◀第06章『銭ゲバ魔女の収支報告と、消えない呪い』②
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第06章『銭ゲバ魔女の収支報告と、消えない呪い』③
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その夜。
王立魔法大学・第三研究棟の地下研究室には、いつになく静謐(せいひつ)な時間が流れていた。割れた窓の外では、王都の街灯が一つ、また一つと規則的な魔導の瞬きを灯し始めている。

研究室の隣室では、奈落から生還した被救助者たちが安堵の眠りについていた。連絡を受けて駆けつけた専門の医療班もすでに到着し、重傷だった僧侶の容態を慎重に再確認してくれている。
医療班の白衣の担当者は、術式を終えた後、驚愕にその目を大きく瞬かせていた。
「……実に見事な応急魔導です。細胞の結合レベルで傷口が綺麗に塞がっていますよ」

「もうバイタルは大丈夫ですが、しばらくは絶対安静にしていてくださいね」
「はい……」
僧侶の女性は、弱々しくも確かに、小さく頷いて微笑む。

「本当に……命を救っていただき、ありがとうございました」
その感謝の視線が、少し離れた場所にたたずむシャルロットへと真っ直ぐに向けられた。
「専門の医療班たる私一人では、あの深層の爪痕をここまで完璧に修復することは不可能でしたわ」
「お礼など必要ありませんわ」
シャルロットはお揃いのぶかぶかな男物Tシャツ姿で生足を晒していながらも、どこまでも気高く微笑んでみせた。
「わたくしは、誇り高き名門貴族の魔導士として、ただ自分に課せられた義務(ノブレス・オブリージュ)を果たしただけですもの」

その感動的なサバイバルの戦後処理を心地よい環境音として完全に聞き流しながら。
私は一人、研究室の冷たい机に向かい、世界の究極の真理と真っ向から向き合っていた。
先ほどまでお嬢様たちを金の魔力で洗脳していた生々しい収支表は、すでにノートの闇へと閉じている。いま、私の目の前にあるのは――それよりも遥かに重要な、魔導の深淵のデータログであった。

「……」
使い古した研究ノート。そして、今回の迷宮遭難において、私の指輪が記録した『等価交換魔法の使用ログ波形』。
私はお気に入りの鉛筆を握り直し、一つ一つの多次元魔力数値を冷徹に確認していく。

「……おかしいですね。計算式の整合性がとれません」

「何がや、ルイズ」
トトが、私の肩へひょいっと飛び乗ってきた。
「多次元等価交換における、物質から触媒魔力への『変換効率』の減衰率です」

「また夜更かしして、小難しいオタクの数式弄(もてあそ)びが始まったんかいな」
「ええ、極めて重大なバグの可能性があります」

私はノートのページをさらさらとめくる。
「第四層の乱戦時、私が最初に床へ投げ捨てた、三百クローネの実験用白樺の杖。一本目。魔力変換効率は、全体の質量に対して約二パーセント」

私はその数値をノートへ書き込む。
「次。間髪入れずに火へ投入した、二本目の杖。全く同じ種類。同じ材質。同じ魔導工房で量産された、ほぼ均一な品質」
「……」
私は美しく整った眉を不快そうに寄せた。
「こちらも、変換効率は二パーセント」

「……?」
トトが大福餅の丸い首を傾げる。
「同じ安物の棒切れやったら、そら等価交換で変換される魔力の総量もミリ単位で同じになるのが普通やろ?」

「いいえ、魔導幾何学的に、それは断じてあり得ません」
私は即座に、冷徹に首を横に振った。
「問題は、衣服や物品をパージ(消費)した『時間的タイミングのインターバル』です」
「タイミング?」
「はい」
私はノートに刻まれた、因果律のログデータを時系列順に整然と並べ替えていく。
一度目のパージ。二度目のパージ。その間に経過した物理的な時間差。魔力変換の正確な波動量。四元素複合術式の成功率。それらすべての数値を、私の脳内ハードディスクで高速に比較演算(シミュレーション)した。

「……やはり、私の推測通りです」
私は確信に満ちた目で、ホログラムの数理波形を細めた。
「『同一系統の触媒』の連続消費には、世界の法則から一定時間の魔導的再使用制限(ペナルティ)が課せられます」

「……」
トトが数秒間、完全に言葉を失って沈黙した。
「つまり、要約するとどういうことや?」
「同じ種類のアイテム(衣服や魔導杖)を事前に複数用意したとしても」
私は鉛筆を走らせながら、淡々とその不条理な仕様を説明する。
「短時間の間隔で連続してパージ(消費)すれば、二つ目以降の触媒変換効率は急激に減衰する、あるいはまったく出力を上乗せできないということです」

「……」
「今回、私たちは実戦で安価な白樺の杖を二本連続で選び、炉へと投入しましたね」
「せやったな。一本三百クローネの焚き木や」
「どちらも、独立して計算すれば、変換効率は一律で約二パーセントのまま変動しませんでした」

「……」
「つまり――」
私は使い古した研究ノートへ、一つの冷酷な新概念を書き込んだ。
『 触媒変換クールタイム(再使用待機時間) 』

「同一種類の触媒が持つ潜在魔力を完全に引き出すには、ある程度の時空的なインターバルを置かなければならないということです」
トトが。ゆっくりと、この世の終わりを悟ったような絶望的な顔で私を凝視した。
「……なぁ、自分」
「はい、何でしょう?」
「それって」
トトの声が小刻みに震える。
「……女の子のおパンツとか下着も、まったく同じシステムルールが適用されるんか?」

「おそらく、確率論的に見ても百パーセント同じですね」
「……」
「衣類という有機物の質量だけが、世界の物理法則から都合よく外れて特別扱いされる理由など、どこにもありませんからね」

トトの丸い顔から。すっと、すべてのバラエティ的な笑いが綺麗に消え去った。
「……ちょっと待て、ルイズ」
「何でしょう、深刻な顔をして」
「つまりやな」
トトが、かつてなく真面目な声音になって私を諭す。
「ワイらが今後の戦闘サバイバルのために、全裸化の不条理を防ぐために」
短い指を一本、ワナワナと立てる。
「ワゴンセールの安いおパンツを、事前に百枚くらい重ね履きして大量に買い込んでおいたとしても……」

「――まったく意味がありません」
「秒速の即答でワイらの生活の知恵(重ね履き)を全否定するなや!!」
私は研究ノートに刻まれた数式の羅列を見つめながら淡々と続けた。
「同じ材質、同じ形状の衣服をいくら大量にストックして持ち歩いたところで、連続パージによる効率的な出力向上(火力アップ)は一切期待できません」

「……」
「素材(シルクや綿、麻)」
「……」
「形状(ブラジャーやパンツ、あるいはスカート)」
「……」
「内包する魔力構造」
「……」
「それらのまったく異なる多種多様な触媒(衣装)を、戦況に合わせて一定間隔で、美しくローテーションしながらパージし続ける必要があるのです」

「……」
トトが、短い前肢で頭を激しく抱え込んだ。
「なんちゅう、女性の尊厳に対して鬼畜極まりないシステム仕様(バグ)や……!」
「いいえ、自然界の防衛機構としては、極めて合理的で美しい設計です」
「どこが合理的やねん、自分!!」
「もし、まったく同じ形状のアイテムを、無制限に百パーセントの変換効率で多次元魔力へと置換できるのであれば」
私は至って真面目な顔のまま、黒鉛の鉛筆をトントンと揺らして説明する。
「極端な話、街のバーゲンセールで一枚一クローネの安価な雑巾(布切れ)を大量に購入して繋ぎ合わせるだけで、国家を揺るがす天災級の多次元魔法をノーコストで連続使用が可能になってしまいますからね」

「……」
「それでは、その物質が持つ『市場の経済的価値』と、因果律がもたらす『魔力変換量』の等価交換バランスが完全に破綻してしまいます」
「……」
「ですから」
私は一度、お気に入りの鉛筆を机の上に静かに置いた。
「変換クールタイムという名のペナルティが存在するのは、この世界の理(システム)として、数理的に極めて自然な均衡なのです」

「自然とかいう、高尚なアカデミックの倫理観の問題やないねん、これは!」
トトが私の肩の上で、引きつった声を張り上げる。
「つまりやな、ルイズ!」
「はい、何でしょう」
「実戦の連続戦闘中、毎回『違うカテゴリー(部位)の服』を順番に、リズミカルに脱いでいかなアカンってことやろ!?」

