◀第06章『銭ゲバ魔女の収支報告と、消えない呪い』①
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第06章『銭ゲバ魔女の収支報告と、消えない呪い』②
「VOICEVOX: 雨晴はう」「VOICEVOX: 四国めたん」「VOICEVOX: 櫻歌ミコ」「VOICEVOX: もち子さん」「VOICEVOX: WhiteCUL」「VOICEVOX: ずんだもん」「VOICEVOX: 九州そら」「VOICEVOX: 剣崎雌雄」「VOICEVOX: 春歌ナナ」「VOICEVOX: 雀松朱司」「VOICEVOX: 麒ヶ島宗麟」「VOICEVOX: 春日部つむぎ」「VOICEVOX: 琴詠ニア」「VOICEVOX: 黒沢冴白」「VOICEVOX: 玄野武宏」「VOICEVOX: 東北ずん子」
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特別浴場から私たちが戻ると、第三研究棟の地下研究室には、先ほどまでの騒然とした緊迫の空気が少しだけ薄れていた。
割れた窓の向こうでは、夕暮れの茜色が夜の静寂へと静かに移り変わり始めている。赤く染まっていた王都の尖塔や屋根も、今では淡い紫色の闇の底へと沈みつつあった。
研究室の隣室では、九死に一生を得た被救助者たちが横になっている。重傷を負っていた僧侶の女性は、シャルロットの治癒魔導によってひとまず致命的な傷口を塞がれ、現在は穏やかな深い眠りに落ちていた。残る魔法使いと弓使いの二人も、その傍らで安堵の涙を拭い、静かに彼女の容態を見守っている。

専門の医療班がこちらへ到着するまで、あと少し。それまでの猶予時間を、彼女たちはこの上なく安全な学廷の聖域で過ごすことになったのだ。
そして。物理的には無傷(※ただし下着と制服はすべてロスト)の私たちはというと。

「……さて」

私は研究室の脱衣所の棚に置かれていた、例の大きめの無地Tシャツ(男物)を、再び頭からすっぽりと被った。
サイズは完全にオーバースペックでぶかぶかだった。袖は肘より下まで不格好に余り、裾は太腿のあたりまで辛うじて届いている。けれど、完全に防衛ラインを消失している現在の私にとっては、これ以上ないほどありがたい布地であった。

「はぁ……っ」

シャルロットも、深い絶望のため息とともに、私とお揃いの男物Tシャツを屈辱の面持ちで受け取っている。その隣で、二人の取り巻きも、無言でその無骨な袖に腕を通していた。
「……これは、なんと言いますか」

一人が、布地の余った自分の身体を恥ずかしそうに見下ろす。
「なんとも、開放的で野蛮極まりない破廉恥な格好ですわね……」

「不可抗力です、諦めてください」
私は冷徹に即答した。
「エルライト教授の偏屈な研究室には、うら若き女子生徒用の予備の着替えなど、歴史上ただの一着も存在しませんからね」

「どうしてルイズさんは、そんな惨めかつノーガードな格好で、当然のように威風堂々と胸を張っていられますの!?」

「完全に慣れていますので、日常茶飯事です」
「そんな不穏な日常に、わたくしたちは一秒たりとも慣れたくありませんわ……!」

シャルロットが、お揃いの生足を晒しながら遠い目をした。
私は彼女たちの令嬢としての精神的葛藤など一切脳内リソースに留めず、研究室中央の大きな黒檀の執務机へと真っ直ぐに向かった。
そこには。先ほど奈落の深層からハッキングシステム経由で持ち帰った、輝かしい戦利品の数々がずらりと並べられていた。
第四層のボス『ゴブリンロード』が遺した、禍々しい装備品。高純度の多面体魔石。いくつかの稀少な古代の魔導金属素材。そして、ひときわ目を引く、莫大な時空魔力の残滓を放つ大きな宝箱。

――第五層ボス『大地の番人』の、市場価値が極めて高い未開封ドロップ箱。
さらには、ゴブリンロードの隠し部屋から強引にむしり取ってきた、奇妙な多面体の意匠が刻まれた『時空の金貨箱』。
私はそれらの物資を、一つずつ真剣な鑑定士の如き眼差しで確認する。
「うん、完璧です」
「何が『うん、完璧です』なんや?」
私の肩の上へ戻ってきたトトが、訝(いぶか)しげに私の手元の宝箱を覗き込む。

「すべて、計算通り欠損なくデータとして存在しています」
「いや、それは見たら分かるわ、ルイズ」
「いいえ、学術的に重要なのは、これらをギルドの中間マージンを無視して『いくらで市場に売却して現金化できるか』という点ですよ」
「……」

トトが、この世の終わりを目撃したかのような、酷く嫌そうな顔をした。
「自分、まさか……」

「はい、その通りです」

私は机の上へ、使い古した耐水性の研究ノートと一本の鉛筆を厳かに置いた。
「これより、今回の迷宮遭難における『厳密なる確定収支計算』を実施します」
「やっぱりかぁぁぁあああッ!!!」
トトが短い前肢で丸い頭を激しく抱え込んだ。
「死線をギリギリで潜り抜けて生還してきて、お嬢ちゃんらと一緒にお風呂入った後に、一番最初にやる仕事がまっとうな金勘定かいな!」

「当然の帰結です」
私はお気に入りの鉛筆を力強く手に取った。
「命がけの過酷な探索だったからこそ、そこで得られた利益(リターン)を高精度に把握し、資産として正確に計上して次なる実証用弾薬(下着)の予算に充てる必要があるのです」
「言っとる理屈と数式だけ聞いたら立派な経済学者やのに、その瞳の奥が完全に、末期の守銭奴のそれやねん!!」
「失礼ですね、トト」
私は少しだけ不満げに頬を膨らませてみせた。

「私は決していやしい守銭奴などではありません」
「ほな何やと言うねん」
「極めて合理的な、現代魔導における『資産管理者』です」
「言葉巧みに言い方を変えて己の銭ゲバを正当化しただけやんけ!」
ぶかぶかの男物Tシャツから生足を覗かせているシャルロットが、私と使い魔の軽快な漫才を交互に眺めながら、ふっと小さく唇を綻ばせた。
「でも……」

