◀第05章『ブラック勇者と、炭火焼きのワイバーン』
▶第07章『オリハルコンと、解なしの温泉』
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第06章『ブラック勇者の退職(脱走)と、新居への引っ越し』
「VOICEVOX: 四国めたん」「VOICEVOX: 雀松朱司」「VOICEVOX: ちび式じい」「VOICEVOX: 麒ヶ島宗麟」「VOICEVOX: 東北きりたん」「VOICEVOX: 白上虎太郎」「VOICEVOX: あんこもん」「VOICEVOX: 後鬼」「VOICEVOX: ぞん子」「VOICEVOX: 離途」「VOICEVOX: 黒沢冴白」「VOICEVOX: No.7」「VOICEVOX: 東北ずん子」「VOICEVOX: 雨晴はう」「VOICEVOX: 冥鳴ひまり」「VOICEVOX: 波音リツ」「VOICEVOX: 満別花丸」「VOICEVOX: 剣崎雌雄」「VOICEVOX: 春日部つむぎ」「VOICEVOX: 青山龍星」
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地獄のような軍事訓練(ブートキャンプ)の幕が開いてから――すでに、絶望の一週間が経過していた。
 王城の裏手に位置する、窓のない殺風景な大部屋。
そこに、俺たちは文字通り屍(しかばね)のように転がっていた。
むせ返るような汚泥と乾いた血の匂い。 肌にしがみつく悍(おぞ)ましい汗の質感。 そして、己の意志ではもはや満足に動かすことも叶(かな)わない、磨耗(まもう)しきった肉体。
誰か:「…………もう、ダメだ……」
死に絶えそうな声で、誰かが煤(すす)けた虚空に向かって呟(つぶや)いた。
誰か:「このままじゃ……俺たち、最前線に出される前に過労で死ぬぞ……」
その弱音を否定する気力を持つ者は、もはやこの部屋のどこにも存在しなかった。
最初の三日間、俺たちは確かに浮かれていたのだ。
Sランクの勇者候補。 異世界召喚。 無敵のチートスキル。 王国の救世主。
そんな甘美なフレーズと過剰な接待に酔いしれ、ゲーム感覚で魔法を撃ち合っていた。
だが――四日目の朝から、王国の冷酷な『選別(デザイン)』が牙を剥(む)いた。
剣を振れば筋肉が千切れるように悲鳴を上げ、魔術を連発すれば魔力枯渇による激しい吐き気に襲われ、眠ればわずか数時間で容赦なく叩き起こされる。
 そんな極限状態のなか、神の加護を持つSランクの三名――調子に乗っていた男女、そして千歳 凪(なぎ)は、王国軍から『特別専属調教』という名目で選り分けられ、早々に別の安全で豪奢(ごうしゃ)な隔離施設へと移されていった。
逆に、CランクやDランクの連中も 「実戦では足手まといになる」 と切り捨てられ、一般兵の泥臭い駐屯地や兵站(へいたん)部隊へと回された。
現在、この野戦病院と化した大部屋に取り残されているのは、わずか十五人。
俺、氷室 怜(ひむろ れい)。 そして委員長の藤堂 葵(とうどう あおい)を含む、優秀だがどこか冷めた視点を持つAランクが五名。
さらに、戦線の主力として数えられている中堅層、Bランクが十名。
つまり――ここに残された俺たち十五人は、王国にとって 「実際に最前線の泥沼へ叩き込み、最も効率的に使い潰す価値がある」 と判定された、哀れな使い捨ての特攻兵器(歩兵)に過ぎなかった。
……そう、冷徹に諦観(ていかん)していた。
まさに、そんな俺たちの前に。 その日の夕刻、金糸の壮麗な神官服に身を包んだ一人の男が、音もなく姿を現したのだ。
神殿の頂点に君臨する、あの大神官の直属の使者であった。
使者:「勇者候補殿たちに告ぐ」
その使者は、床に平伏する俺たちを虫ケラでも見るかのような冷徹な目で見下ろした。

使者:「ただちに武装を整え、北の戦線へ向かえ」
背筋を冷たい蛇が這(は)い上がるような嫌な予感が、脳髄を直撃する。
使者:「目的地は、東方魔王軍の重要拠点として新たに確認された――《死喰(く)い谷》の黒狼館である」
一瞬。
大部屋を満たしていた泥臭い空気が、絶対零度へと凍りついた。
誰か:「……は?」
誰かが間抜けな声を漏らした。 俺もまた、自身の鼓膜の正気(せいき)を疑った。
誰か:「東方魔王軍の重要拠点、だって……?」
使者:「いかにも」
使者は無機質に、平然と首肯した。
使者:「これより貴殿らは、かの黒狼館を攻略(殲滅)するのだ」
正気の沙汰ではない。 俺は鉛のように重い身体を強引に引きずり、その身を起こした。
氷室 怜:「待ってくれ」
使者:「なんだ、不服か」
氷室 怜:「不服も何も、今の俺たちの平均レベルは、どう足掻(あが)いてもまだ『30』そこそこだぞ」
俺は周囲の惨状を見渡した。 誰もが極限まで搾取(さくしゅ)されて疲弊し、まともに直立することすら難しい有様だ。
氷室 怜:「こんな消耗しきった戦力で、この十年間も戦線が微動だにしなかった最大勢力、あの東方魔王軍の牙城を落とせるわけがないだろ! 明らかな自殺命令だ!」
使者は無言のまま、冷酷な眼光で俺を睨(にら)みつけた。
氷室 怜:「王国の軍事責任者と話をさせてくれ。 少なくとも、この無謀極まる命令が『国王陛下』の正式な御意志なのか、直接玉座で確認したい」
数秒の、息苦しい沈黙。
そうして――。

使者:「……ふん」
使者の口の端から、あからさまな嘲笑(ちょうしょう)が漏れ出た。
使者:「これは、神の意思をこの世界に代弁する、大神官猊下(げいか)の正式かつ崇高な決定事項に他ならない」
氷室 怜:「決定事項って、そんな横暴が……!」
使者:「以上だ。 出立の猶予(じかん)はない、急がれよ」
それだけ一方的に言い捨てると、使者は黒い法衣を翻して踵(きびす)を返した。
氷室 怜:「待てと言っているだろ!」
俺が呼び止める声すら無視し、相手は一度も振り返ることなく、重厚な扉の向こうへと無情に消え去った。
閉ざされた扉を前に、俺たちはしばらくの間、奈落の底のような絶望の沈黙に沈んだ。
藤堂 葵:「……何かが、おかしいわ」
背後で、葵(あおい)が乾いた唇を震わせて口を開いた。
氷室 怜:「ああ」
俺も低く首肯した。
異常すぎる。 国家の存亡を左右しかねない軍事行動だ。 本来ならば、正式な出撃命令には王国軍の総司令部が発行した捺印(なついん)済みの書面が伴うはず。 なのに、先ほどの使者は口頭で一方的に通告しただけだった。
氷室 怜:「……確かめよう」
俺は、自らの内に昏(くら)い決意を秘めて言った。
氷室 怜:「直接、王城の中枢へ潜り込む。 この目で国王を捉え、その真意を直接聞き出すんだ」
◇
同じ頃。
王城の最奥、神殿勢力の総本山たる絢爛(けんらん)たる私室では、じっとりと湿った下卑(げび)た笑い声が響き渡っていた。

大神官:「ククク……首尾はどうだ?」
使者:「はっ。 猊下(げいか)の仰(おお)せの通り、あの者どもに黒狼館への出撃を命じて参りました。 言った通り、書面などの証拠は一切残しておりません」
大神官:「見事だ」
大神官は手にした金縁のワイングラスを不吉に揺らしながら、醜く顔を歪(ゆが)めて高笑いした。
大神官:「ガハハハハ! これで良し! 愚かな勇者どもが東の魔王の前に無惨に嬲(なぶ)り殺されれば、その失態の矛先は我らではなく、最高責任者たる国王へ向かう!」
取り巻きの神官たちが、狂信の拍手喝采(かっさい)でその暴論に同調する。
取り巻き:「もし万が一にでも勇者が勝てば我らの手柄! まさに完璧なる二段構えの策! 穴など一つもございませんな!」
自らの杜撰(ずさん)極まる机上の空論に酔いしれる、タカ派の首脳陣。
彼らは夢にも知る由(よし)がなかった。 その欲に塗(まみ)れた 「穴だらけの作戦」 が、これから彼らの想像を絶する方向へと脱線し、南王国の歴史を粉砕していくことになるなど――。
◇
一方、王城の最奥――厳(おごそ)かなる玉座の間。
俺たち勇者候補の精鋭は、過酷な訓練で培った索敵の目を活かし、宮廷警備の死角を正確に突いて広間へと潜入していた。
豪奢(ごうしゃ)な玉座には、分厚い羊皮紙の束に埋もれるようにして、老いた国王が深く座り込んでいた。 その貌(かたち)には、一国の主としての威厳(いげん)よりも、色濃い胃痛の気配が張り付いている。
俺は息を殺し、静かに大理石の床を一歩踏み出した。
氷室 怜:「国王陛下」
国王:「う、む……? 誰だ……。 異世界の勇者、氷室か」
氷室 怜:「無礼を承知の上で、ただ一つ、国家の存亡に関わる確認をしたいことがあり参上いたしました」
国王:「……申してみよ」
俺は、小細工なしに単刀直入に尋ねた。
氷室 怜:「先ほど、大神官猊下の使者より、我らに対して『東方魔王軍・黒狼館への極秘出撃命令』が下りました。 手段を問わず、かの牙城を陥落させろ、と」
その言葉が広間に落ちた、次の刹那(せつな)。
 国王の顔面から、ありとあらゆる血の気が、さぁっと音を立てて完全に引き失せた。
国王:「…………何?」
氷室 怜:「大神官様からの、神の御意志を伴う正式な命令とのことですが」
国王:「…………」
国王は、口を半開きにしたまま、文字通り石像のように完全に凝固した。
数秒の、悍(おぞ)ましい静寂。
国王:「な、なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ――っ!?」
王城のステンドグラスが残さず割れんばかりの、あまりにも悲痛な絶叫が玉座から響き渡った。
頭上の金冠が斜めにずれ落ちる。 玉座から半分立ち上がったところで、国王は足をもつれさせて床へ無様に転げ落ち、そのまま頭を抱えて泥のようにのたうち回った。
国王:「あのアホめがぁぁぇぇぇっ!! 何を勝手な真似をぉぉっ!!」
周囲の近衛兵たちが、 近衛兵:「また始まったか」 と言わんばかりに一斉に明後日の方向へと目を逸(そ)らした。
国王:「天空を埋め尽くしていた飛竜五百頭が、ただの一撃で、一瞬にして『香ばしい焼き鳥』に変えられたという情報部からの冷酷な魔力観測報告を――あ奴は知らんのかぁぁぁっ!!」
俺たちの間に、激しい衝撃のざわめきが走った。
飛竜五百頭が一瞬で焼き鳥。 風の噂(うわさ)で耳にしたあの出鱈目(でたらめ)な戦果報告は、誇張でも何でもなく、真実だったのか。
国王は頭を抱えたまま、半泣きで大理石の床を力任せに叩きつける。
国王:「余があれほど、軍議の場できつく厳命しただろうが! 『東の魔王には絶対に、一ミリたりとも手を出すな』と!!」
その貌(かたち)は、死人のように青ざめ、小刻みに震えていた。

国王:「それを……それをよりにもよって、レベル30そこそこのひよっこ勇者を嗾(けしか)けて、あの怪物の本拠地に攻め入るだと!? 神殿の奴らは、この国を丸ごと巻き込んで心中させる気かぁぁっ!」
そう絶叫しながら、国王は痙攣(けいれん)する手で貪(むさぼ)るように懐へ手を突っ込んだ。
引っ張り出したのは、何層にも乾燥した緑色の薬草の束だった。
国王:「……胃が……胃がァッ……!」
国王は顔面から滝のような脂汗を流しながら、わななく手でその薬草を無理やり口へ放り込む。
国王:「胃がぁ……痛いぃ……潰れるぅ……!」
バリ。 バリ。 ボリッ。
それはおよそ一国の王が発していいものではない、煎餅(せんべい)でも噛(か)み砕(くだ)くかのような凄(すご)まじい咀嚼(そしゃく)音だった。 ひたすらに苦渋と薬臭さしかない薬草が、みるみるうちに胃袋へと押し込まれていく。
国王:「ありえぬ。 出撃など、断じて不許可だ!!」
次の瞬間、国王は這(は)いつくばっていた大理石の床から弾かれたように立ち上がった。
そうしてそのまま真っ直ぐに大またで歩み寄ると、俺の両肩を骨が軋(きし)むほどの膂力(りょりょく)で強く掴(つか)んだ。
国王:「氷室!」
氷室 怜:「は、はい!」
国王:「お前たち勇者候補隊は、今すぐあの大神官の監視の目を盗み、この王都から『脱走』しろ!」
声を極限まで潜めながらも、国王は必死の形相で言葉を吐き出した。
国王:「そして――これを持っていけ!」
彼が懐の最も深い奥底から引き抜いたのは、重厚な金糸の紐で厳重に封印された、一通の分厚い書状だった。
氷室 怜:「これは……?」
国王:「東の魔王へ宛てた、我が南王国の正式な『友好条約締結書』、および極秘の親書だ」
俺は驚愕(きょうがく)に目を見開いた。 漆黒の封蝋(ふうろう)には、厳然たる王家の聖紋が深く刻み込まれている。