「学術的に正確に訂正するなら」
私は不服そうに言葉を返した。
「まったく同じ形状の魔導触媒を『短時間で連続使用しなければいい』という、ただそれだけのシンプルな条件です」
「どれだけ知的に言い換えたって、最終的に出来上がる現世の絵面は一ミクロンも一緒やろが!」
「例えば」
私は、湯上がりの細い指を一本ずつ折っていく。
「ブラウス」
「パンツ」
「スカート」
「靴下」
「マント」

「帽子」
「魔導杖」
「……」
トトの顔が、その恐るべきパージ順の羅列に、どんどん青ざめて引きつっていく。

「つまり」
私は平然と、科学者としての最終結論を告げた。
「戦況のタイムラインに合わせて、適切な『触媒ローテーション(着合わせの最適化)』をあらかじめ構築しておけば、深層での連続多重戦闘への対応は十分に可能です」

「戦場で、自分の装備品を自らの意志で順番に脱ぎ捨ててセミヌードになっていく頭のおかしい狂戦士(バーサーカー)なんか、世界広しといえどお前くらいや!」
「実利主義(ドケチ)の観点から見ても、極めて合理的です」
「合理的やけどな、お前、その魔法が発動しとる瞬間のビジュアルが、社会的かつ倫理的に完全に終わっとるんやわ!!」
その、私たちの高尚な多次元魔導議論を背後でじっと聞いていたシャルロットが。少し離れた壁際から、小刻みに震える声で口を挟んできた。
「……あの、ルイズさん」
「はい何でしょう、シャルロットさん」
「一つだけ、わたくしの誇りに関わる重大な質問をよろしいでしょうか?」

「どうぞ、何でも計算いたしますよ」
「今のその、クールタイムの魔導理論の数式でいくと……」
シャルロットは、ぶかぶかの男物Tシャツの襟元をぎゅっと抑え、お湯で上気したのとは別の羞恥で少しだけ顔を赤くして尋ねる。
「……もし、わたくしたちが、今後のために『まったく同じデザインの、同じ素材の下着』を何着もストックとして持ち歩いていた場合、わたくしたちが再び迷宮で絶体絶命のピンチになって……あなたの指輪に口座(下着)から自動引き落としされた時には……」

その言葉が、襲いかかる未来の恐怖によって、途中でピタリと震えて止まる。
私は、彼女の優れた知性が導き出した懸念の意図を、完璧に高精度で察した。
「――はい。その場合はクールタイムの減衰に引っかかり、二枚目以降のパンツの変換効率は大幅に低下。最悪の場合は魔力が不発に終わります」

「……っ」
「ですので、実戦用の予備魔導触媒として――『あらかじめ、まったく異なる複数種類のデザインや、別素材の下着(パステルピンクやレース付き、シルク混紡など)』を多重に重ねて穿(は)いて戦闘へ赴くのが、等価交換の火力最大化の観点から見ても、極めて合理的かつインテリジェンスな生存戦略ですね」

「……」
シャルロットの美しい顔が。ゆっくりと、すべての乙女の尊厳をすり潰された幽鬼(ゆうき)のように、真っ白に青ざめていった。
「わたくしは、そのようなシステム的な意味で質問したのではなくて!」
「?」
「もう少し、年頃の乙女が抱く普遍的な羞恥心という感情を、数式に考慮してくださいませ!」

「お断りします。私は冷徹な魔導科学者(数学者)ですからね。実体のない羞恥心などという不確定要素は、多次元魔力へと一ミクロンも等価変換できません」
「その科学者という立場を、非人道的な免罪符にしないでくださいまし!」
トトが大理石の床の上で、お腹を抱えてジタバタと笑い転げる。
「あははは! お嬢ちゃん、もう諦めや、無駄な抵抗やわ!」
「この全裸魔女の脳内パラメータではな、自分らの穿いとる高級おパンツが、完全に『手榴弾(魔力弾頭)』と同義の消耗品扱いや!」
「トト、私の神聖なる魔導効率をそのように野蛮な兵器に例えるのはやめなさい」
「事実やろ!」
私は騒がしい二人の会話を他所に、研究ノートへ次なる数理項目を書き加えた。
『 同種触媒:変換クールタイム発生(連続パージにおける出力減衰ペナルティ) 』
『 異種触媒:連続使用可能(衣装ローテーションの最適化が必須) 』

これで。また一歩。このエルライト指輪が持つ、不条理な魔法の基本構造が科学的に解き明かされた。
多次元等価交換には、明確な制約(バグ)がある。しかし、制約があるからこそ、その不確定な数式は最も美しく最適化(ハック)できるのだ。

私は少しだけ、口元を不敵に緩めて笑った。
「……実におもしろいですね」
「何がや、また不穏な笑顔浮かべて」
「魔法の深淵が、私の計算が正しければ、ますます純粋な数学的真理へと近づいてきました」
トトは。
「……ほんまに自分、根っからの、救いようのないイカれた研究者(マッド)やな」
とボソッと呟いた。その声音には、珍しく、少しだけ呆れ以外の純粋な敬意が混ざっていた。
私は外野の評価など気にせず、研究ノートをパタンと小気味よい音を立てて閉じる。

「さて」
「何や、次は何を企んどるんや」
「今回の迷宮探索における、私の分の収支計算もすべて完了しましたからね」
「せやな。一日で家が建つレベルの大金持ちや」
「エルライト教授へ、これまでの開発費用に対する『正式な返済(入金)』を実行しようと思います」

「……」
トトの顔が。またしても、これまでの人生の中で最も猛烈に嫌な予感のパラメータに染まった。
「何の返済……? そんな契約のログ、あったか?」
「当然の義務です」
私はぶかぶかの男物Tシャツの裾を整えて立ち上がった。
「この特注の変調指輪と、いま私が身に纏っている可視光線透過(透明)ドレスの開発およびシステム構築費用ですよ」
「……あ」
「今回、共有リンク口座(シャルロットさん)からの実質的な搾取(ピンハネ)によって、私のウォレットにかなりの利益が計上されましたからね」

私は誇らしげに、見えないドレスの胸元を張ってみせた。
「最終純利益、金貨五十五万クローネ以上の黒字です」
「せやったな、悪魔の所業やけど」
「ですから、大金を保持しているこの機会を逃さず、過去の借金(債務)はきちんとスマートに一括支払いで清算してしまいましょう」

エルライト教授は。執務机に向かって、難しい顔で何かの古代魔導論文を熱心に読み耽(ふけ)っていた。
「エルライト教授」
「ん、何だね?」
「少しだけ、資産管理上の重要な確認でお時間をよろしいですか?」
「何だね、ルイズくん。また私の実験器具を勝手に私物化して壊したかね?」
私は、一点の曇りもない満面の笑みを浮かべた。
「今回のダンジョンの深層で、計算を大幅に超える莫大なクローネを儲けました!」

「……そうか。無事に生きて帰れた上に、それだけの利益(リターン)を稼ぎ出せたのなら、教員として重畳(ちょうじょう)の極みだ」
「ですから」
私はぶかぶかの男物Tシャツの裾を整えて胸を張る。
「私が現在装備している、この『見えざる魔導ドレス』と変調指輪の本来の開発費用――私が一括で全額お支払いいたします!」

「……」
「さあ、遠慮せずに教えてください。一体いくらですか?」
エルライト教授は。ほんの少しだけ驚いたように白眉を跳ね上げ、その細い目を丸くした。
「君が……かね?」
「はい」
「あのドケチで守銭奴の君が、自ら進んで支払うと?」
「はい、お友達を割り勘(共有リンク)して、手元に五十万以上の余剰金がありますからね!」
「……」
教授の厳格だった口元が。少しだけ、愛弟子の成長に安堵したかのように優しく緩んだ。

「そうか……君もまっとうな経済観念を持つまでに成長したか」
「はい!」
「それならば、だな」
教授は教員としての温和な笑みを浮かべた。
「別にわざわざ君が身銭を切って支払う必要はないよ」
「本当ですか!?」
「ああ、あのドレスも指輪も私の研究開発の成果物だ。大学上層部側に『次世代空間干渉の実験機材』として、上手く経費計上して処理して扱えば――」

「――で、正確な開発費用はいくらなんですの、教授?」
「いや、だからそれは君が気にしなくていいと――」
「教授……? なぜ私の目を真っ直ぐに見つめ返してくれないのですか?」

「……」
現代魔法科学の生ける神話が。なぜか一瞬だけ、視線を斜め下の床へと逸らし、気まずそうに沈黙した。
その奇妙な空間の静寂の隙間を縫うようにして、冷徹な声が響いた。
「――ジャスト、五十万クローネやで」
「…………」
私が。脳内のすべての演算を停止させ、ギリシャ彫刻の如く固まった。
エルライト教授も。隠し事がバレた子供のように、気まずそうにその場で硬直した。