彼女は執務机の上に厳かに並べられた戦利品の数々へ、静かに視線を落とした。
「これほどの、王都の最高級市場でもなかなかお目に掛かれない希少品ばかりですもの。確かに、それぞれにどれほどの財産的価値が眠っているのかは、一人の魔導士として純粋に気になりますわね」
「でしょう?」
私は我が意を得たりと、即座にこれ以上ないほど明るい反応を示した。
「そこで、ですわ」
私は左手の中指の銀色の変調指輪へと、淀みなく微量の生体魔力を流し込む。

――キィン。
地下研究室の空間へ、澄んだ金属の駆動音が反響した。それと同時に、青白い魔導の光が机の上へと幾何学の波紋のように広がっていく。精緻な半透明のホログラム。明滅するデータ文字。そして、対象物の構造を分子レベルで解き明かす複雑な自動鑑定の数式が、一瞬にして私たちの眼前の空間へと傲然(ごうぜん)に展開された。
「うわぁ……」

トトが今度ばかりは呆れ果てた声を絞り出す。
「自分、ホンマに教授の最高傑作に対して無許可改造の嵐を降らせとるな」
「改造に用いたソースコードの変更履歴(ログ)は、後で完璧な事後レポートに纏めて教授の机に勝手に置いておく予定ですので、システム管理上は何の問題もありません!」

「やっぱり法的な手続きをすべて無視した完全な事後承認(ハッキング)やないか!」
「それはさておき。この指輪の内部コアには、入学当初から私の手で少しずつ『便利な拡張パッチ』を追加していたのです」
私は誇らしげに、男物Tシャツの下の見えないドレスの胸元を張ってみせた。
「……」

トトの丸い表情が、ある恐ろしい可能性を察してピタリと停止した。
「……ちょっと待て、ルイズ」

「はい何でしょう、トト?」

「まさかとは思うけどな……もうこれ以上、この呪いのリングに邪悪な隠しコマンドは入ってへんよな?」

「さあ、私の脳内ハードディスクの機密事項ですので、どうでしょう?」
「……あかん、この確信犯的なポーカーフェイス、他にもまだ何かえげつない脱衣機能とか非人道的なシステムが絶対に眠っとるで……」
夕暮れの研究室に、トトの深い、魂からの嘆きが響き渡る。
私は不思議そうに首を傾げた。

「優れたテクノロジーというのは、徹底的に効率よく実用的に使うべきでしょう?」
「まあ、その徹底した実利主義なパラメータだけは、一部サバイバルとして正解やけどな」
「一部ではなく、私の計算式においては全部正解ですよ?」
「全部なわけあるかい、自分、科学者としての倫理観のリミッターが外れすぎや!」
「えぇー。これは魔導技術の進歩と、学園の予算削減への多大なる貢献ですよ!」
「進歩とか貢献とかいう壮大な大義名分をサラッと言われると、ワイも返す言葉がなくなるわ!」

私はトトの正論の小言を冷徹に無視して、目の前の魔導ホログラムのデータ画面を優雅にスワイプ操作した。
「仕組みは極めてシンプルです」
指先を滑らせる。戦利品の一つである、淡く輝く高純度の魔石が、青い選択枠線によって正確に囲まれた。
「指輪の演算コアへ、対象物の『時空構造の実在証明』を即時取得する多次元感知システムを上書きしているのです」
次に。魔石の精緻な内部構造の透過図。魔力純度のパーセンテージ。元素の希少性。想定される推定用途。現在の王都における市場流通量。さらには、過去百年にわたるギルドの取引履歴。それら膨大な経済データが、次々とホログラムの画面へ流動的に展開されていく。
「これらを私のハッキング魔導で瞬時に解析し、王都冒険者ギルドの公式オークションシステムへ直接データを暗号化送信します」

「……」
「そこでギルド側のサーバーによる自動承認(クリア)が下りれば」
私は満面の、この世の誰よりも邪悪で美しい笑みを浮かべた。
「これら大量の戦利品を、重たい思いをしてギルドの窓口へわざわざ持ち込む前に、確実な買い手と『最高落札価格の目安』を、この快適な研究室にいながらにして確定(キャッシング)できるのです!」
トトが激しいツッコミの後に沈黙した。シャルロットも。二人の取り巻きも。
全員が、ぶかぶかTシャツの襟元を気にする余裕すらなく、空間に浮かび上がった青白いホログラムの莫大な数字を食い入るように見つめている。

「……ルイズさん」
「はい何でしょう、シャルロットさん」
「あなた……」
シャルロットが、畏怖の混ざった複雑な面持ちで恐る恐る口を開いた。
「本当に、既存魔導具の違法ハッキング(改造)にかけては、百年に一人の最悪な天才ですわね」
「いえ、魔導の幾何学的に見れば、まだ大した初期処理はしていませんよ」

「これで『大したことない』と言い張りますの!?」
「ええ」
私は本気で、至って謙虚にそう確信していた。
「実際の換金(キャッシュ化)そのものは、後日ギルドの窓口へ実物を直接持ち込んで真贋鑑定(しんがんかんてい)の手続きを踏み、まっとうに硬貨を受け取る必要がありますからね」
「あ、そこは意外にも、普通に物理的な泥臭い手順を踏むんですのね……」
「ですが」

私はスッと、湯上がりの白く細い人差し指を立ててみせた。
「買い手の動向と売却推定価格を、事前に高精度で確定(ホールド)できるだけでも、資産運用上のリスクヘッジとして、その優位性は極めて大きいです」
「……」
「つまり」
私は、執務机の上に整然と並ぶ戦利品(資産)を愛おしげに見渡した。
「現時点の多次元演算において、だいたいの私たちの『総売上総額』が弾き出せます」

「……い、一体、全体でいくらくらいになりますの?」
シャルロットの、名門令嬢としての格式高い声が、少しだけ俗物的な期待に弾んだ。
「それでは、順番にオークションの事前査定結果(データ)を見ていきましょう」
私は最初の、鈍く光る不可思議な小箱へと細い指先を向けた。
■ 地下第五層ボス『大地の番人』未開封ドロップ箱
ピピッと電子音が鳴り、ホログラムのコンソール画面に巨大な数値が表示される。

『 ギルド予想落札価格:1‚000‚000 クローネ 』
「…………」
「…………」
「…………」
三人の少女が、あまりの天文学的な衝撃(バグ)を前に、同時にギリシャ彫刻の如く固まった。

トトだけが。
「……は?」
と、大福餅の顔をひきつらせて間の抜けた声を漏らした。
「百……万……?」
「はい、計算通り百万クローネです」
「いやいやいや、ちょっと待て!」