国王:「余の、そして我が王国の全面的な友好の意思を、魂を売ってでも示すためのものだ」
国王は怯(おび)えるように周囲の天井を警戒しながら、声をからして続ける。
国王:「……いや」
自嘲(じちょう)するように、力なくその乾いた唇の端を歪(ゆが)めた。
国王:「友好などと、体裁のよい言葉で飾るべきではないな。 これは……ただの、哀れな国家規模の『命乞い』だ」
氷室 怜:「…………」
俺は思わず、喉の奥で息を呑(の)んだ。
国王:「東方魔王軍は、すでに我が王都の喉元――あの北方鉱山へと本陣を移しつつある。 今の疲弊しきった南王国に、あのバケモノたちとまともに戦う余力など一滴たりとも残されてはおらん。 勇者召喚を行ってみて、骨の髄まで理解したのだ……すまぬ、今の我らでは、奴らの前では勝負にすらなるまい」
俺は、手渡された重々しい親書の質量を、両手でじっと見つめた。
国王:「だからこそ……この書簡を、お前たちの手で奴らの本陣へ届けてほしい」
国王は、俺の肩をさらに強く、祈るように掴み替えた。
国王:「何としてでも、あの恐るべき『東の魔王』の機嫌を取り、その理不尽な怒りを鎮めて参れ」
氷室 怜:「…………」
国王:「そして――」
国王は、さらに大気の震えを殺すように声を落とした。
国王:「表向きには、お前たちは『軍の命令を無視して無断で逃亡した』ということにする」
氷室 怜:「逃亡……、ですか?」
国王:「ああ」
国王は苦々しげに頷(うなず)いた。
国王:「現在、神殿の神威を笠(かさ)に着た強硬派(タカ派)の権力は、異様なほどに強大化している。 余が正面からお前たちの出撃を差し止め、庇(かば)おうものなら、それだけでこの南王国内が真っ二つに割れる」
その言葉には、一国の王としての深い敗北感と疲労が滲(にじ)み出ていた。
国王:「ゆえに……すまぬ」
国王が、一人の少年の前で深く頭を下げる。
国王:「お前たちには、一時的に『国を裏切った不名誉な逃亡者』の汚名を着てもらう。 だが、安心せよ。 王都を脱した者たちは、王国最南端にある、王族以外立ち入り禁止の特別隠居区へと極秘に匿(かくま)う手筈(てはず)をすべて整えてある」
氷室 怜:「…………!」
国王:「あそこならば、あの強欲な大神官の汚れた手も、決して届くことはない」
俺は、黙って国王の真摯(しんし)にして必死な瞳を見つめ返した。
 そうして――静かに、かつ深く、肺の奥底まで冷たい大気を吸い込んだ。
氷室 怜:(なるほど……。 すべての全容(パズル)が完璧に組み上がったぞ) 俺の、冷徹にして卓越した戦術分析回路が、高速で火花を散らしながら回転を始める。
氷室 怜:(国王派と神殿タカ派の暗黒の権力闘争は、すでにここまで修復不可能なレベルにまで深刻化していたのか) 俺は手渡された重々しい親書を、革手袋のなかで強く握り締める。
氷室 怜:(国王は、すでに自らの正当な意思を公の場で通すことすら叶わない。 だからこそ、俺たちを神殿の使い捨ての駒にさせないために、ここまで回りくどい『脱走劇』という手段を選んで俺たちを守ろうとしたんだ) 真っ向から出撃命令を握り潰すことはできない。 だが、俺たちの生存権を最優先し、安全な聖域へと逃がす道筋は裏で完璧に舗装している。 そしてその上で、東の魔王へ不戦の親書を届けるという、国家の命運を懸けた真の裏任務(クエスト)。
俺は、曇りのない決意をその眸(ひとみ)に宿して口を開いた。
氷室 怜:「……陛下」
国王:「なんだ、氷室」
氷室 怜:「全員が指示通り真っ直ぐ南へ逃げては、大神官の飼っている猟犬どもは必ず我々の不自然な足跡を怪しみ、執拗(しつよう)に追いかけてくるでしょう。 出撃命令を一度受けた以上、まずは魔王軍の領土である『北』へ向かったと敵の目を偽装しなければなりません」
国王:「む……。 確かに、お前の言う通りだ」
氷室 怜:「ですから、まずは全員で一丸となって王都を夜陰に乗じて脱出し、北へ向かいます。 そうして大神官の追っ手を引き付け、完全にその視界を攪乱(かくらん)して振り切った後――親書を確実に届けるための『最も目立つ囮(おとり)』として、俺一人だけが北の鉱山エリアへ残ります。 俺以外の皆は、追っ手の消えた隙を突いて最南端の特別保護区へ直行させてください」
国王:「氷室……っ!」
老いた国王の瞳が、激しい感動によって大粒の涙を湛(たた)えて打ち震えた。
国王:「お前という男は……。 自ら最悪の死地である北へ残り、ただ仲間の命を繋(つな)ぐための孤独な囮になるというのか……っ! なんという気高き、真なる勇者の魂よ……!」
氷室 怜:「いえ。 当然の戦術的義務にございます」
俺は、これ以上ないほど冷徹に、深く頭を下げた。
だが、俺の内心は全く真逆であった。
氷室 怜:(……よしっ、完璧だ!) 俺は心の内で、誰にも見えぬように力強く快哉(かいさい)のガッツポーズをキメていた。
氷室 怜:(まずはこれで、国王の側から『合法的な脱走の大義名分』と『最高権力の親書』を完璧に引き出したぞ!) 氷室 怜:(城の厳重な包囲を抜けるまでは、十五人全員で一丸となって行動した方が確実に生存率が高い。 そうして一度追っ手を完全に退けた後で、改めて皆の本当の意志を確かめればいい。 安全な南の隠居区へ逃げ延びたい奴はそのまま逃がし、俺と一緒に北の鉱山へ向かいたい奴がいれば、喜んで連れて行くまでだ) そう、これは無様に追い詰められた敗走などでは断じてない。
 俺は『不戦の親書を届ける』という免罪符(合法的な国外脱出チケット)を最大限に悪用し、この吐き気のするようなブラック国家から完全にオサラバしてやるのだ。
残された仲間たちにも、自らの意志で進むべき第二の人生(転職先)を選び取らせてみせる。
これこそが――俺たち使い捨ての社畜(勇者候補)による、栄えある『退職届(脱走宣言)』に他ならない。
氷室 怜:(ありがとう、国王陛下。 あんたの温情は忘れんよ) 俺は、再び懐の胃薬を握りしめ始めた老王に向かって、心からの誠実な感謝を捧げた。
そうして――。
頭脳明晰(めいせき)な自称・軍師の氷室 怜は、寸分の狂いもない完璧な脱走計画(退職手続き)に胸を躍らせながら、まずは闇の中で待機している哀れな仲間たちの元へと急ぎ引き返すのであった。
窓のない大部屋へと這(は)い戻った俺は、疲労で床に横たわる残りの十四人を密かに集めた。
委員長の藤堂 葵(とうどう あおい)もいる。 体育会系の近藤もいる。 そして、この一週間の過酷な地獄(ブラック労働)を共に潜り抜けてきた、生気のない戦友たちの貌(かたち)が揃(そろ)っていた。
俺は、国王から直々に託された漆黒の封印付きの親書を掲げ、玉座の間で交わされた密約と、王宮が隠蔽(いんぺい)していた『真の意図』のすべてを低い声で打ち明けた。
氷室 怜:「……というわけだ」
部屋の空間が、波一つない凪(な)いだ海のように水を打って静まり返る。

近藤:「つまり……」
Bランクの近藤が、現実を咀嚼(そしゃく)するようにゆっくりと顔を持ち上げた。
近藤:「俺たち、今夜ここから逃げるのか?」
氷室 怜:「ああ」
俺は一ミリの迷いもなく即答した。
氷室 怜:「俺たちは今日、この吐き気のする国家を――」
一拍、重々しく間(ま)を置く。
氷室 怜:「退職する」
一同:「…………」
妙に重苦しく、しかしどこか甘美な響きを帯びた沈黙が一同の頭上に落ちた。
藤堂 葵:「……退職」
葵が、元の世界にあった懐かしい言葉を噛(か)み締めるように呟(つぶや)く。
氷室 怜:「ああ、そうだ」
俺は深く頷(うなず)いた。
氷室 怜:「冷静に考えて、もう無理だろ、これ」
ただの一人も、その決断に反論する者はいなかった。
むしろ全員がその淀(よど)んだ瞳の奥底に、かつてない覚悟の炎をギラリと宿し、力強く首肯した。
誰か:「大賛成」
誰か:「俺もだ。 こんな使い捨ての駒にされてたまるか、絶対逃げる」
誰か:「明日もあの鬼軍曹のブートキャンプを受けるなんて、死んでも御免だわ」
誰か:「退職届って、これどこの部署に叩きつければいいの?」
誰か:「そもそも俺たち、社会保険とか入ってたのか? 正社員雇用だったのかよ」
……確かに。
だが、そんな元の世界の労務コンプライアンスなど、この不条理な異世界においてはこの際どうでもいいことだ。
 最優先すべき問題は――いかにして、この鉄壁の要塞(ようさい)と化した王都から隠密に脱出するか、だ。
藤堂 葵:「でも、具体的にどうやって包囲を抜けるの?」
葵が胸元でバスタオルを握りしめるように腕を組んだ。
藤堂 葵:「王都の四方は、神殿騎士団の監視網でがっちり固められているわ。 私たちがぞろぞろと正面の城門へ向かったら、その瞬間に不審者として捕縛されるわよ」
氷室 怜:「その通りだ。 普通に挑めばな」
俺は不敵に口元を歪(ゆが)めて頷いた。
氷室 怜:「だからこそ――」
集まった十四人の戦術的な顔ぶれを見回す。
氷室 怜:「今夜の『混浴風呂(サバイバル・フィールド)』を最大限に利用する」
一同:「…………」
一同:「…………は?」
一斉に、間の抜けた戸惑いの声が上がった。
誰か:「混浴風呂って……」
誰か:「まさか……」
誰か:「あの、馬鹿みたいに広すぎる一キロ級のジャングル大浴場のことか?」
そうだ。
俺たちが王城へ連れてこられてから、強制的に毎晩叩き込まれているあの巨大な魔導浴場。
肉体の治癒効果、魔力の強制回復、精神の疲労リセット。
そして――男女が互いのバスタオルの隙間を覗(のぞ)こうとするたびに、全力の極大魔法が容赦なく飛び交う狂気の演習空間。
もはや風呂という体裁は崩壊しており、実戦さながらのサバイバルフィールドと化していた。

氷室 怜:「ああ」
俺は極めて真剣な貌(かたち)で首肯した。
氷室 怜:「あそこの構造と、これまでの演習データを利用する」
藤堂 葵:「どうやって?」
葵(あおい)が訝(いぶか)しげに眉をひそめて尋ねる。
氷室 怜:「いつも通りにやるだけだ」
藤堂 葵:「いつも通り?」
氷室 怜:「全力で、死に物狂いで魔法を撃ち合うのさ」
全員が不可解そうに首を傾(かし)げる。
俺はそこで、口の端をわずかに吊り上げた。
氷室 怜:「……ただし」
俺は指先を一本立て、彼らの無知を指摘する。
氷室 怜:「お前たちは目先の狂騒に必死すぎて、誰一人として気づいていなかったはずだ」
誰か:「何に、よ?」
氷室 怜:「この一週間の、俺たちの行軍ルートの癖に、だ」
俺は言った。
氷室 怜:「俺たち男子は、いつも『特定の座標』から女子陣地への突撃を敢行していたはずだ」
葵はハッとその可憐(かれん)な目を見開いた。
藤堂 葵:「確かに……男子が突撃してくる侵入位置は、いつも同じだったわ」
氷室 怜:「そうだ。 そしてお前たち女子は、それを牽制(けんせい)するフリをして、あえて特定の斜めの岩壁に呪文を乱反射させて迎撃していた。 違うか?」
藤堂 葵:「…………え?」
葵が混乱したように目を瞬(しばた)かせる。
藤堂 葵:「私たち、ただの反射神経で迎撃してたわ……。 まさか、あれって」
氷室 怜:「ああ」
俺は静かに頷いた。
氷室 怜:「それによって――意図的に、交差する複合魔法の衝撃波(余波)を、俺たちの狙った単一の壁面へと集中させていたのさ」
部屋の空気が、驚愕(きょうがく)によって一気に塗り替えられた。