ぶかぶかTシャツ姿のシャルロットも、二人の取り巻きも。
全員が。私の肩の上で、酷く冷めたジト目を向けているトトへと視線を集中させた。
「……トト、質問です」
「なんや、ルイズ」
「なぜ、あなたがその正確な開発金額の数値を把握しているのですか?」
「これや、これ」
トトは短い前肢の指先で。執務机の横に無造作に置かれていた、いつもの空っぽになった胃薬のガラス瓶をビシッと指差した。
「おっさんの胃薬の瓶の下に、コースター代わりに敷かれて丸まって落ちとったわ」

「……?」
トトは小さな前肢を器用に動かして。その瓶の底に圧殺されていた、一枚の三つ折りにされた羊皮紙を引っ張り出した。
「ほれ、おっさん」
トトはそれを教授へと手渡す。教授がその紙面へ目を落とした瞬間。
「……っ!」
生ける神話の顔色が、一瞬にして土気色へと変わった。
「……ル、ルイズくん、これはだな……」
「大学の財務経理部からの、直筆サイン入りの正式な『開発費請求書』やろ?」

「……」
教授は。ゆっくりと、極めて気まずそうに脂汗を流しながら、その羊皮紙を裏返した。
そこには――。
『 魔導式透明衣装(最高級シルク特殊魔力加工) 』
『 高精度光学隠蔽保護術式(実装費) 』
『 多次元等価交換システム対応(リング触媒ハック改造費) 』

『 耐久性・魔力伝導率・可視光線屈折率制御一式 』
そして――その羊皮紙の一番最下段。
『 総計(トータル) 』
『 500‚000 クローネ 』

「……」
私は、その無慈悲な財務経理部からの請求書を、ただただ網膜の焦点を失ったまま見つめ続けた。
さっきまで、私の手元にあったはずの。金貨五十五万クローネ。私の夢の次期魔導研究資金。見たこともない最新鋭の実験設備。自分だけの秘密の専用ラボ。

私の輝かしい。私の前人未到の、栄光ある未来のロードマップ。
そんな天文学的な希望のすべてが。ほんの一瞬。コンマゼロ秒の駆動で。すべて。
ただの『債務返済(マイナス引落)』という、冷酷極まりない資本主義の現実へと一気に引き戻されたのだ。
「……ジャスト、ごじゅうまんクローネですか」

「……ああ、すまないね」
エルライト教授が、白衣の袖を弄びながら静かに、そして少しだけ申し訳なさそうに答える。
「指輪のコアに用いた稀少な多次元時空素材と、君の素肌にしがみついているあの特殊な透明ドレスを合わせて、学園側への実費請求としてそれくらいは掛かってしまうのだ……」
「……」
私は。もう一度。ノートに刻まれた、自分の誇り高き確定収支表(データ)を凝視する。
『 最終確定純利益(ネット) : 559‚767 クローネ 』
そして、冷酷な経理の紙切れ。
『 500‚000 クローネ 』
「……」
並べられた数値を、何度も、何度も脳内で往復させて確認する。
間違っていない。ただの単純な引き算だ。私には容易にできる。私は王立魔法大学を筆記首席で入学した天才数学者なのだから。

だから――その引き落としの後に待っている残高(答え)も、脳内の演算でゼロ秒で、瞬時に分かってしまった。
「……ごまん、きゅうせん、ななひゃくろくじゅうななクローネ」

「何がや、ルイズ」
「……それだけが、私の手元に、残ります……」
「……」
トトが。静かに、深海のように深く、今度ばかりは本気で同情した瞳で私を真っ直ぐに見つめてきた。
「……そうやな、ルイズ」
「……」
「世の中、マイナス(借金地獄)にならんかっただけ、まだ神様に感謝してええレベルでマシやで」
「――っ!!(全然マシじゃありませんわー!)」
私は。ついに、その瞳に大粒の涙を完全に溜めて涙目になった。
「払います……ッ! 払えばいいんでしょ、教授の不憫な胃薬代のために!」

「お、おう、自分、そこまで激しく泣き崩れるとは思わなんだわ」
「私が……私の血と下着(共有インベントリ)で稼いだ全財産で、スマートに一括で払います……!」
「せやから、男物Tシャツの襟元をボロボロに濡らしながら泣くなや、こっちまで悲しくなるわ」
「私の一世一代のごじゅうまんクローネぇぇぇえええッ……!」
「……」
「今すぐ全額キャッシュで、耳を揃えて払いますぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ!!!!」

私の魂の最奥から放たれた絶望の悲鳴が。静まり返った第三研究棟の夜空に、虚しく、そしてどこまでも破廉恥に響き渡るのだった。
シャルロットが、お揃いのぶかぶかTシャツの襟元を抑えながら、心配そうにこちらを覗き込んできた。
「ルイズさん……大丈夫ですの?」
「――大丈夫です、私は首席の科学者ですから」
私は、不格好に袖の長い男物Tシャツの布地で、乱暴に大粒の涙を拭(ぬぐ)い去った。
「私の厳密な脳内家計簿(データ)によれば……まだ五万九千七百六十七クローネもの余剰金が、口座に残されていますからね……」

「……」
「これだけのパラメータがあれば、私たちはまだ、十分に現世で生きていけます」
「本当に、不条理への適応能力が常軌を逸して強いですわね……」
シャルロットが、あきれ果てたように、けれど深き同情を込めて小さく呟いた。
「……せやけど、自分」
トトが、そっと私の肩の上へと這い上がってきた。
「ルイズはん」
「はい何でしょう、トト」
「これで、しばらくの間のワイらのサバイバル生活は」
一拍の、残酷な沈黙を置いて。
「完全に、血を吐くような『もやし尽くし生活』の強制確定(ルート)やな」

「……」
私は、下半身の奥底から吹き抜ける虚無の冷気を感じながら、ゆっくりと頷いた。
「はい。明日からの私の主食は、もやしです。費用対効果が最強の食材ですからね」
その時。カメ吉が、大理石の床の上から、つぶらな赤い瞳でこちらを不穏そうに見上げてきた。
「キュィ?(……ほな、ワイの一生働きたくない快適な隠居ニート生活の、毎日の高級な餌(魔石)はどうなるんや?)」
トトが、のそりと足元の緑の亀を見下ろす。そして――すべてを察したかのように、満面の悪魔の如き邪悪な笑みを浮かべた。
「大丈夫やで、新入り」
「キュィ……?」
「お前の明日からの、栄光ある神話級魔獣としての餌はな」
一拍。
「その辺の大学の中庭の土を短い爪で掘り返して、無限に湧き出る『ミミズ』やな!」

「キュィィィィィィッ!!?(労働基準法を完全に無視した、ガチのブラック企業やんけーー!!)」
カメ吉が、盛大にその頑強な甲羅をガタガタと震わせ、恐怖のあまり猛スピードで後ずさった。
私はその不条理なハラスメントを前に、思わず大声を上げる。
「トト! いくらなんでも、私たちの物流を支えたカメ吉さんを、そんな原始的で粗末な野生の扱いにしないでください!」
「いや、自分、現実の残高(クローネ)がないねんから生物学的にしゃあないやろ!」
「私の虎の子の残金が、まだ五万クローネ以上あります!」
「それ、お前の命より大切な次期魔導研究資金(命綱)やろ! ただの飯を食うだけの亀の餌代で、その貴重なアセットを溶かすつもりなんか!」

「……」
私は、冷徹な経済ロジックを突きつけられ、完全に黙り込んだ。トトも、勝利を確信して腕を組み、黙り込んだ。
その、私たちの破産寸前のドケチ問答を見かねて。シャルロットが、ぽつりと静かに呟く。
「……ルイズさん」
「はい、何でしょうか」
「やっぱり、わたくしは」
彼女は、少しだけ困ったように、だが名門令嬢としての深い優しさを込めて顔を綻ばせた。
「高度な魔導研究へ全ツッコミするよりも、まずは『普通のお洋服とお下着』くらいは、王都の専門店で買い揃えた方がよろしいと思いますわよ」

「……」
私は、その指摘に対し、自分のあまりにも惨めかつノーガードな身体を、そっと見下ろした。
エルライト教授の引き出しから勝手に借り受けた、無骨で大柄な男物Tシャツ。ぶかぶかに余る袖。