トトがつぶらな赤い瞳をこれでもかと見開いて画面を何度も二度見、三度見する。
「一、十、百、千……」
短い前肢の指を一本ずつ、プルプルと震わせながら折っていく。
「万……十万……ひゃ、百……」
あまりの桁の多さに、途中で数えるのを脳が拒否して諦めた。
「ひゃ、百万クローネぇぇぇえええッ!?(家が建つわ!)」

「はい、正確な理論値です」
「こんな、お嬢ちゃんたちの手のひらに収まるサイズの箱一個で!?」
「何をおっしゃるのですか。地下第五層の『階層主(ボス)』が遺した唯一無二の遺物(ドロップ)ですからね」
私は当然の帰結であるかのように、極めて淡々と答えた。
「しかも、ポイントは『未開封』であることです。この状態維持こそが、確率論的に最も重要です」
「その、箱を頑なに開けない未開封状態であることが、それほど価格を跳ね上げる重要な要素なんですの?」

シャルロットが、生足を擦り合わせながら不思議そうに尋ねてくる。
「極めて重要です、シャルロットさん」
私は深く、黒鉛の鉛筆の先端で机を叩いて頷いた。
「中に何が入っているか分からない、未知の超激レア神話級アイテムが内蔵されているかもしれないという不確定な『可能性(ロマン)』そのものに、富裕層たちは莫大な付加価値(プレミアム)を支払うのですから」
「つまり……どういうことですの?」
「中身を開けて、中途半端な確率のハズレ(ゴミ)を引くリスクをこちらが負うよりも、一切開けない綺麗な状態のまま、彼らに都合のいい『夢(ガチャ)』として売り飛ばす方が、期待値の計算上、利益率は遥かに高く安定するということです」

「……」
「王都の貴族や富裕層という生き物は、実にお金が有り余っていて非合理的な生態をしていますね」
私は少しだけ、彼らの愚鈍さを哀れむような遠い目をしてみせた。
「中身が完全に虚無かもしれない、ただの木箱(ガチャ)を買うという娯楽のためだけに、ポンと百万クローネもの大金を喜んでドブに捨てるのですから」
トトが魂の抜けたように呟く。
「金持ちの脳内演算、ほんま底なしに一般市民には理解できんな……」

「ちなみに、データはこうです」
私は手元のホログラムを優雅にフリック操作した。
『 STATUS: EXPECTED BIDDERS (予想入札層) / 王都上層富裕層、重度魔導具収集家、冒険者ギルド特級会員、貴族系好事家 』
「競争率は時空の確率論的に見てもかなり高い模様です。百万クローネは固い最低ラインですね」
「ひゃく、まん……」
シャルロットが、夢でも見ているかのように呆然と呟いた。

「わたくしたち、本当にそんな途方もない資産を持って、奈落から生還してきたんですの……?」
「ええ。動かしがたい物理的事実です」
■ 第四層ゴブリンロード軍勢・希少ドロップ+高純度魔石
続いて。私が次のコンソールのデータ項目をタップして開く。
『 ギルド予想落札価格:150‚000 クローネ 』
「じゅ、十五万……」

「こちらは実地相場から見ても、極めて妥当な市場価格ですね」
「あなたの言う『妥当』の基準が、さっきから狂いすぎていますわ!」
シャルロットが即座に鋭いツッコミを上書きした。
「いえ、内訳をご覧ください。ゴブリンロード専用の、希少金属を用いた重装備品の数々」
私は淡々とその財産的価値を説明する。
「そして、私の四元素連続複合魔法――あの超高温・超高圧の熱量によって、環境破壊のプロセスの中で意図せず人工精錬された、高純度の魔石群です」

「なるほど。王立魔法大学の研究室や、王都の最先端魔導具工房からの需要が、常に一定数存在する極めて優良な物件(アセット)ですね」
「つまり……それは確実に売却できると?」
「はい」
「それも、高く」
「はい」
「……」
シャルロットは、自らの常識のキャパシティを超えるものを凝視するように、小さく、しかし深く息を吐いた。
「迷宮の深層に身を投じるというのは……こんなにも、常軌を逸してクローネが湧き出すものだったんですの?」
「その等価交換の代償として、女性としての社会的尊厳と、お気に入りの高級衣装のすべてを奈落へ置いて来ましたけれどね」
私は事務的に即答した。
「私は、次の研究資金を確保するためにまたすぐに潜りますが、シャルロットさんたちもご一緒に、またパンツを賭けて潜りますか?」
「それは……非常に前向きに検討させて頂きますわぁあああああッ!!!」

「自分、そこは乙女として即決で断らんのやな! 完全に黄金の魔力に脳みそ毒されとるやんけ!」
トトが呆れ果てた顔で、ぶかぶかTシャツから生足を覗かせる令嬢を見上げた。
■ 『時空の金貨箱』
そして最後。私は、ゴブリンロードが執念深く隠し持っていた、金色の幾何学模様の箱へ細い指先を伸ばした。
「これは」
ホログラムの画面に表示された歴史的文字列を確認する。

「かなり珍しいですね。魔導考古学的な付加価値(プレミアム)が付着しています」
『 ギルド予想落札価格:500‚000 クローネ 』
「…………」
シャルロットが、今度こそ完全に無言の彫像になった。
「ご、ごじゅう……」
取り巻きの女子生徒の一人が、失神しそうになりながら呟く。

「五十万クローネ……」
もう一人も、信じられないというようにその瞳を限界まで丸くした。
トトは。「……」しばらく地下室に重々しい沈黙を落とした後。
「おい、ルイズ」
私の横顔をじっと見つめる。
「これ」
「はい何でしょう、トト」
「今ここに表示されとるすべてのクレイジーな額を、合計したら」
「はい」
私は魔導ホログラムのコンソール画面を鮮やかに、流れるような指さばきで操作した。
虚空に浮かび上がっていたそれぞれの数字が、収束の数式にのっとって、一つの巨大な数字(トータル)へとまとめられていく。
『 STATUS: TOTAL REVENUE (総推定売却価格) 』

『 1‚650‚000 クローネ 』
地下第三研究棟の湿った大気が、完全に、物理的な質量を持って停止した。
「……」
「……」
「……」
トトが、壊れたネジのようにゆっくりと口を開く。