氷室 怜:「ただの覗き合戦に見せかけた、脱出経路のための極秘削岩作業だ」
俺の言葉に、近藤が身を乗り出して息を呑む。
近藤:「まさか……あの、誰も近づかない最奥の壁か?」
氷室 怜:「そうだ」
俺は答えた。
氷室 怜:「大浴場の一番奥に隠された――王城の、外壁だ」
この一週間。 俺たちは毎晩、あの魔導浴場で致死量の魔術を撃ち合っていたのだ。
監視の任に就く騎士たちから見れば、それはただの 「欲望に取り憑(つ)かれた男子どもと、それを全力で撃退する女子による、生温い(?)痴話喧嘩」 にしか映っていなかっただろう。
毎晩、大爆発を伴う火球が飛び、紫電が走り、水壁が吹き上がり、光弾の明滅が森林を照らす。
騎士たちは、それを単なる社畜(勇者候補)のストレス発散と、軍事教練の一環だと思い込んで、完全に油断していたのだ。
だが――。
氷室 怜:「実は、覗きに必死で撃ち損じたフリを装いながら、弾道のベクトルを精密にずらしていたんだ」
俺は淡々と説明を重ねる。
氷室 怜:「外壁の全く同じ座標へ、毎晩少しずつ、確実に物理ダメージを蓄積させておいた」
藤堂 葵:「……まさか」
葵(あおい)の貌(かたち)が、戦慄(せんりつ)を伴う驚きへと変貌していく。
藤堂 葵:「あの壁、もう……」
氷室 怜:「ああ」
俺は冷徹に首肯した。

氷室 怜:「すでに、内部の構造体には無数の微細なひびが入っている状態だ」
毎日、浴場そのものが神殿の自動修復の魔力によってコーティングされるため、表面の塗装だけはまったく問題なく見える。 だからこそ、誰の索敵にも引っかからなかった。
だが、石組みそのものの深奥に蓄積した物理的な金属疲労(ダメージ)までは、魔術の表面補修では完全には消え去っていないのだ。
氷室 怜:「監視の騎士は、俺たちが今夜も下俗な本能のまま、好き勝手に魔力を無駄撃ちしていると信じ込んでいる」
誰か:「つまり……」
氷室 怜:「今夜の入浴時間の終盤、ありったけの最大火力をその一点にのみ集中させる」
俺は革手袋のなかで拳を強く握り締めた。
氷室 怜:「そうして――壁を、内側から完全に爆破してぶち抜く」
藤堂 葵:「……なるほど、完璧な戦術眼ね」
葵が吐息とともに感嘆の声を漏らした。
だが。 まさにそこで、Bランクの魔導士クラスを授かった女子、桜坂 咲(さくらざか さき)がおずおずと控えめに手を挙げた。
桜坂 咲:「……ねえ、氷室くん」
氷室 怜:「なんだ、桜坂」
桜坂 咲:「一個だけ、どうしても無視できない、著しく致命的な防衛問題があるんだけど」
氷室 怜:「言ってくれ、作戦の修正は歓迎する」
桜坂 咲:「壁を壊して無事に外に出られたとして……さ」
桜坂の視線が、俺たち全員へと、言い難い不安げに彷徨(さまよ)う。
桜坂 咲:「……私たち、服はどうするの?」
一同:「…………」
重苦しい、真理の沈黙が落ちた。
桜坂 咲:「さすがに……」
桜坂は耳まで真っ赤に染め上げ、恥ずかしそうに俯(うつむ)いた。
桜坂 咲:「支給されたバスタオル一枚の姿で、夜の王都をフルマラソンして脱走するのは……ちょっと、倫理的にも社会的にも、女子としての精神的にもキツいっていうか、一発で通報されるわよね……?」
氷室 怜:「……分かっている、その懸念は至極当然だ」
俺は静かに首肯した。 だが、その程度の労務リスクは、すでに俺の計画のなかで完全にカバーしている。
氷室 怜:「安心しろ、桜坂」
桜坂 咲:「え?」
氷室 怜:「衣服は――すでに、裏ルートで手配を完了してある」
全員の息を呑むような視線が、一斉に俺の顔へ集まった。

氷室 怜:「国王の密命を帯びた、あのダッシュ・レイン将軍が、外の外壁合流地点に人数分の旅装束をすでに用意して待機しているはずだ」
近藤:「……あのおっさん、仕事が早すぎるだろ」
近藤が呆(あき)れ果てたように呟(つぶや)いた。
近藤:「国王陛下、どんだけ俺たちをこのブラック国家から逃がすのに本気なんだよ……」
氷室 怜:「ああ、死活問題だからな」
俺は重々しく首肯した。 一国の王が、王冠を無様にずり落としながら野生の胃薬を噛(か)み砕(くだ)くほど本気なのだ。
これで、すべての戦術的ピースは揃(そろ)った。
あとは――決行するだけだ。
◇
その夜。
いつも通り、俺たちは巨大なジャングル混浴風呂(サバイバル・フィールド)へと足を踏み入れた。
乳白色の濃密な湯煙が、視界の果てまで立ち込めている。 広大な湯面。 完全に正反対に位置する男女それぞれの進入路。
そして、互いに一定の警戒距離を保ちながら、殺気立って睨(にら)み合うクラスメイトたち。
第三者の冷めた目から見れば――それはいつもと何一つ変わらない、地獄のサバイバル空間であった。
男子誰か:「野郎ども、欲望のままに突っ込めぇぇぇっ!」
女子誰か:「来るんじゃないわよ、このウジ虫変態どもぉぉぉっ!」
火球が夜の湯面に炸裂する。

誰か:「《火球(ファイヤーボール)》!!」
――ドォンッ! 派手な水柱が天窓へ向かって爆ぜる。 男子側からは無軌道な斬撃魔術が、女子側からは堅牢(けんろう)な防御結界が展開されていく。
鼓膜を震わせる轟音(ごうおん)、激しい水飛沫(みずしぶき)、そして視界を白く染め上げる魔導の蒸気。
誰か:「もっと派手に弾幕を張れ!」
誰か:「相手に当てるんじゃないわよ、あそこの外壁のヒビを狙いなさい!」
誰か:「座標、確認! そこだ!」
誰か:「《閃光(フラッシュ)》!!」
眩(まばゆ)い光条が浴場全体の空間を白一色に覆い尽くす。
出入り口付近の安全圏で監視の任に就いている神殿騎士たちは、毎晩繰り返されるこの騒々しい狂騒に、すっかり慣れきっていた。
神殿騎士:「今日もあいつら、盛んに元気だな……」
神殿騎士:「若いってのは羨ましいよ。 チート能力の無駄遣いだな」
神殿騎士:「……はぁ、俺もう早く交替して帰って寝たいわ。 見張りダルすぎ」
その程度の、完全に弛(たる)みきった平和ボケの認識だった。
そして、制限時間の終盤。
俺は白く煙る湯煙の向こう側で、藤堂 葵の眸(ひとみ)を捉(とら)えた。
葵もまた、こちらの意図を察して視線を返す。
小さく、しかし力強く、互いに決別の頷(うなず)きを交わした。
藤堂 葵:「――今よ!!」
氷室 怜:「了解」
葵(あおい)が、白煙のなかで白く輝く両手を天へと広げた。

藤堂 葵:「みんな、一斉に!」
ここにいる十五人全員の切実な意志が、ただ一つのベクトルへと収束していく。
誰か:「最大火力、叩き込め!」
誰か:「いくぞぉぉぉっ!」
誰か:「これで、このブラック企業ともおさらばだぁぁぁっ!」
そうして――葵が、肺の底から魂を絞り出すように叫んだ。
藤堂 葵:「――《聖なる光撃(ホーリー・レイ)》ッ!!」
次の瞬間。
十五人分のありったけの残魔力を乗せた、濁流のような極太の光線が、視界のすべてを真っ白に染め上げた。
――ズガァァァァァァァァァンッ!!!
鼓膜を容赦なく破壊する、凄まじい大爆音。 凄絶な衝撃波が湯面を割り、天を衝くような巨大な水柱が爆ぜる。
外壁の奥底に隠蔽(いんぺい)されていた無数の亀裂が、限界まで飽和した魔力の暴力によって一斉に繋がり、連鎖した。
そして――。
南王国が誇る要塞の、あの分厚い石造りの外壁が、文字通り夜空へ向かって豪快に粉砕され、吹き飛んだのだ。
神殿騎士:「な、なんだぁぁぁっ!?」
神殿騎士:「壁が、外壁が丸ごと爆破されたぞ!?」
神殿騎士:「誰か止めろ! 勇者どもが脱走するぞ!」
出入り口の神殿騎士たちがようやくこの大天変地異に気づき、泡を食って剣を引き抜く。
だが――すべては遅すぎた。
 もうもうと立ち込める夥(おびただ)しい土煙と白煙が、浴場の視界を完全に遮断していく。
その濁流の向こう側から。
氷室 怜:「今だ!」
俺は、喉がちぎれんばかりの声で叫んだ。
氷室 怜:「走れぇぇぇぇぇっ!!」
俺たちは一斉に、湿った床を蹴って猛然と駆け出した。
裸足のまま。 支給されたバスタオル一枚を必死に身に纏(まと)った姿のまま。 夜闇を優しく覆う土煙のなかに紛れて。
完全に崩壊した石壁の向こう――その先にどこまでも無限に広がる、自由な夜の闇へ。
王都から。 因縁の王城から。
そして何より――俺たちをただの都合の良い特攻兵器として使い潰そうとした、あの悪辣(あくらつ)極まるブラック国家から。
俺たち十五人の 「輝かしき退職者」 たちは。
二度と背後を振り返ることなく、新天地を求めて一斉に夜を走り出したのであった。

――同じ頃。
王城の奥深く、神殿勢力の中枢に位置する絢爛(けんらん)たる私室。
大神官は、ビロードのソファへ深々と腰を下ろしていた。 手には最高級の赤ワイン。 目の前には、彼に付き従うタカ派の貴族たち。
誰もが、自らの描いた完璧な盤上に酔いしれ、至極上機嫌だった。
大神官:「フフフ……」
大神官は、血のように赤い液体が入ったグラスを優雅に揺らす。
大神官:「あの愚かな勇者どもを戦地へ出荷してしまえば、あとは吉報を待つばかりよ」
貴族:「左様にございますな」
貴族の一人が、いやらしい笑みを浮かべて揉み手をする。
貴族:「東の魔王へぶつければ、我々はどちらへ転んでも一ミリも損をいたしません」
大神官:「決まっている」
大神官が傲慢(ごうまん)に嗤(わら)う。
大神官:「万が一、勇者たちが無惨に殺されれば、『凶悪なる東の魔王軍が、異世界より召喚された希望の勇者たちを虐殺した』と大々的に宣伝すればよい」
貴族:「なるほど」
貴族:「東方魔王軍の非道を民衆に糾弾させ、我が神殿の求心力を高める絶好の大義名分になるわけですな」
大神官:「その通りだ」
大神官はワインを一口、美味そうに味わう。
大神官:「そして――万が一にも勇者どもが東の魔王を討ち取れば」
醜く口元が歪(ゆが)む。
大神官:「すべては、勇者を正しく導いた『我が神殿の功績』となる」
貴族:「おお……!」
貴族:「なんと完璧な策だ! これで弱腰の国王も終わりぞ!」
貴族:「我々の時代が来る!」
下品な高笑いが、部屋いっぱいに響き渡る。

大神官:「フフフ……」
貴族:「ハハハハハ――」
まさに、その絶頂の瞬間であった。
神殿騎士:「ほ、報告ぅぅぅぅぅっ!!」
バァンッ! 重厚な木扉が乱暴に弾け飛び、顔面を土気色に変えた神殿騎士が床へと転がり込んできた。
一同:「――!?」
全員が一斉に振り返る。 騎士は、死に物狂いで走ってきたのか激しく肩を上下させ、呼吸を乱している。
神殿騎士:「た、大変です!」
貴族:「何事だ、騒々しい! 猊下(げいか)の御前(ごぜん)であるぞ!」
大神官の取り巻きが不快げに眉をひそめる。
神殿騎士:「勇者たちが……!」
貴族:「勇者がどうした? すでに出撃したのだろう?」
神殿騎士:「大浴場の頑強な外壁を複合魔法で完全に破壊し――王都を、離脱いたしました!!」
一同:「…………」
部屋に、水を打ったような静寂が戻る。
大神官:「…………は?」
大神官の手が、宙でピタリと硬直した。
大神官:「……離脱、だと?」
神殿騎士:「はっ! 奴ら全員、外壁に大穴を開けて外へと逃亡いたしました!」
大神官:「なぜだ? なぜ今になってそんな真似を!」
神殿騎士:「それが……我々にも、いささかも見当がつかず……っ」
大神官:「なぜだぁぁぁぁぁっ!!」
ガシャァァァンッ!! 大神官の掌からこぼれ落ちた金縁のワイングラスが、大理石の床で粉々に砕け散り、血のような赤黒い染みを無残に広げた。
大神官:「馬鹿なぁぁぁぁぁっ!!」
大神官は、ビロードのソファから弾かれたように跳ね起きた。
大神官:「なぜ逃げた!? 誰が裏で糸を引いて逃がしたのだ!?」
神殿騎士:「わ、分かりません!」
大神官:「ならば四の五の言わずに追えぇぇぇぇぇっ!!」
彼はその端正だった顔を茹でダコのように真っ赤に沸騰させながら、喉がちぎれんばかりに絶叫した。
大神官:「ただちに神殿の捕縛部隊(猟犬)をすべて出せ! どんな手段を使ってでも、あの決戦兵器どもを力任せに連れ戻してこい!」
神殿騎士:「はっ!」
神殿騎士が直立不動で敬礼し、弾かれたように部屋を飛び出していく。