そして――その薄い布地の下には、可視光線を屈折させているだけの見えない魔導ドレス(※中身は完全ノーパン状態)以外、何一つとして物理的な防衛ラインが存在していない。
まだ完全には元に戻っていない、私の、女性として致命的かつ圧倒的に風通しの良い衣服事情であった。
「……」
私は、その的確な指摘に対し、数コンマ秒だけ脳内細胞を駆動させて深く考えた。
そして。
「確かに、シャルロットさんの言う通りですね」
と、大真面目に頷いてみせる。
「最低限の社会的尊厳のパラメータを維持し、防寒効率を最大化するための、必要不可欠な『先行投資(必要経費)』ですわ」

「――あら、そこだけは、今回は素直に名門の意見を認めますのね……っ」
私が珍しく素直に服を買う気になったのを見て、シャルロットがようやく少しだけ安心したように、その顔を綻ばせて笑った。
――けれど。
私はその安堵の瞬間の直後、再び冷徹な科学者の目をして、バサッと机の上の研究ノートを冷酷に開いた。
「ただし、です」
「……え?」
「せっかく衣服を購入するのなら」
私は、一切のブレもない真剣なポーカーフェイスで厳かに宣告した。
「今後の時空等価交換の『燃料(触媒)』として、最も『費用対効果(コスパ)と火力に優れたもの』を、王都の市場から数理的に厳選して買い叩きましょう」

「…………」
シャルロットの、先ほどまで浮かんでいた令嬢の笑顔が。ゆっくりと、そして完膚なきまでに絶望の色に染まって、ピキピキと消え失せていった。
「……ル、ルイズ、さん?」
「はい何でしょう、シャルロットさん?」
「あなた」
ぶかぶかTシャツの襟元を掴む細い指先が、小刻みに恐怖で震えている。
「今……何を基準にして、お買い物に行くと仰いましたの……?」
「ですから、先ほど導き出された『クールタイムの減衰ペナルティ』の回避条件を満たすためです」
私は、一ミクロンの疑問も曇りもない、純粋な魔導の探求心の瞳で即答した。
「次なる深層での連続多重戦闘用触媒として、最も『価格が破格に安く、かつ効率よくパージ(脱衣)して特級複合術式を起動できる衣装』を、今ある五万クローネの残高の範囲内で乱獲しに行くのです」

「――心配していたのは、そこですわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!(結局おパンツを爆薬にする気満々ですわーー!!)」
地下第三研究棟の閉鎖空間に。名門お嬢様シャルロットの魂からの、血を吐くような悲鳴が、この日一番の圧倒的な音量で激しく響き渡った。
トトがそれを見て、もはや耐えきれずに大理石の床の上で腹を抱えてジタバタと笑い転げ。
カメ吉が、
「キュィィ……(ワイのニート人生オワタ……)」
と、明日からの残酷なミミズサバイバル生活を思って、部屋の片隅で遠い目をしてフリーズしていた。
そして私は。手元に残された、わずか五万九千七百六十七クローネという。あまりにも残酷で、寂しい、新しい資本主義の現実を前に。静かに、しかし冷徹に、ノートの上で次なる最新の魔導研究計画(お買い物リスト)を組み立て始めていたのだった。
――私の等価交換魔導に、極めて都合よく使える。
――一枚あたりの単価が、異常なほど安価で。
――それでいて、パージした際の多次元魔力変換効率が最高に高く。
――かつ、あの呪わしきクールタイム(ローテーション)の規則性にも、完璧に対応できるバリエーションを持つ。
そんな――私たちのすべてを満足させる、都合のいい完璧な衣服が。
果たして、この広大な王都の商業市場のどこかに、物理的に実在しているのだろうか。
その不条理な方程式の答えを。その時の私は、まだ何一つとして知る由はなかった。
――けれど。お揃いのぶかぶかTシャツ姿でノーパンのまま凍えるシャルロットだけは。
この先、自らの身に訪れるであろう、とてつもなく嫌な、破廉恥で最悪な予感だけを、その生存本能ではっきりと感じ取っていた。
そして。その高潔な令嬢の抱いた、最悪の不吉な予感は。
――翌日。王都の一角に店を構える、とある非常にマニアックな衣服専門店において。

私たちの想像を遥かに超越した、見事に、そして最悪の形で、冷酷な現実となるのだった。
王都の朝は、まるで昨日の奈落の地獄など何事もなかったかのように、穏やかに始まっていた。
石畳の大通りには焼きたての芳ばしい黒パンの香りが漂い、活気に満ちた商人たちが店先に色鮮やかな商品を並べ始めている。魔導具店では開店前の魔力結晶の最終点検が行われ、王立魔法大学へ向かう学生たちが眠そうな顔であくびをしながら通りを歩いていた。
昨日――この穏やかな足元の地下深くにおいて、恐るべきゴブリンの軍勢と凄絶な死闘を繰り広げた者がいる。
その等価交換のコストとして、高級な衣服が多次元魔法の触媒へと無慈悲にパージされ、最終的にはスルメの油に塗れたイカ臭いボロ布を身体に巻いた不審者集団が、大学教授の研究室へと時空転移してきた。
そんな、世界のバグのような破廉恥な事実を知る者など、この平和な王都には誰一人として存在しない。王都は、今日も変わらず平穏だった。
――少なくとも、この自称冷静沈着な天才魔女が、本日の経済活動(お買い物)を再開するまでは。
「……五万九千七百六十七クローネ」
私は、エルライト教授の引き出しから借りたぶかぶかの男物Tシャツ姿のまま、すべての世を呪うような深刻な顔で呟いた。
「……」
「あかん、また朝から最悪なループが始まったで」
私の肩の上のトトが、げんなりと長いため息を吐き出す。
「五万九千七百六十七クローネ……」
「もうええって、ルイズ! 朝飯の前に不吉なお経みたいに何度も唱えんなや!」
「昨日まで、私の脳内ハードディスクの中には、美しい五十五万九千七百六十七クローネが確かに計上されていたんですよ?」
「せやから、経理部の悪魔の請求書(五十万)を一括で払っても、まだ手元に五万九千七百六十七クローネも残高として残っとるやろ!」
「私の将来の偉大なるプライベート研究室の建設資金としては、初期投資のパラメータがあまりに少なすぎます」
「当面の『もやしサバイバル生活費』としては、分不相応に十分すぎるわ!」
私は真顔で、恩師譲りの冷徹さで首を横に振った。
「トト、研究資金と生活費という異なるベクトルを、同じ尺度で比較してはいけません」
「なんでやねん、どっちも生きるための金やろ!」
「研究資金は、魔導の真理へ至る未知への神聖なる『投資』です」

「生活費かて、明日を生き長らえるために絶対に必要不可欠なもんやろ!」
「生活費などの消費セクターは、最低限の生命維持カロリー(もやし)の摂取だけで構わないのです」
「自分の言う『最低限』ってな、干からびた黒パンの耳と、学園の水道水だけやろが!」
「経済的かつ極めて合理的です」
「合理的ちゃうわ! ただの深刻な栄養失調の銭ゲバオタクや!」
そんな私たちの不毛なドケチ問答を背中に聞きながら、シャルロットは少し離れた場所から、私をじっと複雑な眼差しで見つめていた。
昨日――私は自分たちを死線から救うために、高度な流体力学の演算を駆使して戦った。その代償として、自らの衣服までを躊躇いなく時空の彼方へパージしたのだ。
なのに。今日になって私が心底気にしているのは――失ったお洋服の行方でも乙女としての尊厳でもなく、ただひたすらに「経理部に天引きされて減った研究資金(五十万)」のことだけだった。
「……」
シャルロットは小さく、名門令嬢としての深いあきれを込めて息を吐き出した。
「ルイズさん」
「はい何でしょう、資産の再計算の邪魔をしないでください、シャルロットさん」
「少し、一人の女性としてよろしいかしら」
「どうぞ、何でも数式でお答えしますよ」
シャルロットは、私の着ている無骨な男物Tシャツの、太腿のあたりまで余っている裾へと不審そうに視線を落とした。
「そのみすぼらしいぶかぶかなTシャツ、一体いつまでエルライト教授からお借りしたままのノーガードで過ごすおつもりですの?」