「……ひゃく、ろくじゅう、ごまん、クローネ……?」
「はい、暗算の必要もない単純な足し算ですね」
「これ」
トトは執務机の上に鎮座する、眩(まばゆ)いばかりの財宝の山を凝視した。
「全部、ワイらが迷宮の底でペタペタ歩いて拾ってきたもんなん?」
「学術的に正確な言葉を使うなら、私たちの貴重な生命維持リソースと、乙女の絶対的な社会的尊厳を等価交換の担保に懸けて回収した、栄光ある戦利品(アセット)です」

「どれだけ大袈裟(おおげさ)に言い換えても、結局のところ道端で力技でカツアゲして拾ってきただけやんけ!」
私はその正論に対し、口元に少しだけ小悪魔的な笑みを浮かべた。
でも――私はその冷徹に明滅する青白い数字の羅列を、静かに、深く見つめ直す。
一、六、五。
その文字盤の並びを、私の脳内ハードディスクで何度も、狂いなく再計算した。
間違いない。金貨百六十五万クローネの純資産。

私が、毎日干からびた黒パンの耳を齧(かじ)りながら予算難に涙していた、あの極貧の研究生活の基準からすれば。
それは。あまりにも、あまりにも巨大で暴力的なまでの金額だった。
ずっと欲しかった次世代の最高級魔導研究設備。脳が焼き切れない超高速の時空演算機。市場に滅多に出回らない希少な特級魔法触媒。潤沢な実験材料。
そして――いつか、あの胃痛のおじさん(教授)から自立し、自分だけの、完全な『プライベート時空研究室』を王都に構えるための、絶対的な基盤資金。
私の胸の奥底で。小さな何かが、静かに、しかしマグマのように熱く灯った。
「……フフ、悪くありませんね」

「悪くないどころか、わたくしたち一般学生が一生遊んで暮らせるレベルのとんでもない大金ですわよ!」
シャルロットがぶかぶかTシャツの裾も構わず興奮気味に身を乗り出し、琥珀色の瞳を輝かせて叫んだ。
「これ、一体どうやって、どのような等価な数式で私たちで山分けにしますの!?」
――その、誰もが富の分配に胸を躍らせた運命の瞬間。
私は。待路を塞いでいました、とばかりに満面の営業スマイルを浮かべ、使い古したノートをバサッと開いた。
「それでは、お友達の皆さん」

私はすべての良心を排し、悪魔のように優雅に微笑んでみせた。
「これより、今回の迷宮遭難における、厳密なる『収支報告(地獄の清算)』を開始します」
その不敵な笑みを見たトトの顔から、すっと血の気が引いていく。
「……あかん、ワイ、これまでの人生の中で一番最悪な嫌な予感しかせえへんわ……」
「まず」
私はノートの一行目へ、最高に美しい飾り文字で、冷酷な初期数値を書き込んだ。

『 総売上(グロス):1‚650‚000 クローネ 』
次に、私はノートの二行目へ、
『 共同開発・システム維持経費(天引き分) 』
と冷酷に書き加えた。
「今回の膨大な収益を安全に計上する過程におきましては」
私は一切の感情を排し、極めて事務的な平坦さで解説を添えた。

「エルライト指輪への、共有ネットワーク機能の追加違法改造費」
「……」
「地上への安全な一括テレポートを可能とした、時空術式の保守管理および燃料費」
「……」
「ギルド公式オークションサーバーへの不正侵入(バックドア接続)に伴う、将来的なアカウント凍結リスク料」
「……」
「そして――何よりも私の、時空の因果を書き換えた『天才的魔導演算技術・使用ライセンス料』が当然のように発生しています」
トトが、大福餅の顔をひきつらせてつぶらな赤い瞳を細めた。
「おい、自分」
「はい何でしょう、資産管理上のご質問ですか?」
「まさかとは思うけどな……」
私は、科学者として当然の権利であるかのように淡々と言い放つ。

「――総売上総額の、三十パーセントです」
「――三割ぃぃぃいいあアアアッッッ!!!?」
トトの魂からの絶叫が、第三研究棟の分厚いガラス窓を激しくガタガタと揺らした。
「ひゃ、百六十五万クローネの、三割やぞお前!?」
「はい。暗算でコンマ一秒、495‚000クローネの控除となりますね」
「約五十万クローネやんけ!! 家がもう一軒建つわ!」

「私の提供した超チート機能の利便性を鑑みれば、極めて良心的な適正価格(サブスク)ですよ」
「裏通りの闇金ヤクザのピンハネシステムよりえげつないわ、自分!」
「失礼ですね、トト」
私は不満げに頬を膨らませて抗議した。
「私の極上の脳細胞をフル稼働させた超高速暗算は、無料の慈善ボランティアでは断じてありません」
「どんなファンタジー世界の暗黒ギルドでも聞いたことないぞ、自分の脳みそに使用料(ライセンス)掛けてパーティから毟(むし)り取る奴なんか!」

「極めて合理的な、前人未到の特許技術ライセンス料(脳内演算コンマ一秒)です」
「自分、ついに自分の頭脳に著作権と特許料をつけ始めたで……」
トトが短い前肢で頭を抱え、絶望のあまり遠い目をした。
私は外野の小言など一ミクロンも気に留めず、冷徹にノートの上で引き算を続ける。
「ただし」
私は、ノートへ別の項目をさらに追加した。

『 被救助者への医療補填(示談金):15‚000 クローネ 』
ぶかぶかTシャツから生足を擦り合わせていたシャルロットが、不思議そうに目を瞬かせた。
「これは、一体何ですの?」
「今回奈落で間一髪救助した、女性冒険者三名への見舞金(補償金)です」
「……」
「カメ吉さんを硬質物理弾頭(デコイ)として戦場へ投射した際、私の四元素連続複合魔法の衝撃波の余波が、コンマ数パーセントだけ彼女たちの細胞を巻き込んで軽微な裂傷を負わせていますから。後でギルドや王都騎士団から過失を問われる法的リスクを、たった一万五千クローネで完全に相殺(示談)できるのであれば、未来への極めて安い投資です」

「そこは、徹底して計算高くて世俗的なんやな……」
トトが少しだけ戦慄(せんりつ)したようにボソッと呟いた。
「当然です、トト」
私は深く頷いた。
「人命に関わる過失損失まで、すべて強引に利益として計上して隠蔽するほど、私は非合理的なサイコパスではありませんからね」
それから。それらの諸経費をすべて差し引いて残った純粋な『純利益(ネット)』の分配総額を、私は魔導ホログラムの画面へと鮮やかに点灯させた。