その直後のことであった。
大神官:「…………」
激昂(げきこう)していた大神官の貌(かたち)から、すっとすべての血の気が、さぁっと引き失せた。
貴族:「…………まさか」
取り巻きの貴族の誰かが、最悪の推測を震える声で呟(つぶや)く。
貴族:「国王派が……我々の目を欺き、裏で絵図を描いたのでは……?」
大神官:「…………」
大神官の額に、太い青筋が何本も悍(おぞ)ましく浮かび上がる。 彼らが構築したはずの、あの完璧なはずの机上の空論が、音を立てて木っ端微塵(こっぱみじん)に崩壊していく。
大神官:「国王めぇぇぇぇぇっ!!」
そう怨嗟(えんさ)の叫びを上げながら、天を仰いだその瞬間。
大神官は、芸術的なまでに完全に白目を剥(む)いた。
大神官:「ぐ……う……っ」
貴族:「だ、大神官様!?」
極限の精神的ストレスにより、口元からカニのようにブクブクと無様に泡を吹き始める。
大神官:「……きゅ」
そうして、最後には。
バタンッ、と。
神の代弁者を気取っていた王国の最高権力者の一人は、みっともなく大理石の床へ顔面から突っ伏し、そのまま昏倒(こんとう)するのだった。

だが、床に昏倒(こんとう)した彼を慌てて助け起こす者は、この私室にはただの一人も存在しなかった。
というよりも、他者を救う精神的な余裕など、誰一人として持ち合わせていなかったのだ。
貴族:「……どうする、これから」
貴族:「知るか。 勇者が丸ごと脱走したとなれば、特大の責任問題だぞ」
貴族:「我々も、あの大神官(トカゲ)が目覚める前に、今のうちに己の領地へ逃げ帰るか?」
貴族:「それは名案だ、急ごう」
蜘蛛(くも)の子を散らすとはまさにこのことか、タカ派の貴族どもは我先にと私室から蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。
こうして。 南王国の未来を身勝手に弄(もてあそ)ぼうとした大神官派の最高作戦会議は、王都の歴史上、最も情けなく、かつ史上最短で自滅(崩壊)を迎えることとなったのである。
◇
一方。
爆破された王城の外、濃密な暗闇に包まれた極秘の合流地点。
ダッシュ・レイン:「遅いぞ、お前たち!」
俺たちが盛大に土煙を上げて大浴場の崩落跡から飛び出すと、そこにはすでに複数頭の馬の長綱を握ったダッシュ・レイン将軍が、厳しい表情で待機していた。
ダッシュ・レイン:「何を呆然としている、早く服を着替えろ!」
泥の地面には、十五人分の頑丈な旅装束が手際よくまとめられていた。
誰か:「これを……俺たちに?」
ダッシュ・レイン:「そうだ! バスタオル一枚の無防備な格好のままでは、夜の原生林など一マイルと抜けられん!」
俺たちは無我夢中でその旅装束へと四肢を通していく。 つい数分前まで熱い湯に身を浸していたとは思えないほど、肌を刺す夜風は凍えるように冷たかった。
まさに、その時である。

近藤:「――追っ手だ!」
Bランクの近藤が、暗闇の向こうを指差して叫んだ。
近藤:「来たぞ、城内からだ!」
振り返ると、王城の外壁に開いた凄惨(せいさん)な大穴の奥底から、無数の松明(たいまつ)の光条が、激しい足音とともにこちらへ向かって殺到してくるのが見えた。
全身を黒い鎧で固めた、神殿直属の私兵たち。 その数、優に数十。
誰か:「神殿の精鋭捕縛部隊(猟犬)です!」
ダッシュ・レイン:「チッ……網を張るのが、思っていたよりも早いな」
ダッシュ将軍が忌々(いまいま)しげに舌打ちを漏らした。
そうして、彼はゆっくりと実戦用の分厚い腰帯へと太い手を伸ばす。
静かに引き抜かれたのは、自らの身の丈ほどもある、幾多の戦場を潜り抜けてきた無骨な巨大重剣であった。
ダッシュ・レイン:「お前たちは下がっていろ」
誰か:「将軍!?」
ダッシュ・レイン:「ここは俺が、王国軍の誇りにかけて食い止める」
その低く静かな宣告と、同時であった。
歴戦の老将軍のその巨躯が――網膜のなかでブレて、一瞬にして消え去った。
誰か:「……え?」
次の瞬間。 夜の静寂(しじま)を、物理法則を完全に蹂躙(じゅうりん)した巨大な剣気の『一閃』が薙(な)ぎ払った。
――ズガァァァァァァァァンッ!!!
神殿騎士:「ぎゃあああああっ!」
神殿騎士:「うわぁぁぁぁっ!?」
神殿騎士:「なんだ、この人知を超えた威力はぁぁっ!?」
全身を鋼鉄で固めていたはずの数十人の精鋭騎士たちが、まとめて、ただのゴミ屑(くず)のように夜空へと吹き飛んだ。 まるで局地的な巨大竜巻に巻き込まれたかのように、分厚い鎧(よろい)ごと宙を舞い、背後の巨木へと激突して無様に転がり落ちていく。

――圧倒的な、漆黒の静寂。
一同:「…………」
一同:「…………」
一同:「…………」
俺たちは。 十五人全員が、口を半開きにしたまま完全に石像のように固まっていた。
近藤:「……す、すげぇ……」
近藤が、現実を拒絶するかのような目でぽつりと呟(つぶや)く。
近藤:「王国最強って……こういう次元のことを言うのか……」
俺も、言葉を失っていた。 これが、神の加護に頼らず、本物の修羅場を幾度も潜り抜けてきた男の圧倒的な暴力。
だが、ダッシュ将軍は眉一つ動かさず、何事もなかったかのように愛用の重剣を鞘(さや)へと納め、冷徹に告げた。
ダッシュ・レイン:「感嘆している暇はない、急ぐぞ」
誰か:「え?」
ダッシュ・レイン:「すぐに神殿の第二陣が、より大規模な猟犬を連れてやってくる。 走れ!」
その鋭い一言で、俺たちは一瞬にして我に返った。
氷室 怜:「行くぞ、みんな!」
俺たちは一斉に、馬の背を蹴り、夜の原生林の奥底へと駆け出した。
◇
要塞都市たる王都を完全に抜け、夜の闇をひたすらに疾走し続け。
やがて、陽の光すら拒絶するほど深く鬱蒼(うっそう)とした、死の森の中へと入り込んだ。
神殿の追っ手が放つ特有の殺気が完全に消失したことを確認し、俺たちはそこでようやく、手綱を引いて足を止めた。

荒い呼吸を整えながら、俺は満身創痍(まんしんそうい)の仲間たち全員を冷徹に見回した。
氷室 怜:「ここからが、本当の戦術的選択だ」
闇が深く口を開ける森の先には、運命を分かつ二つの道が分かれていた。
一つは、南。 国王が裏で完璧に舗装してくれた、安全な特別保護区へ向かう平穏な道。
もう一つは――北。 強大な東方魔王軍の絶対勢力圏へと続く、死と隣り合わせの、昏(くら)い闇の道。
氷室 怜:「約束通りだ」
俺は、どこまでも真剣な貌(かたち)で言葉を紡いだ。
氷室 怜:「ここから先は、それぞれ自らの意志で第二の人生を選び取ろう。 安全な南の特別保護区へ向かう者。 そうして――苛烈な北の最前線へ向かう者」
誰にも強制はしない。 これこそが、俺たち使い捨ての社畜(勇者候補)に許された、栄えある『退職後の自由な進路選択』なのだ。
氷室 怜:「俺は、国王との密約(クエスト)を果たすためにも北へ行く。 迷いはない」
その凛(りん)とした声音に、最初に応じたのは、冷静沈着なAランクの剣士・斎藤 一(さいとう はじめ)であった。
斎藤 一:「俺も、氷室と共に北へ行く」
続いて、 結城 静:「私もよ」
回復魔導士の結城 静(ゆうき しず)が、確固たる決意で力強く頷(うなず)いた。
結城 静:「今までも氷室の冷静な判断に命を救われてきた。 私はあなたの戦術を信じるわ」
藤堂 葵:「私も当然、北へ行くわよ。 委員長(リーダー)を置いて南に逃げるわけにいかないもの」
藤堂 葵もまた、迷うことなく俺の隣へと並び立った。
さらに――。

近藤:「俺も行くぜ、氷室!」
近藤が、鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように勢いよく挙手する。
近藤:「もう王国の不条理な命令に踊らされるのは反吐(へど)が出る。 お前についていった方が絶対に面白い!」
瀬川 瑠夏:「データが示しているわ。 氷室が選択するルートの方が、結果的な生存率が最も高い」
索敵担当の瀬川 瑠夏(せがわ るか)も静かに首肯した。
最後に、桜坂 咲(さくらざか さき)が、少しおずおずと可憐(かれん)に小さな手を挙げた。
桜坂 咲:「……私も、北へ連れていってほしいな」
氷室 怜:「理由は?」
問うと、咲は少しだけ視線を彷徨(さまよ)わせてから、恥ずかしそうに白状した。
桜坂 咲:「だって、氷室くんたちについていった方が……最終的に一番、美味しいご飯が食べられそうな気がするんだもん」
一同:「……」
実に現金にして、本能に忠実な現実的理由であった。 だが、サバイバルにおいてそれほど強い原動力もない。 それでいい。
結果として。
安全が保障された南の特別保護区へ進路を取るのは、八名。
そうして、俺と共に最悪の死地と噂(うわさ)される危険な北へ進むのは――俺を含めて七名。
氷室 怜:「よし」
俺は深く頷いた。
氷室 怜:「俺たち七人は、ダッシュ将軍の案内のもと、あえて北の最前線へと身を投じる」
一同:「了解」
全員の答えは一つだった。 傍らで控えるダッシュ将軍も、俺たちの気高き覚悟(と盛大な勘違い)を受け止めるように、沈黙のまま重々しく首肯していた。

俺は、遥(はる)か北方の、どこまでも濃密な暗闇を見据えた。
その先にあるのは――。
俺たちがかつて最底辺の『ハズレ』だと思い込み、憐(あわ)れみの目を向けていた男が、自ら選び取った聖域。
指揮(しき) タクト。
異世界召喚されたこのクラスのなかで、唯一人、最低のEランク採掘士という烙印(らくいん)を押された少年だ。
最初の神殿の儀において、俺は確かに思っていた。
採掘士など戦力外の無能だと。 前線からいち早く逃げ出した、覇気のない卑怯者(ひきょうもの)だ、と。
……だが、それは浅はかな誤りであった。 あの剥(む)き出しの地獄のような洗脳訓練と、王宮のドロドロとした権力闘争を肌で味わった今なら、痛いほどに、骨の髄まで理解できる。
あいつは。
最初から、この腐りきった異世界における唯一無二の『正解(ルート)』を完璧に見抜いていたのだ。
 最前線で無謀に命を散らさない。 見栄を張って無理をしない。 自身に降りかかるあらゆる危険を、事前の観察眼によって的確に避ける。
そうして――何があっても、しぶとく最後まで生き残る。
それこそが、神から与えられた数値だけの固有スキルなんかよりも遙かに尊い、この世界における最善にして至高のサバイバル戦術(生存戦略)だったのだ。
氷室 怜:(待っていろよ、タクト) 俺は、ブレない決意とともに北の原生林へ向かって一歩を踏み出す。
氷室 怜:(俺たちも今から、お前が一人で勝ち取った『生き残るための真の生存戦略』を学びに、そっちへ向かう)
こうして。
王国の悪辣(あくらつ)極まる軍事調教(ブラック労働)の包囲網を爆破して逃れ、俺たち七人の勇者は、見事に完全なる『退職(国外脱出)』を果たした。
もちろん、当の本人たちには、そんなサラリーマンのような生々しい自覚など微塵(みじん)もありはしない。
ただ、生物として生き残るために。 もう二度と、あの理不尽に満ちた地獄のブートキャンプへ戻らないために。
俺たちは馬の手綱を引き、北へと驀進(ばくしん)する。
東方魔王軍という、人智を超えた最悪の怪物どもが割拠して支配する――恐るべき死地(北方鉱山)へ。