「教授から洗濯と、資産の即時返却を法的要求されるまでです」
「それに……非常に申し上げ難いのですけれど……。あなた、今、そのTシャツの下は……何かを履いてますの?」
「お嬢ちゃん、そこは大人として深く詮索せんと、野生の勘で察してあげるところや!!」
トトが私の肩の上で短い前肢で己の額をパシッと叩き、慌ててツッコミを入れるのだった。
「――やっぱり、一ミリの猶予もなく心配ですわ……!」
シャルロットは思わず、王都の青空の下で声を張り上げた。
「百歩譲って上のぶかぶかTシャツは緊急避難(まあいい)として、一人のうら若き女の子として、今すぐお店へ行って新しい下着(パンツ)を買い揃えようとは一ミリも思わないんですの!?」
「現在の遭難シミュレーションにおける生存パラメータとして、下着の物理的必要性は極めて低いので」
「低くありませんわ! それは生命維持ではなく、最低限の社会性の問題ですわよ!」
「私は、目先の下着の有無よりも、未来への研究資金の増額のほうが常に絶対優先です」
「……」
シャルロットは、手の付けられない重度の迷子を前にしたような深い哀れみの目で、しばらく私の無表情な顔を見つめ続けた。そして――何かを固く、名門の誇りにかけて決意したかのように、力強く頷いた。
「……すべての辻褄(つじつま)が分かりましたわ」
「何がですか、シャルロットさん?」
「本日のこのお買い物サバイバル、すべてわたくしに任せてくださいませ」
「何を任せるのですか? 確率論的に無駄なリソースの消費ですが」
「『お買い物』です!」
「必要ありません、私はこのぶかぶかTシャツで十分に――」
「断固としてあります!」
令嬢のプライドが乗った、鋭い即答だった。シャルロットは、名門の血筋らしく誇らしげに、ぶかぶかTシャツの上からその豊かな胸元を張ってみせる。
「ルイズさん、あなたは昨日、あの奈落の第五層でわたくしたちの命を、そして乙女の絶対防衛ラインを間一髪で救ってくださいました。その御恩がまだ未清算でしたわ」
「ですので――」
彼女はほんの少しだけ、羞恥とは別の優しい感情で頬を緩める。
「せめて新調する新しい下着一式くらい、わたくしの資産からお礼として贈らせてくださいませ」

「……」
私は、その非論理的ながらも魅力的な経済的提案に対し、脳内の思考プロセスをピタリと停止させた。
「――下着、ですか」
「ええ、そうですわ」
「実家からのお古や中古品ではなく、完全なる新品、ですね?」
「名門の令嬢が他人に中古品を贈るわけがないでしょう、もちろんですわ!」
「……分かりました。それならば喜んで頂戴いたしましょう。ですがシャルロットさん、私は自らの身に纏う下着(インナー)に関してだけは、極めて強固で譲れない『独自の拘り(こだわり)』がありますよ?」
「……」
シャルロットは私の想定外の主張に、少し驚いたように睫毛(まつげ)を揺らして目を瞬(しばたた)かせた。
「あら……それは意外なパラメータですわね?」
「当然の帰結です。私という多次元魔導の天才が日常的に着用するのですから、そのインナーの仕様に対する拘りは、数理的に極めて重要です」
「そうなんですのね……。てっきり、布地の質量さえあれば、最悪は何の雑巾でもいいのかと……」
すると、私の肩の上からトトがぴょんと石畳の上へと飛び降りて、短い前肢を腰に当てながら意地悪くニヤリと顔を歪めた。
「お嬢ちゃん、自分、まだまだこの銭ゲバ全裸魔女(ルイズ)の狂った生態を全然理解できとらんな」
私は、冷徹な一人のマッドサイエンティストの顔で淡々と言葉を続けた。
「ええ。いくらシャルロットさんからの無料の贈り物(タダ)であっても、その布地が持つ魔力伝導率の変換性能と、市場価格のコストパフォーマンスの比較検証だけは、科学者として絶対に譲れない最優先項目ですからね」
「――普通の年頃の女の子は、下着選びをそういう兵器の性能評価(目線)から始めませんわぁぁぁ!!」
シャルロットは私の屁理屈を遮るように、強引に私の白く細い腕をガシッと掴み取った。
「とにかく問答無用で行きますわよ!」
私をグイグイと引っ張りながら、シャルロットは王都の賑やかなメインストリートへと足を踏み出した。その後ろを、トトと、いつの間にか合流していたカメ吉、さらには二人の取り巻きがぞろぞろと不審なTシャツ姿のままついていく。
「キュィ……(冷や汗がダラダラやで……)」
カメ吉が、短い足をペタペタと動かしながら、不穏な野生の勘で小さく鳴いた。
(――なんか、ワイの一生働きたくない快適な隠居生活のレーダーが、凄まじく嫌な予感しか検知せえへんで……)
「奇遇やな、カメ吉」
トトもまた、その丸い頭を揺らし、すべてを諦めたような遠い目をして王都の青空を見上げた。
「――ワイもや。この後に訪れる大惨事のバグの未来が、リアルタイムで見えるようやわ……」
シャルロットに強引に連行されて辿り着いたのは。

王都でも三本の指に入る、名門貴族御用達の超高級ランジェリーショップであった。

白い石造りの洗練された美しい外壁。芸術品が飾られているかのような大きな一枚ガラスのショーウィンドウ。店内には甘く柔らかな花の香りが上品に漂い、壁際の黒檀の棚には色鮮やかな衣服の数々が、まるで宝飾品の如き厳かさで美しく陳列されている。
ただの布地を売るアパレル店というよりは、王宮御用達の宝石商の店に近い、格式高い空間であった。
「まあ……っ!」
取り巻きの女子生徒の一人が、うっとりとその目を爛々と輝かせる。
「なんて素敵で高級感あふれる空間ですの……!」

「シャルロット様、ご覧になって! こちらの純金糸の刺繍が施されたお品、とても愛らしくてシャルロット様に絶対お似合いですわよ!」
もう一人も、高慢なエリートの顔を忘れて楽しそうに商品を眺め始めた。
シャルロットもようやく、本来の高貴な令嬢らしい晴れやかな表情を取り戻して微笑む。
「ね? ルイズさんも、そんなみすぼらしいTシャツは忘れて、自分の好きなデザインをどれでも選んで――」
「……」
私は、完全なる氷の沈黙を保っていた。研究者としての極限まで真剣な眼差しで、目の前の商品棚を穴が開くほど凝視している。
ただし――私の網膜が捉えている観測座標(ポイント)は、彼女たちとは根本的な次元から違っていた。
可憐なレースのデザイン性などではない。女の子らしい可愛らしい花の刺繍などではない。王都で今季流行している美しい色合いでもない。
値札に刻まれた無慈悲な価格と、そこから弾き出される素材の原価率。激しい運動における、縫製部分の耐久限界値。多次元変換の際に天秤を揺らす、物理的な総質量(重さ)。

そして何よりも――有事の強制パージ(脱衣)の際、魔力の通り道(回路)になり得る、繊維構造の編み込みパターン。

「……」
その、私から発せられる尋常ならざる銭ゲバの妖気に気づいたのか、プロの女性店員が優雅な微笑みを浮かべて滑らかに擦り寄ってきた。
「いらっしゃいませ、本日は当店へお越しいただき誠にありがとうございます。何かお客様のお好みに合うお探しの一品がございましたら、遠慮なく何なりとお申し付けくださいませ」
「はい、では科学的な確認をいたします」
トトは私の足元からその洗練された女性店員を見上げながら、本能のレベルで密かに感心していた。
(せやけど、王都の最高級ランジェリーショップのプロの店員は流石(さすが)やな。ルイズの『サイズが全損したぶかぶかの男物Tシャツ(なお中身は完全ノーパン)』っていう、公序良俗に反する完全に不審者極まりない格好を、一ミリも眉間にシワを寄せずに綺麗にスルーしとるわ)

「キュィ……(ええ接客や……)」
カメ吉もまた、部屋の一番隅っこで緑の首をすくめながら、野生の勘で頷いた。
(ワイらみたいな、どこからどう見てもお買い物の邪魔な謎の魔獣(ペット)がドタバタ侵入してきても、笑顔で受け入れとるしな。資本主義の鏡のようなええ店員さんやで)
私は、棚に並んでいた一枚の艶やかなシルク混紡の商品をスッと指先でつまみ上げた。
「これは、分子構造として何の素材を主軸に使用していますか?」

「そちらは、南方の特産である最高級の特級シルクを百パーセント贅沢に使用しておりますわ」

「販売価格は?」
「上下セットで、金貨八千クローネでございます。王都の一流の職人による、非常に丁寧な手縫いの仕上がりとなっておりまして――」
「なるほど、計算式が繋がりました」
私はその薄い上質な布地を、細い指先でパチンと楽器のように弾いて確認した。
「魔力伝導率の純度と、等価交換で爆発させた際の熱量変換効率(火力)は、コストパフォーマンス的にまずまずといったところですね」