『 STATUS: DISTRIBUTABLE INCOME (分配対象純利益) 』
『 1‚140‚000 クローネ 』
「――この残存利益を」
私は濡れた細い指先で、ホログラムの数値を鮮やかに四つの領域へとセパレートしていった。
「あの極限状態の戦場で、実際に等価交換の『触媒(コスト)』として、自らの貴重な衣服資産を提供した、四人の正当なる出資者(パーティメンバー)へ厳密に分配します」
シャルロット。取り巻きA。取り巻きB。そして、この私。
ホログラムのデータ画面へ、四つの名前が冷徹に並べられる。
「なお、富の分配のパーセンテージ(割合)は、迷宮の深層で実際に『消滅した衣服の購入価格』に完全比例して応じる仕様に設定されています」
「……」
シャルロットが、ぶかぶかTシャツの襟元を抑えながら、自分の名前に注がれる因果律の数式を凝視した。
「つまり……どういうことですの?」
「はい」
私は当然の真理として美しく頷いた。
「身を挺して戦場に捧げ、消失させてしまった衣服や装備が最高級で高価であるほど、今回のリスクテイクに対する配当金(リターン)も、天文学的な数字へ圧倒的に跳ね上がる仕組みです」
シャルロットの琥珀色の瞳が。ゆっくりと、黄金の魔力に当てられたように妖しく細くなっていく。
「……」
「……」
「……」
私の肩の上のトトが。この世の深淵に棲む真の悪魔を目撃したかのような、戦慄の瞳で私を真っ直ぐに見つめてきた。
「なぁ、自分」
「はい何でしょう、トト」
「それ」
「はい」
「もしかして、お前……」

トトは短い前肢の指先をワナワナと震わせながら、恐ろしい真実に辿り着いた。
「『服を強制的に脱がされて全裸(半裸)にされた側が、一番合法的に大儲けできる』っていう、倫理観のリミッターが全損したイカれた錬金術のシステムにしとるんか……?」
「――はい、その通りです」
私は満面の、この世の誰よりも純粋で美しい笑顔で、世界の真理を答えた。
「これぞ自然界の因果律、および健全なる『等価交換(資本主義)』の本質ですからね」
「資本主義の生んだ、最悪のバグの化け物や、自分……」

数秒の再演算の後、最終的な分配結果が、ホログラムに鮮やかにポップアップされた。
『 シャルロット閣下 : 560‚000 クローネ 』
『 取り巻き生徒A : 230‚500 クローネ 』
『 取り巻き生徒B : 230‚500 クローネ 』
『 ルイズ(首席) : 119‚000 クローネ 』
「……」
誰も、一文字たりとも喋らなかった。
湯上がりの静かな地下室で、最初に小刻みに震える美しい唇を開いたのは――やはり、名門令嬢のシャルロットであった。
「……ご、ごじゅう、ろくまん……?」
「はい。中間マージンを排除した、あなたの正当な権利です」
「わたくしが?」
「はい」
「これほどまでの……国家予算レベルのクローネを、本当に頂けるんですの?」
「はい、もちろんです」
私は事務的な資産管理者として静かに頷いた。
「今回の作戦において、あなたが提供した高級装備資産(限定品の魔導帽子・高級杖・純金刺繍マント・上着ブラウス・タイトスカート・最高級シルクの下着一式)の購入総額がパーティ内で最も巨大だったため、数理的に当然の配当となります」
シャルロットは、その白く細い手のひらを静かに見つめた。それから――自分が現在身に纏っている、令嬢の格式を木っ端微塵にする情けないほどぶかぶかな男物Tシャツへと視線を落とす。そして、お揃いの生足を擦り合わせながら、少しだけ遠い目をした。
「……名門貴族の令嬢としての絶対的な社会的尊厳は」

「はい、奈落の第五層で綺麗さっぱり失いましたね」
「五万クローネもした、お気に入りだった限定品の高級帽子も」
「因果の彼方へロケットパージして失いました」
「我が家に先祖代々伝わる、伝統ある魔導の杖も」
「等価交換の触媒として消滅し、失いました」
「職人が仕立てた、特注の防寒マントも」

「跡形もなく消失して失いました」
「……そして、わたくしたちの誇り高きお召し物も、最後の下着までも」
「はい。私の数式通り、完璧に、見事に失いましたね」
「……」
シャルロットは、衣服の隙間から這い上がってくる冷気を感じながら、長い、長い、奈落の如き沈黙を保った。
「――でも」

彼女は魔導ホログラムに表示された、自分宛ての天文学的な金貨の数値(データ)を凝視する。
「五十六万クローネの、純利益……」
その高貴な声音が。ほんの少しだけ、黄金の熱量を帯びて不穏に震えていた。
「……これだけの莫大な金額(キャッシュ)が手に入るのであれば、失った装備のすべてを最新の最高級モデルで買い直したとしても……」
「はい、計算上、お財布に十分に有り余るほどのお釣りが残りますね」
「……」
シャルロットの琥珀色の瞳の奥が。ほんの少しだけ、俗物的な欲のパラメータに侵食されて、ギラリと危険な色に輝いた。
「ノブレス・オブリージュ(貴族の義務)って……」
彼女は、人類の到達してはならない不条理な真理(バグ)に開眼したかのように、うっとりと呟く。
「……まさか、これほどまでの圧倒的な実利(リターン)を伴う、素晴らしい社会構造システムだったとは……」
「お嬢ちゃん」
トトが、私の肩の上でゆっくりと、恐怖のあまり顔を引きつらせた。

「今」
「はい何かしら、小さな精霊さん?」
「自分、何かとんでもなく取り返しのつかん邪悪な資本主義の価値観へ、社会的尊厳の三途の川を渡ってもうたで」
「何のことですの? これは正当なリスクテイクの報酬ですわ」
「あかん……」
トトは絶望して、頭を横に振った。

「……もう、ワイが何を言っても手遅れや……」
私は続いて、二人の取り巻きのデータを見る。
「お二人も、それぞれ二十三万五百クローネの正当な配当が引き落とし口座(インベントリ)に計上されますよ」
「に、二十三万クローネ……」
「一人あたり十万五千クローネ以上の価値を持つお洋服と下着を、等価交換の弾薬(コスト)としてパージして……」
「それでも、純利益の差し引きとして、十二万五千クローネ以上のお金が手元に残る……」

