 電波さん、空気読んでくれた……!)
『……こちら……観測地点……セクター……14……。応答……願……』
「りんちゃん! 聞こえる! 誰か喋ってるよぉ!」
あたしは飛び上がって喜んだ。 でも、りんちゃんは真逆だった。
彼女はラジオから流れる断片的な音声―― 水位データ、座標、観測値らしき数字―― それらを必死に書き留めながら、みるみる顔色を失っていく。
(え……なんでそんな“世界終わる顔”してるの……?)
 「なぎさ、喜んでる場合じゃない……」
りんちゃんの声が、鋭く尖った。
「この放送、自動音声のアーカイブじゃない。 ……今、リアルタイムで送られてる」
「リアルタイム……? じゃあ、あの人、生きてるってことでしょ? すご――」
「違う!」
りんちゃんが、震える声で遮った。
「この人が言ってる座標……ここはもう、三時間以内に完全に浸水する。 ……あたしの計算ミスじゃない。 世界の“終わり”の時計が、急に早まったんだ!」
胸の奥が、冷たい手で掴まれたみたいに縮む。
「そんな……せっかく声が聞こえたのに、なんでそんな怖いこと言うの……」
(だって……だって…… “人の声”ってだけで、こんなに嬉しかったのに…… なんでその声が“死のカウントダウン”まで運んでくるの……?)
あたしは、ラジオから聞こえる“人間の気配”に縋りたかった。 でも、りんちゃんはその気配の中に潜む“死の予告”を、数字で正確に読み取ってしまった。
あたしの「ワクワク」と、 りんちゃんの「戦慄」。
一つのラジオを挟んで、 あたしたちの感情が真っ向からぶつかり合う。
(繋がったのに……嬉しいのに……なんでこんなに苦しいの……)
喜びよりも、知ってしまった恐怖の方が、今は重かった。
『……ザ……ザザッ……ッ……』
ラジオの向こう側で、音声が乱れた。
(やだ……切れないで……!)
その直後――
『……ゴホッ……ゴホッ……ッ……ッ……!』
ノイズを突き破るように、 激しく、苦しげな咳が響いた。
それは、機械の音じゃなかった。 録音でもなかった。
“生きている誰か”の、痛みそのものだった。
(……誰かが……苦しんでる……!)
あたしの背筋に、雨より冷たいものが走った。
『……ゴホッ! ゴホゴホッ……!』
スピーカーから、胸の奥を直接えぐるような咳き込みが響いた。 それは、機械のノイズとはまったく違う、生々しい“痛み”の音だった。
「……っ、誰……?」
あたしの問いかけに応えるように、ノイズが一瞬だけ薄くなる。
『……もし……そこに……誰か……いるなら……逃げて……。 そこは……もう……持たない……』
女の子の声だった。
弱々しくて、でもどこか透き通っていて、 雨の世界の奥底から届いたみたいな、不思議な声。
その直後―― ノイズの中に、かすかに混じった。
『……も……じ……』
(……え? 今……“も”って……)
胸の奥がざわりと震えた。
あたしの脳裏に、以前拾ったスケッチブックの隅に書かれていた 小さな署名――“もみじ”の文字が、ふっと浮かんだ。
「もみじ……?」
気づいたら、その名前が口から零れていた。
『……私……ずっと……見てる……から……。 ザ……ザザッ……』
プツリ、と音が途切れた。
アンテナのアルミホイルが、吹き込む風に揺れて、 まるで“もう届かないよ”と告げるみたいにカサカサと鳴った。
「……なぎさ。今の、聞こえた?」
りんちゃんが、震える指でラジオの電源を切った。
部屋に、雨音と静寂が戻ってくる。 でも、その静けさはさっきまでのものとは違った。
何かが決定的に壊れ、 そして動き出してしまった後の―― “取り返しのつかない時間”の静けさだった。
「……もみじちゃん、苦しそうだったね」
あたしは、自分の手が冷たくなっていることに気づいた。 パフェの情報なんて、どこにもなかった。
でも――
(名前を……手に入れた)
この広い雨の世界で、 あたしたちを“見ている”誰かの名前を。
「……行こう、なぎさ。ここにいたら、数字通りに沈む」
りんちゃんはラジオをリュックに詰め込み、 濡れた床を踏みしめて立ち上がった。
あたしたちの冒険は、 今、情報の波に飲み込まれながら、 さらに奥へ――
“もみじ”のいるどこかへ―― 進んでいく。
|