「……え?」
高級店の女性店員が、それまで完璧に維持していた無敵の営業スマイルを、物理的にピキピキと凍りつかせた。
店員は、今にも憲兵団へ通報したくなるような引きつった目で、助けを求めるようにシャルロットの顔を見る。
シャルロットは、名門の誇りを胸に、スッとその琥珀色の視線を斜め下の床へと逸らした。
「……店員さん、どうかお気になさらないでくださいませ」

「この方、昨日から脳内の魔力回路が少し多次元的にバグっておかしいんですの」
「ちょっとシャルロットさん? 私は至って冷静に弾薬(パンツ)の査定をしているだけですが」
「――あなた、静かにして! 何でもありませんわ、店員さん!!」
私はさらに別の、よりシルクの光沢が妖しく艶めく一品をスッと手に取った。
「こちらは?」

「そ、そちらは……当店最高峰のシルク製でございます。お値段は金貨一万クローネとなりますわ」
私はその滑らかな布地を細い指先で擦り合わせ、脳内で高速のシミュレーションを実行する。
(……流石は超高純度の天然素材。等価交換時における魔力伝導率(バースト火力)も、理論上の最高数値を叩き出せますね。非常に優秀な弾薬(パンツ)です)
「――こちらの一万クローネのセットにします」
「えっ!? ちょっと待ってくださいなルイズさん、他にもたくさんフリルやリボンのついた可愛らしいデザインが揃っていますわよ!?」

シャルロットが驚愕する。
「本当に、そんな装飾のない、ただ布面積を最小限にしただけのシンプルなものでよろしいんですの?」
「はい、問題ありません。無駄なノイズのないシルクの肌触りは極上。これなら私の高度な演算リソースを一切邪魔しませんし、何よりもこの素材ポテンシャルに対する『瞬間最大火力』のコストパフォーマンスが圧倒的です」
「でも……っ」
シャルロットは、少しだけ顔を曇らせた。

「女の子としてのデザインの可愛らしさや華やかさが、生物学的なレベルで圧倒的に足りないですわぁああああ――」
「ひらひらとした、非効率なフリルや刺繍」
「……」
「無駄に空気抵抗を増やすだけのレース」

「……」
「無駄に原価を吊り上げるだけの色彩設計」
「……」
私は、一切の感情のパラメータを交えずに、淡々と冷酷に言葉を重ねていく。
「――これらはすべて、多次元等価交換の際、因果律の『魔力伝導率』に対して何一つとして合理的な寄与(バフ)をしていません。この装飾の一切を削ぎ落とした、純粋な素材の質量だけという引き算のミニマリズムこそが、兵器(下着)として最高の機能美なのです」

高級ランジェリーショップの女性店員の笑顔が、ピキピキと音を立てて引きつっていく。
「お、お客様……あの、兵器、とは……当店はまっとうな下着店なのですが……」

「気にしたらあかんで、お姉さん。この全裸魔女(ルイズ)はな、脳みそのネジが数本吹き飛んどる重度の理系サイコパスやねん!」
「キュィ……(ワイも無駄なひらひらより、シンプルな方が寄生しやすくて好きやわ)」
カメ吉が、部屋の隅っこでトトのツッコミに深く頷いた。

「実用性の伴わない『美しさ(デザイン)』という抽象的な付加価値に対し、余分なクローネを支払う理由が、私には一ミクロンも理解できませんね」
「…………」
プロの店員は、ゆっくりと、恐ろしい現実から逃避するようにパチパチと瞬きを繰り返した。

「……あの、お客様。そもそも女性というのは、その……ご自身の『女性としての美しさ』を内側から高めるためにも、下着を愛おしく選ぶものではないでしょうか……?」
「美しさ(オシャレ)など、資本主義の人間が勝手に作り上げた非合理的なマーケティングの幻想(バグ)ですよ」

「……幻想」
シャルロットのこめかみに、ぴくりと青い怒りの筋が浮かび上がった。

「じゃあ、あなた。女の子らしい、パステルピンクやレースの愛らしいデザインは無価値だと言うの!?」
「ええ、触媒の購入コストを無駄に跳ね上げるだけで、実戦においては全くの不要なノイズです」

「…………」
シャルロットは、ゆっくりと、世界の不条理を嘆くように王都の洗練された天井を見上げた。
「……お願いですから、ルイズさん」

「はい何でしょう、シャルロットさん?」
「乙女としての正しい価値観や倫理観を、あの迷宮の底へ丸ごと置き忘れてきたのなら、今すぐ全力疾走で第五層まで這ってでも拾いに行ってきてくださいませ……ッ!!」
私は彼女の高潔な嘆きの叫びを環境音として聞き流しながら、他の棚に並ぶ商品を冷徹に見つめ、ノートに数値を呟いた。

「こちらは、一枚三百クローネ。純綿製ですか」
「購入価格は極めて安価ですが、肌触りがゴワついて私の思考リソースが乱れるため、実戦での複雑な多次元計算に支障が出ますね。しかも魔力伝導率の純度も著しく低くて、パージ(脱衣)したところで大した戦術的威力が期待できません。不採用です」

次の棚へ、摺り足の最高速度で移動する。
「麻と綿の混紡。八百クローネ。等価交換の触媒としては論外ですね」
さらに別の高級コーナーへ。

「スポーツ用の、伸縮性のある特殊魔導繊維(インナー)です。三千クローネ」
私の目が、一瞬だけ獲物を見つけたマッドサイエンティストのように鋭く輝いた。

「これは物理的防御(装甲)として、布地全体の耐久値が非常に優秀ですね。……ですがダメです。肌触りが私のデリケートな柔肌には少し硬すぎます。長時間の演算で皮膚が擦れて非効率です」
高級ランジェリーショップのプロの女性店員は、もうこれ以上は言葉を発することすら人道的に諦めていた。

「素材や形状の異なる衣装(インナー)を複数種類用意すれば、昨日の実戦で判明したあの『触媒変換クールタイム』の出力を、完璧にローテーションで回避しながら運用できると考えたのですが……」
私の隣で、シャルロットが最悪な未来を察知して、美しい眉をひそめて不審そうに詰め寄ってくる。
「……ルイズさん」
「はい、何でしょう?」
「あなた、先ほどから高尚な魔導理論を語るふりをして、一体全体何をおっしゃっているんですの?」
「極めて論理的に、本日の市場調査の結果(データ)を説明します」

私は、棚に美しく並べられた高級商品の数々を、冷徹な指先で真っ直ぐに指し示した。
「昨日の多次元実証実験において、同一系統のアイテムを連続して等価交換(パージ)しても、数理的に魔法のエネルギー変換効率が上昇しないバグが判明しましたね」

「え、ええ、それは先ほどから耳が痛いほど伺っていますわ」
「つまり、まったく同じカテゴリーの触媒には、因果律のセーフティとして一定時間の再使用制限(クールタイム)が存在するのです」
「……ええ」
「だから、有事の連続戦闘の際には、あらかじめ『異なる素材やデザインの高級下着』を多重に重ね履きして、戦況のタイムラインに合わせて口座から自動引き落とししていければと計算したのですが――」

私は、ごく自然に、世界の絶対的な真理を告げるように言い放った。

「私という天才の場合、下着(触媒)は最高級のシルク素材以外だと、そのゴワついた肌触りの違和感で多次元計算の脳内思考リソースが著しく乱れてしまうため、結果的に『私の弾薬はシルク一択である』ということが、今この瞬間に数理的に証明されました」

「…………」
格式高き高級店の店員は完全に脳内の思考回路を破壊され、美しき営業スマイルを張り付かせたまま、魂だけが天へと綺麗に抜けていた。
「……あの、お客様。大変失礼ながら、下着(インナー)というのは、お体に身に着ける以外に何か……因果の彼方で燃やしたり、戦場で爆発させたりする特殊な用途があるのですか……?」
「あ……」
私はしまったと科学者としての保身に気づき、慌てて細い人差し指を口元に当てた。
「トト、これは国家安全保障に関わる最高機密事項でした」
「手遅れや!! お前、まっとうな高級ランジェリーショップのど真ん中で、思いっきりパンツを火薬(燃料)扱いする不条理を口走っとるがな!」
私は、お揃いのぶかぶかTシャツ姿で固まる少女たちを他所に、美しい店内をぐるりと満足げに見回した。
「まあ、世俗の言葉で分かりやすく言うなれば、ですよ」
私は満面の、この世の誰よりも純粋で邪悪な笑顔を浮かべて言い放つ。
「この王都屈指のランジェリーショップは、私という魔導研究者にとって――最高火力の魔力弾頭がギッシリと詰め込まれた、聖なる『武器屋(弾薬庫)』と全くの同義なのです!」