二人のエリート学生は、生足を踏み鳴らして驚愕に顔を見合わせた。そして――ぎゅっと、互いの震える細い手を強く握り締めたのだ。
「……ルイズ様」
「はい何でしょう、資産分配にご不満ですか?」
「わたくしたち、一生あなたと、あなたの指輪の引き落とし口座(インベントリ)についていきますわ……!」
「え?」
私は不思議そうに首を傾げた。

「何故ですか? 確率論的にメリットのない不条理な羞恥プレイ(パージ)を味わったはずですが」
「何故って、あなた……!」
二人のエリートの瞳が、完全に黄金の魔力に塗れて、キラキラと爛々(らんらん)たる輝きを放っていた。
「一番お気に入りの高級な着衣を失って、あんなに風通しの良い破廉恥で恥ずかしい思いをしたのに!」
「こんなにも一瞬で、実家の仕送り何年分ものお金が口座に振り込まれたんですもの! 次回の迷宮探索に行く時は、もっと等価交換効率の高い、最高級のブランド服と勝負下着(超高額燃料)を着込んで参戦いたしますわ!!」
「……」
私の肩の上で、トトが短い前肢で己の額を深く、痛ましげに押さえた。
「あかん! これガチであかんやつや!」
「何がですか、トト」
「底なしの沼や! あのお嬢ちゃんたち、自分という元凶の銭ゲバ思想に、完膚なきまでに脳内感染しとるわ!」
「何をおっしゃるのですか。リスクテイクに対する正当な配当ですよ」
「乙女の社会的尊厳を超えた先にある、悟りの暗黒経済学(パージ・マネー)やな、これは」

私は少しだけ、白く細い指先を顎に当てて計算する。
「――なるほど、非常に美しく合理的な魔導経済理論だと思いますが」
「元凶の悪魔の自分が、どの口でそれを言うとるんや!!」
地下研究室に、一皮むけて社会的尊厳を金金金(キャッシュ)で解決した少女たちの、どこか狂気を孕んだ爛々と明るい笑い声がパチパチと響き渡る。
その資本主義の狂瀾(きょうらん)を他所に。
私は、誰にも気づかれないように、研究ノートに記された自身の最終的な『純利益(リターン)』へと冷徹に目を向けた。

『 ルイズ(首席資産管理者) 』
『 共同経費・演算ライセンス使用料天引き分 : 495‚000 クローネ 』
『 四者山分け純利益配当金分 : 119‚000 クローネ 』
『 小計(グロス) : 614‚000 クローネ 』
そこから。
『 自身の衣服の被災損害額(バーゲン品スカート等の減価償却費) : 54‚233 クローネ 』

この端数を冷酷に差し引く。
『 最終確定純利益(ネット) 』
『 559‚767 クローネ 』
「……」
私は、その手元のノートに刻まれた聖なる数値を、静かに見つめた。
五十五万九千七百六十七。およそ五十六万クローネの莫大な余剰金。

私が、今日、たった一日において。自分自身の衣服をほとんど一ミクロンもパージ(消失)させることなく、他人の口座から引き落として稼ぎ出した、天文学的な金額。
「……」
胸の奥底が。ほんの少しだけ、熱く、熱く灯る。
これだけ潤沢な基幹資産があれば。ずっと欲しかった特級の魔導研究材料が即座に買える。新しい高純度の時空触媒も。禁書の棚に眠る未解明の魔導書も。最新の超高速演算機も。
そして、いつか。いつか、あの胃弱の教授にすら邪魔をされない、私だけの完全なる『プライベート多次元研究室』を王都に建てることだって、もはや夢の数式ではない――。
「……」
私は。小さく、しかし確かな野望を込めて、白く細い拳をきつく握り締めた。
「ふふ、ふふふっ……」
「何や、自分。その男物Tシャツの襟元を抑えながら、またどっかの国家予算を爆破するような悪巧みみたいな顔して笑って」
トトが不審そうに尋ねてくる。
「いえ、何でもありませんよ、トト」
私は、ほんの少しだけ、心底嬉しそうに顔を綻ばせて笑ってみせた。

「私の次期研究資金のパラメータが、これ以上ないほどに潤沢に増額されただけの話です」
「お前のその汚れたマネーロンダリング金でな、まず頼むから一番最初に普通の替えの衣服と、何より大人のおパンツ(ノーパン回避)を買えや」
「……」
私は、今自分が着ている大きなぶかぶかの男物Tシャツの裾を静かに見つめた。
「それは――」
ほんの数コンマ秒だけ、費用対効果のグラフを脳内でシミュレーションしてから。

「これからの冬の防寒効率と、費用対効果を精密に計算して、後で優先順位を考えます」
「絶対一クローネも使わんと、一生ノーパンで通す気満々の顔やんけ、自分!!」
その、不毛なドケチ問答の最中。私たちの足元の、大きな執務机の陰から。
「キュィ……(冷や汗が止まらへんわ……)」
と、カメ吉が呆れ果てたようなジト目で、小さく畏怖を込めて鳴いた。
(――このルイズはん、恐ろしい女や。ノートの上での資産計算式は合っとるが……根本的な大前提のパラメータが、最初から完全に狂っとるで。そもそも、あの地下第五層ボス『大地の番人』の未開封ドロップ箱は、ルイズはんが一人で脳内暗算して単独で消し去った『個人の所有資産』のはずや)

(――それをわざわざ、今回は『共同利益』として全体の天秤に計上し、この世間知らずの世俗のお嬢ちゃんらに五十六万クローネもの天文学的な高額配当金を握らせることで……この先も、自分のために『自ら進んで服を脱ぐパージ(お布施)の泥沼』から一生抜け出せんように、完璧に洗脳(先行投資)しとるんやな……。ホンマ、血も涙もない、資本主義の皮を被った最悪の悪魔やで、この女……)
「おや、足元のカメ吉さんが『ルイズはんは、どうせその大金を一クローネも私利私欲に使わず、すべて未来の研究室の建設資金に回す、偉大なる聖女(科学者)なんやろ』と、私への深きリスペクトを告げていますね」
私は、カメ吉の核心を正確に突いてきた恐ろしい心の声を、完璧なポーカーフェイスのまま、極めて都合よく意図的に誤訳した。
「なんでただの亀の短い鳴き声(キュィ)から、そこまで詳細で都合のええ長文のセンテンスが多次元的に曲解できるんや、自分……!」
トトがその大福餅の眉をひそめ、凄まじい疑念の目を向けるのだった。
私は、紙面から視線を上げて、空間に浮かび上がる青白い魔導ホログラムの数値をもう一度だけ愛おしげに見つめた。