そこに――。
俺たちが 「乱世を生き抜く孤高の師」 と仰ぐその当の本人が、最新式の魔導温泉にゆったりと身を浸しながら、至福の表情で特級ワイバーンの焼き鳥を呑気(のんき)に頬張っている真っ最中だとは。
哀しいかな、今の彼らは知る由(よし)もなかったのである。
現場監督官:「今日から、ここがお前の真新しい宿舎だ」
恰幅(かっぷく)のいい現場監督官に案内されたのは、王都北方鉱山のさらに奥深く。
陽の光すら遮(さえぎ)る鬱蒼(うっそう)とした原生林を切り拓いて建設されたばかりの――『深層エリア』。 その労働者用居住区であった。
タクト:「……なるほど、ここですか」
タクトは、眼前に整然と並び立つ建物の群れを静かに眺めた。
外見は、ごく簡素な木造の長屋。
いや。 どう贔屓(ひいき)目に見積もっても、ただの安っぽいプレハブ仮設住宅だ。
外壁からは切り出されたばかりの真新しい木の香りが漂っているものの、その薄っぺらい作りは、一目見た瞬間に地球の工事現場にある仮設休憩所を強く連想させた。
タクト:「……まあ、新築なだけ、前のタコ部屋よりはマシか」
タクトは、自らに都合よく言い聞かせるようにポツリと呟(つぶや)いた。
 あの呼吸するだけで壁にぶつかりそうだった煤(すす)けた四畳半より、ほんの少しでも間取りが広ければそれでいい。
そうして、何よりも――。
タクト:「危険手当(インセンティブ)が、かなりドカンと支給されるんだよな」
深層エリアは未開の魔獣も這(は)い出してくる危険地帯だ。 その分、給料の基準も大幅に跳ね上がる。 タクトの極めて小市民的な野望(いつか広い部屋に引っ越してサボるための資金繰り)にとって、その破格の厚遇だけで十分すぎるほどに魅力的であった。
現場監督官:「じゃあ、この部屋の鍵を渡しておくぞ」
監督官が、真鍮(しんちゅう)のくすんだ鍵を差し出してきた。
現場監督官:「明日の朝六時に、第一採掘場の前に集合だ。 くれぐれも遅れるなよ」
タクト:「はい、ありがとうございます」
手渡された鍵をしっかりと受け取り、タクトは自らに割り当てられた一番端の部屋の表札に目を落とした。
『101号室』
タクト:「……よし」
ドアノブへ手をかける。
――ガチャリ。
鍵を回し、少し立て付けの悪い重い木製の扉を、ゆっくりと内側へ押し開いた。
タクト:「新しい部屋、どんな感じ――」
新天地へ期待を込めて一歩、部屋の中へ踏み込もうとして――。
タクト:「…………え?」
タクトのすべての思考と肉体の動作が、完全に停止した。
 寸分の狂いもなく。
精密に作られた石像のように。
彼はその場に、片足をマヌケに上げたままの姿勢で、硬直するほかなかった。
視界のなかに容赦なく飛び込んできたその破天荒な光景が。
タクトの現代人としての脳の処理能力を、一瞬にして完全に超越していた。
そこは、ありふれた四畳半や六畳のワンルームではない。
薄っぺらい木造の長屋でもなければ、ましてやプレハブ小屋などでは断じてない。
そこに、ただ厳然(げんぜん)と存在していたのは――。
圧倒的な、白。
床一面を隙間なく覆い尽くす、純白の超高級大理石。
 塵(ちり)一つ、糸屑(いとくず)一つすら落ちていない。 鏡面の如く滑らかに磨き上げられた床面が、窓の向こうから差し込む斜光を神聖に反射している。
その先に展開されている空間の座標は、あまりにも常軌を逸して広大であった。
視線を上へと見上げる。
天井が――狂ったように、異常なまでに高いのだ。
まるで王宮の大広間か格式高い大聖堂を思わせる、壮麗なドーム型のアーチ天井。 そこから、細密な細工が施された巨大な魔導シャンデリアが幾つも吊り下がり、淡く暖かな黄金の光を放っている。
その神聖な広間の中央には、天蓋(てんがい)付きの豪奢(ごうしゃ)なキングサイズベッドが鎮座していた。
その脇を固めるのは、重厚な深みを持つ本物のアンティーク家具の数々。 どれも一目見ただけで、王侯貴族が家宝として扱うような超一級品の美術品だと理解できる。
その異常な広さ、およそ――五十畳。
タクト:「…………」
タクトは無言のまま、静かにその扉を元へと閉めた。
――バタン。
 しばらくの間、金属のドアノブを固く握りしめたまま、その場で幽霊のように立ち尽くす。
タクト:「…………」
まずは、深呼吸だ。
すーっ、はーっ。 入念に、一回。
そうして、もう一度自らの正気を信じて勇気を振り絞り、木製の扉を開け放った。
――ガチャリ。
タクト:「…………」
やっぱり、同じであった。
そこにはどう見ても、地球のドバイにある七つ星超高級リゾートホテルのロイヤルスイートルームが、不条理に広がっていた。
タクト:「…………す、すごいな、南王国の福利厚生は」
タクトの声が、感動によって小刻みに打ち震える。
タクト:「深層エリアの危険手当って……」
壁の境界線すら霞(かす)むほどに広すぎる新居を、呆然(ぼうぜん)と見渡す。
タクト:「ここまで、気が狂うほど手厚いのか……っ!?」
さらに、思考を巡らせる。
 そうして――。
タクト:「……なるほど、そういうことか!!」
自身の卓越した分析力(ただの現実逃避)によって、勝手に完璧な理屈へと辿(たど)り着いた。
タクト:「外見をあえて安っぽい簡素なプレハブに見せかけておいて、内部の座標だけを高度な空間魔術で極限まで拡張しているんだ!」
タクトは、大発見をした子供のように目をキラキラと輝かせる。
タクト:「一介の採掘士が『自分だけ王宮みたいな大豪邸に住んでいる』って他の班の連中に知られたら、変に妬まれたり、ギスギスしたりして職場の治安が悪化するもんな。 そういう無用な人間関係のトラブルを未然に防ぐための、国営ならではの配慮なんだ!」
タクトは、国家が仕掛けた(と信じ込んでいる)あまりにも細やかな気配りに、心底感銘を受けていた。
タクト:「だから、外からはわざとボロい普通の仮設宿舎に見せておいて……中だけ最高級(ロイヤルスイート)!」
あまりの手厚さに、じわりと目頭が熱くなってくる。
なんという至れり尽くせりの福利厚生。 なんという高水準のコンプライアンス意識だろう。
タクト:「南王国……俺たち底辺の採掘労働者に優しすぎないか?」
タクトの脳内において、このブラック異世界国家に対する好感度(評価)が、爆発的にストップ高を記録した瞬間であった。
そして――。
タクト:「……最高すぎる」
次の瞬間、タクトは現代人としての自制を投げ捨て、靴を脱ぎ散らかして部屋へと駆け込んだ。
ふかふかの、純白の天蓋(てんがい)付きキングサイズベッドへ。
 そこへ向かって、一切の躊躇(ちゅうちょ)なく弾丸のようにダイブをキメる。
――ふわっ。
自身の身体が、まるで極上の雲の上にでも打ち落とされたかのように、深く甘美に沈み込んでいく。
柔らかい。 あまりにも、恐ろしいほどに柔らかい。 これまでの四畳半の極薄せんべい布団とは、生物としての次元が違っていた。
タクト:「…………」
タクトは、魔導シャンデリアが眩(まばゆ)く輝く高い天井を、寝転んだまま見上げた。
タクト:「……生きてて、よかった」
しみじみと、魂の底から至福の呟(つぶや)きが漏れる。
極狭の四畳半から、一気に五十畳の大空間。
しかも最高級のベッドが保証され、明日からの深層エリアは危険手当までドカンと上乗せされるのだ。
タクト:「……毎日、サボるために真面目にノルマを終わらせて、深層エリアまで異動(出世)してきて本当によかった」
採掘士として。 いや――この異世界へ放り出された一人の社会人として、初めて日々の努力が報われた気がした。
――もちろん。
 呑気(のんき)に天井を仰ぐタクトは、まだ何一つとして知る由もない。
この人知を超えた神域の部屋は。
南王国の公共事業が用意した福利厚生などでは、断じてない、という冷酷な事実を。
ましてや、底辺労働者への優しさなどでは絶対にない、ということを。
昨夜のこと。
フルートとチェロが、心から愛する崇高な主(あるじ)のために、徹夜で作り上げた結晶であった。
フルートの有する神域スキル『空間統制・SSS』。
チェロが有する神域スキル『大工・木工・SSS』。
そして、あの飛竜(ワイバーン)五百頭のドロップ素材を闇市場のルートで迅速に売却して得た、一国家を揺るがすほどの莫大(ばくだい)な資金。
そのすべての権力、神域の能力、そして圧倒的な金力を一滴も惜しむことなく投入し、この『101号室』という極小空間の内部へと強引に捻(ね)じ曲げて展開されたのだ。

そこに完成したのは――。
魔王の『新居』。
いや。 戦記ファンタジーの文脈において正確に表現するならば。
東方魔王軍の『仮の玉座』に他ならなかった。
しかも、一般の目を欺くための徹底的な隠蔽(カモフラージュ)魔法付きである。
タクト以外の普通の人間がこの部屋の扉を開けたとしても、そこに見えるのは、ただの埃(ほこり)っぽい、どこにでもある六畳程度の木造宿舎に過ぎない。
この部屋の深奥に魔王の新たな牙城が聳(そび)え立っている事実を知る者は――この世界において、フルートたち側近一同のみであった。
……そこに住む、当のタクト本人だけを除いて。
タクト:「いやぁ……まさに天国だな。 住めば都とはよく言ったもんだ」
最高級のベッドの上でゴロゴロと幸せそうに寝返りを打ちながら、タクトはひどく満足そうに呟いた。
そうして――。
 ふと、彼は気がついた。
タクト:「ん?」
広大な部屋の最奥。
そこに、もう一つ、見慣れない重厚な漆黒の扉がぽつりと佇(たたず)んでいたのだ。
タクト:「……クローゼットか何かかな?」
タクトはふかふかのシーツから降りて、その扉へと近づいていく。
使われている木材の質そのものが、明らかに周囲の壁とは異なっていた。 重厚なオークの古木に、どこか禍々(まがまが)しい黒鉄の装飾。
どう考えても、底辺採掘士の宿舎の建材には似つかわしくない代物だ。
タクト:「……まあ、いいか。 新築だし、収納スペースが広いのは素直に助かるな」
タクトは一ミリの警戒心も抱かぬまま、その扉のノブへと手をかけ、無造作に引き開けた。
――その瞬間。
タクト:「…………」
タクトの喉から、すべての言葉が消失した。
そこにあったのは、衣服を仕舞うためのクローゼットなどでは断じてなかった。
 完全に、物理的な『別の場所』へと繋(つな)がっていたのだ。
古びた石造りの城砦(じょうさい)――まさしく、あの『黒狼館』の最上階であった。
しかも。 壁一面が、巨大な一枚硝子(ガラス)張りになっている。 その透明な障壁の向こう側には、雄大な山々が夕闇のなかにどこまでも広がっていた。 夜が訪れれば、満天の星が降る絶景を独り占めできるであろう極上の空間だ。
そして。 その硝子の向こう、眼下に見下ろす位置に設置されていたのは――。
巨大な露天風呂。
それも。
タクト:「…………」
どう見ても。 ただの採掘労働者用の露天風呂などでは断じてない。
完全に。 どこかの大国の王族が天文学的な予算で貸し切るような、超大型の展望リゾート露天風呂がそこに具現化していたのだ。
風流に配された巨岩の数数、水面を幻想的に彩る魔導照明、休憩用の極上の寝椅子。 さらには、本気で泳げるほどに広すぎる浴槽。
タクト:「…………」
タクトは。
 ただ、完全に口を噤(つぐ)んだ。
だが――長年の事なかれ主義者(プロサボり魔)として培ってきた、彼の動物的な生存直感が。
脳髄のなかで、けたたましい非常警報のサイレンを鳴り響かせていた。
全力で。 真っ赤なパトランプをガンガンと回転させながら、だ。
タクト:(……ダメだ、これに触れたら終わる) タクトは、冷や汗とともに本能で直感した。
タクト:(このクローゼットを開けっ放しにしたら――) この先に待っているのは、間違いなく『アレ(狂信的な魔王軍の側近たち)』の物騒なプレイヤーたちだ。
そして、もしこの不条理な扉の存在をここで認めてしまえば。
自らが希求(ききゅう)してやまないささやかな平穏(スローライフ)は。 確実に、濁流のごとき世界征服の渦へと巻き込まれる。
タクト:「…………」
タクトは、一切の表情をピキリとも変えることなく。
無言のまま、スッと漆黒の扉を元の位置へと閉じた。
 ――バタン。
そして。
すぐさま、心臓の鼓動を抑えながら真鍮(しんちゅう)の鍵を厳重に掛けた。
――カチャリ。 ガチャガチャ(鉄壁の二重ロック)。
タクト:「……」
タクトは冷たい扉に背中を預け、しばらくの間、真剣に思考を巡らせた。
タクト:「……最近、いくら何でも働きすぎだな。 これは完全に、過酷な労働(午前中だけ)がもたらした脳の疲れだ」
それが、彼の導き出した唯一の結論であった。
タクト:「きっと、過労が見せた一過性の幻覚だ。 疲労が網膜に映し出した、ただのタチの悪い蜃気楼(しんきろう)に過ぎない」
それでいい。 そういうことにしておこう。
タクトは何事も起きなかったかのように、純白のふかふかなキングサイズベッドへと悠然(ゆうぜん)と戻った。
そうして、その不吉な扉の存在そのものを。 己の脳内(設定ノート)のデータから、永久に綺麗さっぱり消去(デリート)した。
――見なかった。
 俺は、何も見ていない。 ここには最初から、ただの壁しかなかった。 クローゼットなんていう家具すら存在しない。
少なくとも――。 平穏なサボりライフを愛する一人の採掘士、指揮 タクトの人生においては、だ。
タクト:「さて、と……」
真新しい新居(仮の玉座)がもたらした驚愕の余韻を強引に噛(か)み殺しながら、タクトは白い手拭(てぬぐ)いを片手にのそりと立ち上がった。
タクト:「幻覚のことは忘れて、本物の大浴場へ行こう」
そうだ。
部屋の広さは確かに桁違いだった。
天蓋付きのベッドの寝心地も最高だった。
脳内データからデリートしたはずの、あの二重ロックを掛けた扉の向こうの絶景露天風呂も――仮に現実なのだとしたら、おそらく天国のような場所だったのだろう。
だが。
タクトにとって。
午前中だけという過酷(?)な労働の疲れを完全に洗い流す場所は、やはり職場の共同大浴場でなくてはならなかった。