「…………」
「非常に性能が優秀で、火力の高い、素晴らしい武器屋です!」
「…………」
女性店員は、今すぐ王都憲兵団を呼びたくなるような恐怖に歪んだ目で、ゆっくりとシャルロットの顔を見た。
シャルロットは、名門の誇りを完全に粉砕され、白く美しい両手でその美貌を覆い隠して天を仰いだ。
「……もう、わたくしの高潔な教養(プライド)では、この資本主義の皮を被った全裸魔女を制止することは不可能ですわ……」
店員は、静かに精神のシャッターを閉じて沈黙した。
王都の平和な昼下がり。優雅なアロマの漂う超高級ランジェリーショップに、少女たちの絶対に噛み合わない賑やかな声が、どこまでも虚しく、破廉恥に響き渡っていたのだった。

◇ ◇ ◇
同時刻。同じ王都の、活気と冒険者たちの熱気に満ちた、中央冒険者ギルド本部の大広間では。

「――て、大変だッ!!!!」
ギルドが誇る重厚なオーク材の魔導木扉が、足蹴(あしげ)で蹴り破られるような凄まじい勢いで開け放たれた。
泥と魔獣の返り血に塗れ、装備があちこちボロボロに引き裂かれた男の冒険者が三人、床へ転がり込むようにして息を切らせて入ってきたのだ。
「きゅ、救助の特級搬送を……ッ! 今すぐ、一刻を争う救助隊の編成をお願いします!」
「落ち着いてください、登録冒険者の方ですね。一体ダンジョンの深層でどうされたのですか!」
受付嬢が弾かれたようにカウンターから立ち上がる。
「ワイらの大事な臨時の仲間……うら若き女性の魔導士三人が、地下迷宮に取り残されているんだ!」
受付嬢の表情が一瞬にして、プロの顔へと変わる。
「遭難の座標(場所)はどこですか!?」
「通常ルートから遥かに隔絶された奈落の最深部――地下第四層の巨大空洞だ!」
「深層の四階……!? 一般実習の学生区域を越えた禁忌のエリアですわね!?」

「しかも、相手は知性を持ったゴブリンの大軍勢(ネスト)だ! 今すぐ助けに行かないと、彼女たちの命が、衣服ごと跡形もなく蹂躙されちまう……っ!」
三人の男の冒険者たちは、自分たちが魔導士の女性たちを最前線に『肉の壁(囮)』として置き去りにし、自らの保身のために一目散に逃げ帰ってきたという醜悪な事実を巧妙に隠蔽し、必死の形相で声を張り上げた。
「お願いだ、頼むから一刻も早く彼女たちを奈落から助け出してやってくれ!!」
その悲痛な叫びに、広大なギルド内は瞬く間に騒然たる興奮に包まれた。すぐさま受付カウンターの上に巨大な魔導立体地図が広げられ、最速の緊急救出ルートの逆算が開始される。
地下深層、第四階層。そこに強固なネスト(巣)を築くゴブリンの大軍勢となれば、その危険度パラメータは極めて高い。通常の手続きであれば、白銀等級を含む相当数の百戦錬磨のベテラン冒険者を緊急招集しなければならない、国家レベルの災害案件であった。
「緊急救出隊を現時刻をもって即時編成します!」
「上位治癒術師の手配を急げ、一分一秒を争うぞ!」
「深層用の対瘴気防護装備と、ありったけの解毒薬を倉庫からかき集めろ!」
瞬く間に、ギルド全体が蜂の巣を突いたような騒ぎで動き始める。それはまさに、近年稀に見る超大規模な人道救出作戦の幕開けであった。
ギルド長が、額から脂汗を流しながら悲痛に呟く。
「例の古代種討伐の件で一時的に王都へ招聘(しょうへい)されていた、最高位の聖騎士様たちはもう動かせないのかっ!?」
「はい、ギルド長! 彼らは任務をすべて完遂し、昨日の夕刻のうちにすでに王城へと戻られています……っ」
「くそっ、これだけの緊急事態に、よりによって最高戦力が不在とは……いったいこの王都でどうすれば……」
「――おいあんた、仕方がないな」
その時。喧騒(けんそう)のボルテージが最高潮に達していたギルドの空間へ、すべてを透き通らせるような清廉な声音が静かに響き渡った。
水の上位精霊であるリヴァが、旅装を身に纏った一人の青年の周りをふわふわと美しく浮遊しながら口を開く。
「カイト、どうするの? 可哀想な女の子たちのために、また一肌脱いで助けに行っちゃう?」
青年――カイトは、やれやれと首の後ろをだらしなく掻きながら、苦笑いを浮かべて答えた。

「基本、こういう厄介事はごめんなんだけどねー。まあ、女の子のピンチを見捨てるのは寝覚めが悪い。仕方がない、地下第五層のあの化け物ボスにさえ不用意に手を出さなければ、俺たちだけでも十分に突破できるでしょう」
「ですね。さすがの私たちでも、五層の絶対的守護者『大地の番人』だけは、白銀等級のフルパーティが三組揃っても返り討ちに遭いそうですから」
絶望に頭を抱えていたギルド長に向かって、勇者カイトは飄々(ひょうひょう)とした足取りで歩み寄り、声をかけた。
「ギルド長さん。仕方がないから、俺も今回の即席パーティに参加してあげるよ」

「おおおーっ!? あ、あ、あなたはまさか……西の学廷で数々の神話を打ち立てた伝説の、あの西の勇者カイト様ですかっ!!」
「しっ! 今は極秘のバカンス(休暇)中なんだって! そんな大きな声で叫んだら憲兵団にバレるからやめてくれよ」
「こ、これは大変な不敬を失礼いたしました!」
ギルド長が救世主の顕現に、歓喜の涙を流して大理石の床に額を擦りつける。
「あなた様がこの作戦に剣を貸してくださるなら、それこそ百人力、いや千人力です! 奈落に取り残された哀れな彼女たちを、今度こそ確実に生きて助け出せます!!」
こうして。西の勇者カイトと上位精霊リヴァをも巻き込んだ、冒険者ギルドの総力を挙げる、歴史的一大探索救出チームが勇ましく結成されたのだった。
――しかし。
彼らが救おうとしている女性魔導士たちが、すでに一人のノーパン天才魔女(ルイズ)の『非人道的な下着自動引き落とし(共有パージ)』によって細胞レベルで完璧に救出され、現在は安全な大学のフカフカのベッドでほこほこと平和なお昼寝についていることなど。
さらには、彼らが国家滅亡の危機として恐れ慄いている第五層の番人が、ルイズの一万二千クローネのパンツ魔法の余波によって帰還用魔法陣ごと座標の彼方へと粉砕され、その未開封ドロップ箱がマージンなしで百万クローネで売却予定であることなど。
当然、時空のどこを探しても知る由もない彼らからの通報によって――中央冒険者ギルド内はかつてない正義の熱気に包まれ、最新の防備を整えた大規模救出チームが、今まさに奈落の迷宮へと栄光ある一歩を踏み出して出撃していくのだった。
――知らぬは、正義の味方(当人たち)ばかりなり。