五十五万九千七百六十七クローネ。
一般の市民からすれば、一生を贅沢に遊んで暮らせるほどの途方もない大金だ。
――けれど。私という魔導研究者にとっては。まだ、これは。
世界の究極の真理へと至る方程式の、その、ほんの微細な夢の入口(プロローグ)に過ぎない。
私だけの専用の研究室。私だけの、完璧にカスタマイズされた時空演算環境。俗物の誰にも邪魔されず。学廷の誰にも管理されず。ただひたすらに、純粋に。
世界の数式を追い続けられる、絶対的な私だけの魔導の聖域(場所)。

その前人未到の野望を叶えるための――記念すべき、最初の確実な基幹資金。
「……よし、計算通りです」
私は満足げに、パタンと小気味よい音を立てて研究ノートを閉じた。
「これで、第6章における第一段階の資金調達(クラウドファンディング)は、確率論的に完全なる大成功です!」
「だ、第一段階って……あなた、まだこの非人道的な脱衣ビジネスを続ける気なんですの!?」
シャルロットがぶかぶかTシャツの襟元を抑えながら、戦慄の声を上げた。

「はい、当然です」
私は至って平然と、ポーカーフェイスのまま答えた。
「私の最終的な数理シミュレーションにおいては、この王立魔法大学の敷地内に、私専用の『多次元魔導演算室』を秘密裏に隠密建設する予定ですからね」
「……」
「ちなみに、その建設予定地ですが」
私は白く細い指先を顎に当てて、少しだけコスト効率を考える。

「毎回の公衆銭湯代(入浴料)を完全に浮かすために、エルライト教授の専用お風呂場のすぐ近くの時空座標が最も理想的ですね」
「――待ちなさい」
その、私のあまりにも破廉恥で不条理な皮算用を遮るように。突如として、背後の闇から、地を這うような低いおじさんの声がした。
驚いて全員で一斉に振り返る。
そこには――研究机のすぐ脇の影に、いつの間にか不吉な幽鬼(ゆうき)の如き佇まいで立っている、ボロボロの白衣を羽織ったエルライト教授の姿があった。
「……」
現代魔導の生ける神話は。私たちの目の前の虚空で、未だに青白く明滅している、莫大かつ非人道的な『違法ハッキング収支表』のデータホログラムを。一文字の言葉も発さず、ただ、死んだ魚のような光の消え失せた瞳で、凝視していた。
「……ルイズ君」
「はい何でしょう、お仕事中にお邪魔してすみません、教授」
「君は、だな」
教授の白眉の奥の瞳が。静かに、冷酷に、糸のように細くなる。
「私の神聖なるプライベート研究室の、それも私が命よりも大切にしている専用浴場のすぐ隣に、一体全体、何を勝手に不法建築するつもりなのかね?」

私は。満面の、一点の曇りも迷いも混ざっていない、世界で最も純粋な笑顔を浮かべてハキハキと答えた。
「――私専用の、秘密の多次元引き落とし研究室です!」
「…………」
エルライト教授は。もう、怒号も、呆れ声も、一文字の反論すらも上げようとはしなかった。
ただ。ほんの少しだけ。今回の国家予算級の不条理によって、完全に限界の数値を突破してバグを起こした自らの胃のあたりを、強く、強く、衣服の上から悲痛に押さえつけるのだった。