◇
深層エリアの共同温泉は、労働者のために新設されたばかりのピカピカの設備であった。
最新式の魔導ボイラーが重々しく稼働し、風流な巨岩を組み上げた広々とした浴槽へ、こんこんと熱い源泉が絶え間なく注ぎ込まれている。
周囲は豊かな原生林に囲まれ、乳白色の湯気がゆっくりと満天の夜空へ向かって昇っていた。
タクト:「……はぁぁぁ……っ」
ざばりと湯船に肩まで深く身を浸す。
タクト:「極楽、極楽……」
思わず、自身の魂の底からすべての緊縛が解けるように力が抜けていった。
新しい深層の職場。 危険手当の支給による給料の超大幅アップ。
そうして、なぜか五十畳くらいあるドバイ仕様の謎の豪華新居(プレハブ偽装付き)。
さらに追い風として、まだ誰も足を踏み入れていない、静寂に満ちた夜の一番風呂。
タクト:「……最高だな、この環境は」
タクトは心底から満足そうに独り言を呟(つぶや)いた。
サボりライフを愛する現代人として、これ以上の贅沢(ぜいたく)が人生に必要だろうか。

至福の幸福感に浸りながら、のんびりと目を閉じていた――まさに、その刹那(せつな)であった。
千歳 凪:「――こんにちは、タクトくん」
タクト:「…………」
鼓膜を優しく揺らした、あまりにも聞き覚えのある、鈴を転がすような可憐(かれん)な声音。
タクトは凍りついたように、ゆっくりと錆(さ)びついた機械のごとく首だけを背後へと振り向かせた。
乳白色に煙る濃密な湯煙の向こう側。
バスタオルを一枚、そのしなやかな肢体に器用に纏(まと)った千歳 凪(ちとせ なぎ)が、そこに妖精のように佇(たたず)んでいたのだ。
その美しき貌(かたち)に浮かんでいるのは――昨日と何一つとして変わることのない、一点の曇りもない完璧な聖女の微笑(ほほえ)みであった。
タクト:「……うん」
タクトは静かに目を閉じ、熱い湯の中に顔を半分までぶくぶくと沈めた。
タクト:「知ってた」
千歳 凪:「ふふっ」
タクト:「もうこれくらいじゃ驚かないからな。 異世界に適応しきった俺のメンタルを舐(な)めるなよ」
強がりを言いながら、タクトはジト目で彼女をじっと見据えた。
タクト:「またお前か……」
千歳 凪:「ええ、また会えたわね、タクトくん」
タクト:「いや、会えたっていうか、ストーカーのそれだろ……」
タクトは深くため息を吐き出す。
タクト:「そもそも、なんでお前までこの深層エリアにいるんだよ」
千歳 凪:「私、転属希望の願いを出したのよ」
タクト:「…………」
千歳 凪:「だって――」
凪は美しい波紋すら立てずに静かに湯船へその身を沈めながら、さらりと言ってのけた。

千歳 凪:「深層エリアの方が、お給料のベースも遥(はる)かにいいでしょう?」
タクト:「まあ……それはそうだけどさ」
そこまでは、小市民として理解できる。
だが最大の問題はそこではない。
タクト:「お前なぁ、ここは魔獣も出る危険地帯だからって、戦闘向けじゃないEランクの女子には絶対に推奨されていなかったはずだろ」
千歳 凪:「大丈夫よ」
凪はどこまでも可憐(かれん)に、無垢な聖女のように微笑む。
千歳 凪:「私、とっても運がいいから」
タクト:「……その、万能すぎる運頼みの理屈、まだ続いていたのか」
千歳 凪:「ええ、もちろん」
そうして――。
凪は湯船のなかを、一歩、また一歩。
タクトとの境界線を侵食するように、滑らかなすり足で近づいてきた。
千歳 凪:「それにね、タクトくん」
タクト:「……なんだよ」
千歳 凪:「私に割り当てられた、新しいお宿舎のお部屋ね」
凪が、この世のものとは思えぬほど深すぎる愛おしさを込めて微笑む。
千歳 凪:「タクトくんのお部屋の、まさにすぐお隣なの」
タクト:「…………」
タクトのすべての顔面筋肉が、完全に停止した。
千歳 凪:「一〇二号室よ」
タクト:「…………」
千歳 凪:「タクトくんが一〇一号室。 私たちが並んでいるのね」
タクト:「…………」
数秒の、重苦しい静寂。
タクト:「……何それ、怖すぎるんだけど」
千歳 凪:「ふふっ」
タクトの心の底からドン引きした本音を浴びても、凪はどこまでも愛らしく鈴を転がすように笑った。

千歳 凪:「でもね、タクトくん」
タクト:「なんだよ」
千歳 凪:「私と一緒にいると、あなたの運気がすごく向上するのよ?」
タクト:「運気、ねぇ……」
千歳 凪:「ええ」
凪は熱い湯の中で、自身の白魚のような色白の指先を見つめた。
千歳 凪:「だから――」
優しく、世界のすべてを包み込む慈母のように微笑んだ。
千歳 凪:「何か、今どうしてもやりたいこととか」
もう一度、視線をタクトの眸(ひとみ)へと真っ直ぐに向けた。
千歳 凪:「魂の底から叶えたいお願い事があったら、私に教えて?」
そうして、甘く囁(ささや)く。
千歳 凪:「すべて、私があなたの代わりに現実(カタチ)にしてあげるから」
タクト:「……」
タクトは不審そうに少しだけ首を傾(かし)げた。
タクト:「何だそれ、怪しいおまじないか?」
千歳 凪:「私の、この世界で授かった新しい力よ」
タクト:「あー、神殿の儀式で言ってた《ギャンブル》だっけ?」
千歳 凪:「そう」
タクト:「事象の確率を、ちょっとだけ底上げするやつ?」
千歳 凪:「ええ。 基本的には、そうね」
凪は、ただ静かに、満足げに微笑んでいた。
けれど――。
そのあまりにも甘美な言葉の裏側に、どれほど悍(おぞ)ましい狂気が潜んでいるかを、タクトはまだ何一つとして知らない。
◇
千歳 凪の固有スキル《ギャンブル》 。
元来それは、不確定な未来の確率を強引に操作するためのバグの能力であった。
 スキルの熟練度が低い段階では、ただ一回の『因果のガチャ』を回すだけでも、彼女がその身を削って稼ぎ出した魔力や報酬から、多大なコストを支払う必要があった。
だが――。
凪は、ただそれだけの代償など、塵(ちり)ほども惜しみはしなかった。
愛しいタクトくんとの再会を。 彼と共に過ごす、この上なく甘美な日々を。
そうして――ただタクトくんのすぐ傍(そば)に寄り添い続ける、そのためだけに。
彼女は己の生命を削り落とすかのように、狂ったように《ギャンブル》を酷使し続けたのだ。
その結果。
スキルの深度と彼女の魂の階梯(レベル)は、世界の法則を置き去りにするほどの異常な速度で跳ね上がり続けた。
今や、彼女のステータスは――。
《採掘士》レベル――180 。
 タクト(魔王)が裏で無自覚に発動させている、あの神域スキルによる 「経験値の逆流(同期)」 の恩恵をダイレクトに浴びたことで、彼女もまた、人間を辞めるほどのとてつもない速度で理不尽な超常的成長を遂げていたのである。
そして、もう一つ――。
千歳 凪の《ギャンブル》の熟練度は、すでに完全なる別次元へと到達していた。
――スキル階梯(レベル)――999。
神域のカンスト。
それに伴い、因果のガチャ一回あたりに要求される消費コストは、驚異の 「ゼロ」 と化していたのだ。
つまり。
今の凪は、いかなる対価(リスク)も支払うことなく、無限に世界の確率を回し続けることができる。
だが、真に恐るべき狂気は、そんなコスト面の話などでは断じてなかった。
通常の《ギャンブル》スキルには、世界の理(ことわり)に基づく絶対的な限界が存在する。
 確率操作によって引き寄せられる事象と、どれほど確率をいじろうとも物理的に不可能な事象。 その間には、決して越えられない絶対的な境界線があるのだ。
どれほど執拗(しつよう)にガチャのレバーを回し続けようとも、 「そもそもこの世界に存在しない奇跡(エラー)」 までは、本来なら絶対に実現できない。
――本来ならば、だ。
しかし、凪の場合。
その世界システムが定めた限界値そのものが、彼女の情念によって完全に破壊されていた。
タクトくんへのどこまでも一途で狂おしい、あの異常なまでの純愛(しゅうねん)が、《ギャンブル》という因果の法則そのものに、あり得ない特例(超常的なバグ)を強引に成立させてしまったのだ。
不可能。
世界がそう定義した冷酷な結果を、彼女はさらに確率の底からガチャで回し直す。
そうして、本来なら 「確率ゼロ(不可能)」 だった絶望の選択肢を、 「100%(可能)」 な結果へと強制的に変換(バグら)せてしまうのだ。
ただし、これは通常のスキル運用とは一線を画している。
 本来の限界を突破して不可能を可能にするためには、世界から突きつけられた、いくつかの特殊な制約(ルール)が存在するのだ。
その理不尽な制約をすべてその細い身体で飲み込んだ上で成立している、凪だけの特殊な神域能力。
――愛しいタクトくんの願いであるならば。 可能か、不可能か、そんな世界の都合など一切問わない。
この世界の法則を力任せにねじ曲げてでも、必ずや望む結果を完全確定(天井)させる。
ただし、これを発動させるためには、たった一つだけ絶対条件があった。
それは――。
『タクト本人が、自らの口で、あるいは心の中で本当に願ったこと』であること。
凪が独りよがりに 「これはきっと、タクトくんのためになるわ」 と身勝手に判断した事象に対しては、この因果の書き換えは一切機能しない。
あくまで、タクト自身の心からの素朴な願いだけが、世界の理を書き換えるための唯一の起動キー(パスワード)なのだ。
そして、もう一つ。
 このバグだらけの特殊システム(特例)の存在を、当のタクトくんにだけは絶対に知られてはならなかった。
だからこそ、これこそは――。
千歳 凪専用にして、ただ一人の少年(タクト)を絶対的な安息へと導くためだけに存在する。
――この異世界の因果を書き換える、究極の無限天井ガチャであった。
◇
タクト:「お願い事ねぇ……」
当のタクト本人は――。
そんな世界を揺るがす凄(すさ)まじい神域のガチャ能力が、まさか自分の目の前に具現化しているとも露(つゆ)ほど知らず。
熱い湯にのんびりと浸かったまま、どこまでも小市民的な脳みそで思考を巡らせていた。
タクト:「まあ……強いて言うなら、さ」
頭に浮かんだのは。 やはり、明日から始まる深層エリアでの労働(サボりライフ)のことであった。
タクト:「明日、あんまり力を入れなくても簡単に掘れるような、いい鉱脈がすぐに見つかるといいなぁ」
千歳 凪:「…………」
凪(なぎ)が、その硝子(ガラス)玉のような瞳を静かに細める。
タクト:「あと、もう一つ欲を言うなら――」
タクトは、完全に独り言の体(てい)で言葉を続けた。