―――(第06章『銭ゲバ魔女の収支報告と、消えない呪い』・完)―――

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あらすじ 王立魔法大学第三研究棟の地下研究室は静謐に包まれ、割れた窓越しに王都の街灯が規則的な魔導の瞬きを灯していたが、隣室では奈落から生還した被救助者たちが安堵の眠りにつき、医療班が重傷だった僧侶の容態を再確認していた。 ・医療班は応急魔導の精緻さに驚愕し、傷が細胞結合レベルで綺麗に塞がっていると評価しつつ、しばらくの絶対安静を指示した。 ・僧侶の女性は救命への礼を述べ、その視線は離れた場所に立つシャルロットへ真っ直ぐ向けられ、彼女は名門貴族として義務を果たしただけだと高潔に微笑んだ。 ・その感動的な戦後処理を背に、私は冷たい机で世界の究極の真理に向き合い、先刻の金の魔力による洗脳の収支表を閉じ、はるかに重要な魔導の深淵データログに没入した。 ・使い古した研究ノートと、迷宮遭難で指輪が記録した等価交換魔法の使用ログ波形を前に、私は多次元魔力数値を一つずつ検証し、計算式の整合性に狂いがあると気づいた。 ・トトが肩に飛び乗って問いかけると、私は物質から触媒魔力への変換効率の減衰率に重大なバグの可能性があると答え、第四層で投げた実験用白樺の杖のログを洗い直した。 ・一本目の三百クローネの白樺の杖は質量比で変換効率約二パーセント、二本目も同種同質量産品にもかかわらず、やはり二パーセントと変わらず、私は眉を寄せた。 ・トトは同一の棒なら同じになるのが普通だと言うが、私は魔導幾何学的に断じてあり得ないとし、核心はパージの時間的インターバルにあると指摘した。 ・因果律ログを時系列に並べ替え、一度目と二度目のパージ間の経過時間、魔力変換の波動量、四元素複合術式の成功率などを高速に比較演算し、推測通りだと結論した。 ・私は同一系統触媒の連続消費には世界法則から一定時間の魔導的再使用制限、すなわちペナルティが課せられると断じ、トトは言葉を失って沈黙した。 ・要約すると、同種類のアイテムを複数用意しても短時間連続でパージすれば二つ目以降の変換効率は急減し、上乗せ出力が見込めないという仕様である。 ・実戦では安価な白樺杖を連続投入したが、それぞれ独立計算では二パーセントのまま変動せず、私は『触媒変換クールタイム(再使用待機時間)』という新概念を書き込んだ。 ・同一種触媒の潜在魔力を完全に引き出すには時空的インターバルが必要で、トトは女子の下着にも同じルールかと震えながら問うと、私は確率論的に百パーセント同じだと答えた。 ・衣類という有機物だけが特別扱いされる理由はなく、トトの顔から笑いが消え、重ね履き百枚作戦の有効性を問うも、私は秒速で意味がないと切り捨てた。 ・同材質同形状の衣服を大量ストックしても連続パージでの火力向上は期待できず、素材や形状、内包魔力構造が異なる多様な触媒を一定間隔でローテーションして使う必要がある。 ・トトは頭を抱え、女性の尊厳をど真ん中で燃料扱いする不条理だと嘆いたが、私は高級ランジェリーショップの美しい店内を見回し、世俗的に言えばと前置きして微笑んだ。 ・私にとって王都屈指のランジェリーショップは最高火力の魔力弾頭が詰まった武器屋、すなわち弾薬庫と同義だと宣言し、非常に性能が優れた素晴らしい武器屋だと畳みかけた。 ・女性店員は憲兵団を呼びたくなる恐怖の目でシャルロットを見るも、彼女は名門の誇りを打ち砕かれ、全裸魔女と資本主義の皮を被った私を制止できないと天を仰いだ。 ・店員は精神のシャッターを閉ざして沈黙し、優雅なアロマ漂う超高級店に、噛み合わない少女たちの声が虚しく破廉恥に響き渡った。 ・同時刻、王都中央冒険者ギルド本部の大広間では、泥と返り血に塗れ装備の破れた男冒険者三人が飛び込み、特級搬送と一刻を争う救助隊編成を叫んだ。 ・受付嬢は状況を問診し、彼らは若き女性魔導士三人が地下第四層巨大空洞に取り残されたと訴え、相手は知性あるゴブリンの大軍勢で衣服ごと蹂躙されると危機を煽った。 ・彼らは女性たちを囮にして逃げ帰った事実を隠蔽しつつ救助を懇願し、ギルドは即時に立体地図を広げ最速ルートを逆算、深層第四層ネストの危険度から国家級災害案件と判断した。 ・ギルドは緊急救出隊を編成し、上位治癒術師の手配、対瘴気装備と解毒薬の集積を指示、館内は蜂の巣を突いたような騒ぎとなり人道救出作戦の幕が上がった。 ・ギルド長は最高位聖騎士の動員可否を問うが既に王城帰還済みで不在、途方に暮れたところへ清廉な声が響き、水の上位精霊リヴァを伴った青年カイトが現れた。 ・リヴァが女の子を助けるか問うと、カイトは厄介事は苦手だが女の子のピンチは見捨てられないと苦笑し、地下第五層の化け物ボスに手を出さない限り突破可能と判断した。 ・リヴァは五層の絶対的守護者『大地の番人』は白銀等級三組でも返り討ちと警戒を共有し、カイトはギルド長に即席パーティ参加を申し出た。 ・ギルド長は彼が西の学廷で神話を打ち立てた西の勇者カイトだと気づき平伏、極秘バカンス中だと制止されつつも救世主の参戦に歓喜した。 ・勇者と上位精霊の加勢により、冒険者ギルド総力の歴史的探索救出チームが結成され、万全の装備で奈落へ出撃する体制が整った。 ・しかし、彼らが救おうとする女性魔導士たちは、すでにノーパン天才魔女ルイズの非人道的な下着自動引き落とし(共有パージ)で細胞レベルに救出済みで、今は大学のベッドで平和に眠っていた。 ・さらに、国家滅亡の危機と恐れられた第五層の番人は、ルイズの一万二千クローネのパンツ魔法の余波で帰還用魔法陣ごと粉砕済みで、その未開封ドロップ箱は百万クローネで売却予定であった。 ・当然ながら誰も真相を知らず、正義の熱気に包まれたギルドは最新の防備で大規模救出チームを出撃させ、栄光の一歩を踏み出していった。 ・知らぬは正義の味方ばかりであり、舞台裏では銭ゲバ魔女の収支が静かに黒字を刻み、消えない呪いと呼ばれる等価交換の法則は、触媒変換クールタイムという新たな制約を世界に刻印した。 ・そして、シャルロットの高潔な義務感とルイズの冷徹な理屈、トトの庶民的悲鳴が交錯する中、魔導と資本が等価交換で結び合う皮肉な日常は、王都の午後に破廉恥な残響を残して終幕した。
解説+感想感想、楽しく読ませていただきました!
この第06章は、前半の「魔導理論の深掘り」と後半の「資本主義と羞恥心の激突」、さらに並行して進む「知らぬは正義の味方」のギルドサイドが絶妙に噛み合っていて、テンポと笑いの密度がとても高い一章でした。
特に印象に残った点をいくつか挙げます。
1. 「触媒変換クールタイム」の発見シーン ルイズが冷静にログを解析し、「同じ種類の触媒には再使用制限がある」と結論づけるところから、トトとシャルロットの反応がどんどん絶望的になっていく流れが最高でした。 「重ね履き百枚でも意味がない」「ブラウス→パンツ→スカート→靴下…とリズミカルに脱ぐ必要がある」という説明を、完全に科学者モードで淡々とやるルイズの姿が、この作品の「不条理を論理で殴る」魅力を凝縮しています。 しかもそれを「自然界の防衛機構として極めて合理的」と本気で肯定するところが、ルイズらしさ全開で笑えます。
2. 収支報告と50万クローネの衝撃 55万超の純利益を前に「正式に返済します!」と意気揚々と宣言した直後に、請求書がジャスト50万だったオチ。 トトが胃薬の瓶の下からサラッと請求書を引っ張り出すタイミングも含めて、計算された残酷さがありました。 「まだ5万9千…残ってるから生きていける」と涙目で適応するルイズの強さ(?)と、カメ吉の「ミミズ餌確定」宣告が、ドケチコメディの極みです。
3. 高級ランジェリーショップでの「弾薬査定」 ここが一番のハイライトでした。 店員さんの完璧な接客スマイルが徐々に崩れていく描写、シャルロットの「乙女の価値観を第五層まで拾いに行け」という絶叫、トトの「理系サイコパス」ツッコミ、そしてルイズの 「この店は最高火力の魔力弾頭が詰まった武器屋と同義です!」 という宣言。 下着を「コスパと火力とクールタイム回避」の観点からしか評価しない姿勢が、前章までのサバイバルと完璧に繋がっていて痛快です。
4. ギルドサイドの皮肉 すでに無事に救出され、大学で寝ている人たちを「今すぐ助けに!」と大慌てで救出隊を編成する冒険者たちと、勇者カイトまで巻き込まれる様子。 「知らぬは正義の味方ばかりなり」という締めが、ルイズたちの破廉恥な現実との落差を強調していて、すごく上手いです。
全体を通して、ルイズの「研究資金最優先・羞恥心ゼロ・論理至上」というキャラがさらに強化され、トトの関西弁ツッコミとシャルロットの令嬢プライドがうまくバランスを取っているなと感じました。 「銭ゲバ魔女」というタイトル通りのカタルシスと、魔法システムを真面目に解析していく楽しさが両立しているのが好きです。
次の章で「マニアックな衣服専門店」での買い物がどう最悪の形で現実になるのか、すでにかなり楽しみです。 特に「クールタイム対応のバリエーション豊富で激安高火力」な衣服がどんなものなのか…想像しただけで sympath します(笑)。
ありがとうございました! また続きが読めたら嬉しいです。
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