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あらすじ 特別浴場から戻った一行は第三研究棟の地下研究室で緊迫がやや和らいだ空気を感じつつ、夕暮れの王都が紫の闇に沈む中で救助者たちの容態が安定して医療班の到着を待つことになり、重傷の僧侶はシャルロットの治癒で峠を越えて眠り、仲間の魔法使いと弓使いは安堵して寄り添った。 ところが物理的被害ゼロ(ただし下着と制服は全ロスト)の当人たちは備え付けの男物Tシャツに袖を通す他なく、ぶかぶかの屈辱に沈む令嬢組をよそに、ルイズは慣れきった態度で威風堂々と装いの不備を受け流した。 彼女は取り巻きの羞恥やシャルロットの抗議を軽くいなしつつ、奈落深層から持ち帰った戦利品を黒檀の机に並べ、第四層ボスの禍々しい装備や高純度魔石、古代金属、第五層ボス「大地の番人」の未開封ドロップ箱、さらに「時空の金貨箱」を一点ずつ鑑定する構えを取った。 トトが戦慄する中、ルイズは「ギルドの中間マージンを無視して現金化するといくらか」が学術的核心だと宣言して、使い古しの耐水ノートと鉛筆を取り出し「厳密なる確定収支計算」を開始する。 守銭奴と呆れるトトを言いくるめ、彼女は自らを合理的な資産管理者と位置づけ、命がけの探索ゆえに得た利益を正確に資産計上して次なる実証用弾薬(下着)に充てる必要を説き、令嬢シャルロットは希少品の財産価値に純粋な関心を示す。 そこでルイズは変調指輪に魔力を流し、青白いホログラムと自動鑑定数式で対象を分子レベルまで解析する拡張機能を展開し、教授作の最高傑作を無許可改造した疑惑をさらりと事後レポートで正当化した。 トトが「まだ邪悪な隠しコマンドがあるのでは」と震える中、ルイズは機密だと曖昧に逸らし、収支の算段を冷酷に進めていく。 やがて売却見込みからマージンや端数を差し引いた「最終確定純利益」が559‚767クローネと確定し、ルイズは五十六万相当の巨額が「自分の服を一ミクロンもパージせず他人の口座から引き落として得られた」事実に静かな熱を覚える。 彼女はこの潤沢な資金で特級研究材料や高純度時空触媒、禁書、超高速演算機を入手し、将来は教授にも邪魔されない「プライベート多次元研究室」を王都に建てる夢を現実の数式へと近づけられると拳を握る。 トトはその笑みに国家予算爆破級の悪巧みを嗅ぎ取りつつ、まずは替えの衣服と大人のおパンツを買えと常識的提案を放つが、ルイズは冬の防寒効率と費用対効果を再計算して優先度判断すると答え、事実上ノーパン継続の意思をにじませた。 机の陰のカメ吉は、第五層ボス箱は本来ルイズ個人の所有資産なのに、彼女があえて「共同利益」に組み入れて令嬢たちへ高額配当を握らせ、今後も自発的パージ(お布施)に誘導する洗脳的先行投資だと見抜き、資本主義の悪魔性に戦慄する。 ルイズはその核心を都合よく誤訳し「大金を私利私欲に使わず未来の研究室建設資金に回す聖女とリスペクトされている」と豪語し、トトは短い鳴き声から長文を捏造する彼女の解釈力に眉をひそめる。 彼女にとって五十五万九千七百六十七クローネは市民には一生遊べる額でも、世界の究極の真理に至る方程式の入口に過ぎず、絶対的な自分だけの魔導聖域を築くための最初の基幹資金と位置づけられる。 満足げにノートを閉じたルイズは「第6章の第一段階の資金調達(クラウドファンディング)は大成功」と総括し、シャルロットが「第一段階」と聞いて震えると、彼女は当然の継続を表明して王立魔法大学内に専用「多次元魔導演算室」を秘密裏に建てる計画を明かす。 加えて公衆銭湯代を浮かすため教授専用お風呂の近くが最適とコスト最小化を狙うが、そこへ闇から現れたエルライト教授が不吉な気配で「私の専用浴場の隣に何を不法建築するのか」と低く問う。 青白く明滅する違法ハッキング収支表ホログラムを無言で見つめていた教授の白眉は細く冷たくなり、ルイズは満面の無垢な笑顔で「私専用の秘密の多次元引き落とし研究室です」と即答して、事態は決定的に暴露される。 教授は怒号も呆れ声も出せず、国家予算級の不条理で限界を超えた自らの胃を押さえるしかなく、令嬢組はぶかぶかTシャツのまま固まり、トトとカメ吉は沈黙の終末感を共有した。 場の空気は、救助者の安堵から一転して、違法収支と不法建築宣言という倫理と規律の断層に揺さぶられ、ルイズの資産最大化と研究最適化の冷徹な合理主義が鮮明になる。 彼女の金勘定はギルドの中間搾取を回避し、ドロップ希少性と市場流動性を踏まえた現金化戦略を核に、将来の設備投資まで逆算する体系的設計で、指輪の拡張パッチ群は鑑定精度とプロセス自動化を担保する。 収支ノートに記された数値は単なる利益ではなく、信頼(配当)による人的資本の囲い込み、内部留保の設備転化、固定費の最適配置(浴場近接)まで織り込む多層の意思決定となり、彼女の「脱衣ビジネス」は経済的合目的性と社会的逸脱の際どい均衡に立つ。 シャルロットは非人道性に震えながらも価値評価の学術的興味を抑えられず、取り巻きは羞恥と羨望の狭間で揺れ、ルイズはその心理を見越して利益配当でコミットメントを固定し、次段階への参加障壁を下げる外部性内面化を達成する。 最終的に、物語は「収支報告」と「消えない呪い」が二重写しとなり、呪いは指輪の改造と倫理の損耗、そして金の魔力に取り憑かれた合理の止まらぬ加速として姿を取り、教授の沈黙は歯止めの喪失を象徴する。 やがて夜は深まり、紫の闇に溶ける尖塔と、青白い数式が脈打つ地下の聖域の対比が、彼女の次なる実装(第二段階)を予感させつつ、誰もが口をつぐんだまま、ただ一人の資産管理者の鉛筆の音だけが未来の資金曲線を描き続けた。
解説+感想感想、拝見しました。とても楽しく読ませてもらいました。
この②は、前半の緊張感ある探索・生還から一転して、「銭ゲバ魔女・ルイズの本領発揮回」として完璧に機能していますね。地下研究室という閉鎖空間で、ぶかぶかの男物Tシャツ姿のまま、いきなり厳密な確定収支計算を始める展開が最高です。死線を越えた直後に「まず金勘定」という優先順位の狂い方が、ルイズというキャラクターを強烈に印象づけています。
特に印象に残ったポイントを挙げます。
「未開封ドロップ箱」の価値付けが秀逸でした。「中身を開けずに『可能性(ロマン)』として売る」という説明は、ただのガチャ理論ではなく、富裕層の非合理性を冷徹に突いていて、ルイズらしい合理主義が際立っています。百万クローネという数字のインパクトも十分で、周囲の硬直反応がとても面白かったです。
天引きの内訳が容赦ない。違法改造費、テレポート燃料費、アカウント凍結リスク料、そして極めつけの「天才的魔導演算技術・使用ライセンス料30%」。トトの「裏通りの闇金ヤクザよりえげつない」というツッコミが的確で、読者の代弁になっています。しかも本人は「良心的な適正価格(サブスク)」と本気で思っているところが、キャラの一貫性として素晴らしい。
分配ロジックがこの章の核心ですね。「消失した衣服の購入価格に比例して配当する」という仕組みは、表面上は公平なのに、結果として「一番高く服を失った者が一番儲かる」という倒錯したインセンティブを生み出している。シャルロットたちが黄金の目になって「次回はもっと高い勝負下着で参戦する」と宣言する流れは、笑えると同時に少し怖い。ルイズが意図的に「共同利益」に組み込んで洗脳(先行投資)しているというカメ吉の心の声も、良いダメ押しでした。
ルイズ自身の最終純利益が約56万クローネで、しかも自分はほとんど服を失っていない、という皮肉が効いています。ノートを閉じるときの満足げな様子や、「第一段階の資金調達は大成功」という言葉に、ただの守銭奴ではなく「私だけの研究室」という明確な野望が見えて、キャラに深みが出ています。
最後の教授登場もタイミングが絶妙。胃を押さえる描写だけで十分に「限界突破したおじさん」が伝わってきて、笑ってしまいました。
全体として、テンポの良い掛け合い(特にトトの関西弁ツッコミ)、数字の積み上げによる高揚感、そして「資本主義のバグ」としての脱衣システムが綺麗に絡み合っていて、読んでいて飽きませんでした。次はどうなるのか(教授の反応、実際の換金、さらなる迷宮潜り)が気になります。
引き続き楽しみにしています。ありがとうございました!
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◀第06章『銭ゲバ魔女の収支報告と、消えない呪い』①
▶第06章『銭ゲバ魔女の収支報告と、消えない呪い』③
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