タクト:「風呂上がりに、最高に美味(うま)い炭火焼きの肉でも、お腹いっぱい食べられたら本当に文句なしなんだけどな」
千歳 凪:「…………」
凪は、しばらくの間、湯煙の向こうから無言でタクトの横顔を見つめ続けていた。
そうして――。
ふっと、狂おしいほど甘美な笑みを浮かべる。
千歳 凪:「……ふふっ」
タクト:「ん、なんだよ」
千歳 凪:「ううん、何でもないわよ」
凪は優しく、母親のようにすべてを包み込むように微笑んだ。
千歳 凪:「……しかと、分かったわ」
タクト:「?」
その瞬間。
タクトの視界の外で、凪の精神の奥底の《ギャンブル》レバーが、目にも留まらぬ速度で回り始める。
通常の能力運用であるならば、世界の因果を書き換えるために、あり得ないほど大量に必要になるはずの膨大なコスト。
不可能を可能へと強引に置換するための、吐き気を催すほどの厳しい制約。
けれど――今のカンストした凪にとっては、そんな理不尽な世界の都合など一切関係がなかった。
ゼロコスト。 無限回転。
 一回。 二回。 三回。
そうして、さらに。 さらに。 さらに――因果のダイスを狂ったように回し続ける。
タクトくんが、自らの口で願った。
ただそれだけの絶対的な起動キー(パスワード)によって、《ギャンブル》は、この異世界の確立された確率を無慈悲に、そして暴力的にねじ曲げ始める。
そうして、積算の果てに。
その結果だけは、最初から約束されていた。
――絶対確定(天井)。
100%。
千歳 凪:「じゃあ――」
凪(なぎ)は、何でもない日常の雑談を交わすかのように可憐(かれん)に笑った 。
千歳 凪:「きっと、すぐに叶(かな)うわよ」
タクト:「そう? なら嬉しいけど」
千歳 凪:「ええ。 あとは楽しみに待っていてね」
タクト:「……まあ、あんまり期待しないで待っとくよ」
タクトはザバァッと心地よい水飛沫(みずしぶき)を上げて立ち上がった。

タクト:「俺、そろそろのぼせる前に上がるから」
千歳 凪:「ええ」
凪はこくりと上品に首肯した。
千歳 凪:「また後でね、タクトくん」
タクト:「おう、おやすみ」
タクトはそのまま、温まった身体で濡れた手拭(てぬぐ)いを絞りながら、のどかな共同温泉を後にした。
鼻歌交じりに、明日の深層エリアでの適度なサボりライフのことを夢想しながら。
――その、あまりにも無防備な背中を。
凪は、蕩(とろ)けるような濃厚な愛おしさを湛(たた)えた笑みで見送っていた。
千歳 凪:「…………ふふ」
そうして、誰もいなくなった静まり返る温泉のなかで。 彼女はぽつりと、甘く冷徹に呟(つぶや)いた。
千歳 凪:「最愛の、タクトくんの願いだもの」
何が何でも。
絶対に、叶えてみせるわ。
たとえ――そのために、この世界(因果)の理(ことわり)の方を、木っ端微塵(こっぱみじん)に書き換えてでも。
誰か:「ハァッ……ハァッ……っ」
四肢が重苦しい鉛(なまり)のようだ。 呼吸を繰り返すたびに、肺の奥底が焼け付くように痛む。
 俺たち七人の『退職者(勇者候補)』は、陽の光すら拒絶する漆黒の原生林のなかを、無言のままひたすらに歩き続けていた。
要塞都市たる王都を脱出してから――すでに、壮絶な三日間が経過していた。
神殿が放った執拗(しつよう)な追っ手の網を潜り抜け、凶暴な魔獣の群れが巣食う死地を強行突破し。
まともに眠ることも許されぬ極限状態のなか、ただひたすらに、北の最前線へ向かって歩を進めてきたのだ。
衣服は泥に塗(まみ)れ、魔獣の返り血すら浴びた。 何度も 「もう限界だ」 と心が折れそうになった。
それでも。
ダッシュ・レイン:「……もう少しの辛抱だ、お前たち」
先頭を進むダッシュ将軍が、掠(かす)れた声で後方の俺たちへ告げた。
ダッシュ・レイン:「この悍(おぞ)ましい死の森を抜ければ――そこが《死喰(く)い谷》の入り口だ」
その一言に、全員の表情が、限界を超えた疲労のなかで戦術的に引き締まった。
死喰い谷。 それは東方魔王軍の絶対的勢力圏であり、生半可な人間が気軽に立ち入って生きて帰れるような生ぬるい場所ではない。
そして、その最深部にあるのが――例の『黒狼館』。
 俺たちは今、自らの強固な意思(という名の特大の勘違い)によって、その魔境の深淵(しんえん)へ足を踏み入れようとしていた。
ダッシュ・レイン:「……見えたぞ」
前方の鬱蒼(うっそう)とした木々が不意に途切れた。
切り立った不気味な谷底の、その最深部。
巨大な木造の城砦(じょうさい)が、濃密な魔力の霧の向こうから静かにその姿を現した。
黒狼館。
かつて南王国の治安を脅かし、そして今や、東方魔王軍の最高幹部たちが新たなる総本山としている前線基地。
俺たちは一斉に足を止めた。
ここから先は、一歩の踏み込みすら命取りになる魔族の敵陣だ。
フルート:「そこまでにしなさい、不届き者(お掃除対象)ども」
谷底に、まるで大気を直接凍らせるかのように冷たく、静かな声音が響き渡った。
黒曜石の門の前に、一人の美しい少女が傲然(ごうぜん)と立ち塞がっていた。
 月光を紡ぎ出したかのような白銀の髪、華奢(きゃしゃ)な身体。 そして、万物の命運を見透かすような、氷のように澄み切った紅(あか)い瞳。
さらに――その背後には、異様なまでの絶対的な重圧(プレッシャー)を放つ三人の美しき魔族の女性が、死神の影の如く静かに控えていた。
氷室 怜:「…………っ」
俺は喉の奥で息を呑(の)んだ。
以前、ダッシュ将軍から報告を受けていた。 いや、それだけではない。 俺たち自身も、神殿の最高機密資料であの恐るべき悪名を幾度となく目にしてきたのだ。
東方魔王軍・最高幹部にして代理総司令官――『氷の悪魔』フルート。
そして、彼女の脇を固めているのは、間違いなく同格の危険度を誇る最高幹部たちだ。 優雅な微笑みを浮かべる艶(つや)やかな女性、カスタネット。 無機質で知的な眼鏡の女性、ハーモニカ。 そうして、息をするように腰の業物に細い手を添えている物静かな少女、チェロ。
わずか四人。 だが、その四人がそこに佇(たたず)んでいるだけで、十万の精鋭大軍に包囲されているかのような錯覚(プレッシャー)に陥る。
氷室 怜:「…………」
隣を見やる。 あの歴戦のダッシュ将軍の顔が、岩肌のように強張(こわば)り、額から大粒の冷や汗を流している。
無理もない。 将軍はつい数日前、あの銀髪の少女と直接刃を交え、その絶対的な力量差(絶望)を脳髄の芯まで叩き込まれているのだ。
俺たちがこれから、生き残りを懸けた正式な外交交渉(転職活動)を行う相手は、冗談抜きで一国家を数日で焦土に変えられる化け物たちの集まりだった。

ダッシュ・レイン:「……フルート殿」
ダッシュ将軍が、極度の緊迫を押し殺した地を這(は)うような声で呼びかけた。
フルートもまた、冷徹な紅い視線を将軍へと真っ直ぐに向ける。
フルート:「……ダッシュ殿」
短い、互いの力量を測り合うかのようなやり取り。 それだけで、俺の明晰(めいせき)な頭脳は理解した。 二人はすでに顔見知り――という名の、圧倒的なトラウマの共有者なのだと。
フルート:「数日前の《死喰い谷》での邂逅(かいこう)以来ですね」
フルートが、一切の感情を剥(は)ぎ取った声で淡々と告げる。
ダッシュ・レイン:「……ああ、その通りだ」
ダッシュ将軍が、重々しく首肯した。
ダッシュ・レイン:「安心されよ。 今日は貴軍と血を流しに来たわけではない。 我が王国側の、真摯(しんし)なる誠意を持ってここへ赴いた」
フルート:「ええ、そのようですね」
フルートは静かに答えた。 その紅い視線が、将軍の後ろで息を殺す俺たちへとゆっくりと移る。
フルート:「では――」
その視線に促され、俺は張り詰めた緊張で痙攣(けいれん)しそうな右足を一歩、前へと踏み出した。
氷室 怜:「……南王国国王陛下の、正式な特使として参上いたしました。 勇者候補、氷室 怜(ひむろ れい)です」
俺は懐から、金糸で厳重に封印されたあの分厚い書状を恭しく取り出す。
氷室 怜:「東方魔王軍代理総司令官、フルート殿へ」
これからの俺たちの命運をすべて乗せ、両手で捧げるように差し出した。
氷室 怜:「南王国国王陛下より、正式な友好条約(不戦条約)の親書。 そしてこちらは、国王陛下よりフルート殿個人へ宛てられた、極秘の密書にございます」
フルートは、差し出されたその重々しい書状に視線を落とした。
 厳然たる王家の封蝋(ふうろう)。 それが正式な国家間外交の最高機密文書であることが、一目で分かる。
フルート:「……分かりました。 しかと受け取ります」
フルートは、静かにその書状を受け取った。
フルート:「積もる話もあるでしょう。 中へどうぞ」
◇
案内されたのは、かつて野蛮な賊徒どもの根城だったとは到底思えないほどに、塵一つなく整然と片付けられた格式高い応接間であった。
床の木目は鏡の如く磨き抜かれている。 かつては略奪品であったはずの調度品も、機能的かつ美しく再配置されていた。
氷室 怜:「……あの悪名高き黒狼館が、これほどまでに清浄な空間だったとはな」
俺は驚きを押し殺しながら思わず呟いた。 もっと血の匂いが漂う、殺伐とした地獄の魔境を想像していたのだ。
フルートさんは周囲の視線を気にする様子もなく、中央の豪奢なテーブルへと着席した。 俺たちも、極限の緊迫した面持ちで席につく。
まず、正式な友好条約の親書がテーブルの最上座に置かれた。
その隣へ、俺はもう一通、国王から直接手渡されて預かった別の封書をそっと滑らせた。
フルート:「……こちらは?」
フルートさんが尋ねる。
氷室 怜:「公の外交文書(オフィシャル)ではありません」
俺はこれ以上ないほど真剣な眼差しで答えた。

氷室 怜:「南王国国王陛下より、フルート殿へ直接お渡しするよう命じられた――神殿側への漏洩を決して許されぬ、最高機密文書(トップ・シークレット)にございます」
フルートさんの澄んだ紅(あか)い瞳が、わずかに鋭く細められた。
フルート:「……そうですか」
彼女は封蝋(ふうろう)を確認する。 確かに王家の紋章だが、正式な公文書とは異なる、即席で作られた簡素な隠密の封印だ。
フルートさんは細い指先でペーパーナイフを操り、それを静かに開き、黙読を始める。 その傍らでは、知的な眼鏡をかけた女性(ハーモニカ)が、その文面を横から鋭い眼差しで分析し始めていた。
一同:「…………」
しばらくの間、誰も口を開かない。 ただ紙が擦れる微かな音だけが、息苦しい空間に響いていた。
やがて、フルートさんの視線がぴたりと止まる。
その密書の内容は――俺も事前に国王の口から直接聞かされていた、南王国内部の修復不可能なレベルに達した深刻な政治的混乱の暴露であった。
神殿を牛耳るタカ派の大神官が、東方魔王軍への不敬な敵意を隠そうともせず暴走していること。
それを国王として全力で抑え込みたいものの、国内の深刻な権力闘争によって十分な強制力が奮えない状態であること。
そして――あの大神官が近いうちに、異世界の勇者を使い捨ての駒として、何らかの無謀極まる軍事行動(テロ)を仕掛ける可能性があること。
最後に、老王の血を吐くような悲痛な思いが、こう血文字の如く記されていたのだ。
 『この一件は、南王国としての総意では断じてない』 『万一、神殿の愚者が暴走したとしても、我が南王国そのものを敵と見なさぬことを、ここに切に願う』 『我が国に、貴軍と交戦する意思は一片たりとも存在しない』
そこまで記されている内容を脳内で反芻(はんちゅう)し、俺はほんの少しだけ安堵(あんど)の息を吐き出した。
やはり、あの老王は本気であったのだ。
俺たち使い捨ての社畜(勇者候補)を逃がしてくれただけではない。 自らの首の皮一枚の権力基盤を揺るがせてでも、東方魔王軍との絶対的な不戦関係を築こうと足掻いている。
その最後の文章は、もはや対等な外交文書などという体裁を超えた――ただの『悲痛な国家規模の命乞い』に他ならなかった。
フルート:「…………」
フルートさんは最後の一文字まで読み終えると、静かに書状を大理石のテーブルへ置いた。
フルート:「南王国の内情は、しかと理解いたしました」
その声音は、どこまでも氷の如(ごと)く冷徹であった。
だが――不思議なことに、そこには一切の怒りも、峻烈(しゅんれつ)な殺意すらも混ざり合っていなかった。
フルート:「まずは」
フルートさんは、泥に塗(まみ)れた俺たちを静かに見渡した。
フルート:「この館の客室にて、心ゆくまでゆっくりとお休みください」
誰か:「……え?」
フルート:「神殿の追っ手から逃れる長旅で、ひどくお疲れでしょう」
俺たちは、怪物たちからの予期せぬ厚遇に思わず顔を見合わせた。
フルート:「貴方(あなた)方は、我が至高の主(あるじ)と同じ世界から召喚された『同郷』の方々です」
フルートさんは至って淡々と続ける。

フルート:「主の御意思がない以上、敵として扱う理由はありません。 我が館の客人として丁重にお迎えいたします」
氷室 怜:(……主と同じ世界だと!?) 俺の卓越した思考回路は、その一言によって一瞬でパニックを引き起こした。
氷室 怜:(どういうことだ? あいつらのボスは、俺たちと同じ現代日本人だというのか……!?) その言葉を合図にするかのように。
傍らに控えていた優雅な笑みを浮かべる女性(カスタネット)が一歩前へと進み出た。
カスタネット:「さあ――薄汚れた客人たちを手厚くおもてなしなさい。 教育の成果を見せる時ですわ、お前たち?」
元盗賊たち:「ハ、ハイィィィィィッ!」
元盗賊たち:「お客様、こちらへどうぞぉぉぉっ!」
元盗賊たち:「お食事と温かいお風呂の準備ががっちりできておりますぅぅぅっ!」
どこからともなく、廊下の奥から顔面に無数の刀傷がある筋骨隆々の屈強な元盗賊(お掃除対象)たちが、ぞろぞろと足音を荒くして現れた。
全員。
なぜか。
ピッチピチに張り裂けそうな執事服や、フリフリの可愛らしいメイド服を強引に身に纏(まと)っている。
一同:「…………」
あまりにも網膜への暴力が強すぎるそのビジュアルのインパクトに、先ほど脳裏に浮かんだ疑問が綺麗さっぱり吹き飛び、俺は完全に石像のように固まった。
大男たちは、満面の笑みを浮かべている。
いや、正確には――その後ろに立つ物静かな少女(チェロ)の、いつでも肉体を粉砕するつもりの冷たい視線にガタガタと怯(おび)えながら、必死に『笑顔の形を作ろう』と顔面を歪ませているのだ。
 口元は恐怖でひどく引き攣(つ)り、丸太のような筋肉質の肩は小刻みに震えている。 目には絶望の涙すら浮かんでいた。
元盗賊:「お、お客様……どうか、こちらへ……」
元盗賊:「お食事を……たっぷりと、お召し上がり、どうぞ……」
ガタガタ、ガタガタ。 声まで完全に怯えきって、悲惨なほどに震え上がっていた。
氷室 怜:「……なんだ、あいつらは?」
俺は、あまりにもシュールが過ぎる地獄絵図の光景に、冷や汗を流しながら小声でダッシュ将軍に尋ねた。
フルート:「元・黒狼団の野蛮な盗賊(お掃除対象)たちです」
フルートさんは、何でもない日常の業務連絡のように淡々と答えた。
フルート:「現在は、わたくしたち東方魔王軍の『優秀な使用人』として、新たな職場で元気に再就職(はたら)いていただいております」
氷室 怜:「……そ、そうか。 それは何よりだな」
どう客観的に思考を巡らせても、俺には 「優秀な使用人」 という綺麗な言葉だけでは説明のつかない、魔王軍幹部たちによる凄惨(せいさん)な物理的調教(おままごと)の果てが透けて見えた。
だが――これ以上、あの白銀の少女の深奥を追及する狂気的な勇気は、俺には一片たりとも残されていなかった。
結局のところ。 俺たちは丸太のような二の腕をした元盗賊メイドたちに、涙ながらに丁重(ていちょう)に案内され、大人しく用意された客間へと向かうのだった。
◇
哀れな客人たちが退室し、元の息苦しい静寂が戻った応接間。
フルートは一人、机の上に残された二通の書状を冷徹に見つめていた。 側近の三人もまた、その背後で沈黙を守りながら、天啓(てんけい)を待つかのように佇(たたず)んでいる。
フルート:(……南王国の大神官が、都合よく暴走している、ですか) 正直なところ。
 南王国という脆弱(ぜいじゃく)極まる人間の国家そのものが、これからどのような破滅を迎えようと。 フルートたちにとっては、爪垢(つめあか)ほどの関心すら存在しなかった。
人類国家の存亡、王宮で繰り広げられている泥沼の醜い派閥争い。
そんな低俗な出来事は、彼女たちにとって道端の砂礫(されき)以下の優先順位に過ぎない。
だが。
フルート:(問題は――その愚行がもたらす、二次災害(バタフライ・エフェクト)です)
南王国が政治的な内紛によって不安定になれば、必然的に軍隊が動く。
兵力が動けば、当然、国境線の最前線の治安にも多大な影響が波及する。
そうなれば――。
王都の目と鼻の先にある、あの北方鉱山。
そして。
そこに今まさに住まう――我が絶対の主、タクト様。
 フルート:(……タクト様の、あの尊く慎ましいスローライフが、害虫どもによって乱される可能性があります) それは、断じて看過することのできない、この世界において最も重大な国家存亡の危機であった。
採掘場の警備が無駄に厳しくなるかもしれない。 王国の雑兵が辺りをうろつき、騒々しくなるかもしれない。
そして何よりも――。
フルート:(タクト様の、あの神聖にして侵されざるべき権利――『定時退社』に、深刻な支障が出る可能性が……っ!)
そこまで超翻訳の論理が最悪の方向へと到達した瞬間。
フルートの氷の如き美貌(びぼう)が、僅(わず)かに、そして致命的に冷酷なものへと変貌した。 背後に控える三人からも、ごくりと喉を鳴らす張り詰めた気配が伝わってくる。
一同:「…………」
深い、この世の終わりを告げるかのような絶対零度の沈黙が、広間を支配した。
フルート:(これは――決して放置などできませんね) 南王国のかりそめの安定は、タクト様の平穏な採掘生活を守るためにも、絶対に維持されなければならない最低限の必須事項なのだ。
フルートは、凛(りん)とした動作で静かに椅子から立ち上がった。
フルート:「ハーモニカ、チェロ、カスタネット。 貴方たちは引き続き、この黒狼館の守備と、あの客人(勇者候補)たちの警護にあたりなさい」
ハーモニカ・チェロ・カスタネット:「 「 「承知いたしました」 」 」
フルート:「……わたくしは、タクト様へ至急の戦術ご報告へと行って参ります」
南王国国王から届いた不戦の親書、そしてその裏側に醜く記されていた人間側の異常事態(タカ派の大神官の暴走)。
主の安息を脅かすこの特大の懸念は、ただちに我が絶対の君主へ報告し、その大いなる神聖なるご判断(天啓)を仰ぐ価値がある。
 フルートは漆黒の軍装の裾を美しく翻(ひるがえ)し、あらかじめ一〇一号室のクローゼットへと直通で繋(つな)げておいた、空間拡張の扉へと向かった。
――すべては。
心から愛するタクト様の、あののどかな採掘スローライフと。
何物にも代えがたい至高の絶対防衛ライン――『定時退社』を死守するために。
夜のこと。
タクト:「いやー……」
タクトは、自らの広大すぎるキングサイズベッドの上で大の字に寝転がっていた。
タクト:「広い部屋って、本当に最高だな……」
身体を右へと転がしてみる。 ふかふかだ。
今度は反対側へ大きく転がってみる。 やっぱり、どこまでもふかふかだ。
昨日まで息を潜めるようにして暮らしていたあの煤(すす)けた四畳半のタコ部屋とは、生活の次元が何もかも違っていた。
しかも。
 明日から始まる新しい深層エリアでの採掘も、彼の自覚なき神域スキルなら難なくこなせそうだった。
給料には危険手当(インセンティブ)がドカンと上乗せされ、新居は王宮のスイートルームの如く広い。 さらにはピカピカの最新魔導温泉まで完備されているのだ。
――まさに、完璧なスローライフ。
タクト:「これなら、多少の魔獣リスクを冒してでも、深層エリアへ引っ越してきた甲斐(かい)があったってもんだな」
タクトは心底から満足そうにポツリと呟(つぶや)いた。
あとは――誰にもこの安息の神域を邪魔されることなく、明日の定時出社まで泥のようにゆっくり眠るだけだ。
そう、幸福な未来を確信していた。
――ガチャリ。
タクト:「…………え?」
タクトの全身の筋肉が、ベッドの上でピキリと不吉に硬直した。
広大な部屋の最奥。
そこにあるはずの――先ほど脳内データから完全デリートして見なかったことにした、あの禍々(まがまが)しいオーク材の扉。

タクト:「…………」
鍵は。 確かに、これでもかとばかりに掛けたはずだった。 防犯用の鉄壁の二重ロックで。
絶対に二度と開けない、関わらないと固く誓って、わざわざ物理的に厳重に施錠したのだ。
それなのに――。
その呪われた扉は。 なんの抵抗もなくあっさりと、内側から滑らかに開かれた。
――ギィィ……。
不吉な摩擦音を響かせ、その向こう側の白煙から音もなく姿を現したのは。
フルート:「夜分遅くに、失礼いたします、魔王様」
あまりにも見慣れた、あの白銀の髪を持つメイド姿の少女であった。
タクト:「…………」
タクトは数秒間、完全に魂を抜かれたように石化する。
タクト:「えっ……、あ……」
そうして――。
タクト:「ちょ、ちょっと待ってくれ!?」
彼はふかふかのシーツから、弾丸のように弾かれたように飛び起きた。

タクト:「そ、そのクローゼットの扉って……」
恐怖で指先をガクガクと震わせながら、開かれた闇の境界を指差す。
タクト:「もしかして――」
白銀の髪を持つ少女――フルートは、凛(りん)とした面持ちで静かに頷いた。
フルート:「はい、左様にございます」
タクト:「……」
タクトの顔面筋肉が、見事に引き攣(つ)る。
タクト:「フルートさんたちのお家と……」
フルート:「我が東方魔王軍の本陣、あの黒狼館にございますね」
タクト:「……空間が、物理的に直結してたの!?」
フルート:「はい」
一切の淀(よど)みもない、清々しいほどの即答であった。
タクト:「…………」
タクトはがっくりと頭を抱えた。 やっぱり、夕方に見開いたあのリゾート大浴場の絶景は、午前中の過酷な労働が見せた幻覚なんかでは断じてなかったのだ。
フルート:「ご挨拶(あいさつ)が遅れてしまいましたが」
フルートは恭(うやうや)しく、どこまでも優雅に完璧な臣下の礼をとる。
フルート:「魔王様がこの深層エリアへお引っ越しされるその刻限(とき)に合わせ、わたくしたち側近一同も、いつでも我が主の御傍(おそば)へ馳(は)せ参じられるよう、空間拡張の準備を極秘裏に進めておりました」
タクト:「お、お前たちも移動してくるのか……?」
フルート:「はい」
何でもない日常の業務連絡のように、淡々と解説を重ねる。
フルート:「魔王様のお部屋の、すぐ隣へと」
タクト:「…………」
フルート:「物理的、かつ空間魔術の座標的に」
タクトの表情から、生きる気力が完全に死に絶えた。
タクト:「……なんでそんな恐ろしい真似をするんだよ」
フルート:「いつでも魔王様のお世話(定時退社を死守するための武力サポート)ができるよう、クローゼットを直結させました」
タクト:「いや、世話って、そういうレベルじゃないだろ……」
そこまでツッコミを入れかけて、タクトはそれ以上の追及をあっさりと諦めた。
この人たちの設定遊び(ロールプレイ)は、本当に世界の物理法則を強引に書き換えるほど、無駄にスケールが大きくて手が込みすぎている。 触れたら負けだ。

だが――。
不意に顔を上げたフルートの瞳が、いつもの冷徹な無表情から、僅(わず)かにその色を変えた。 そこには、ただのごっこ遊びとは一線を画す、不穏な切迫感と凄(すさ)まじい真剣さが宿っていたのだ。
フルート:「それよりも、タクト様」
タクト:「ん? なんだよ、そんな怖い顔して」
フルート:「至急、我が軍の総司令官としてご判断を仰ぎたい、国家存亡の重大な懸案事項がございます」
タクト:「……判断?」
フルート:「はい」
フルートが静かに一歩、ベッドの傍らへと歩み寄る。
フルート:「タクト様が現在滞在されている、ここ南王国の大神官なる不届き者が――」
そこから先の 「物騒な設定(超翻訳)」 を、タクトは黙って聞く羽目になった。
フルート:「国内の醜い権力闘争を激化させ、我が東方魔王軍への明確な敵意(テロ行為)を露(あらわ)にしております」
タクト:「…………」
フルート:「このまま奴の暴走を放置すれば、南王国内部の深刻な政治的混乱だけでなく、タクト様がサボられているこの北方鉱山周辺の警備情勢にも、騒々しい悪影響が出る可能性が極めて高くございます」
タクト:「…………」
フルート:「如何(いかが)なさいましょうか。 我が主よ。 奴らを、どのように『お掃除(排除)』いたしましょう」
タクトはきつく、自らのこめかみを両手で押さえた。
タクト:(……相変わらず、すごい熱量だな) またしても、彼女たちの身内用プロット(設定)が盛大に増設されている。
タクト:(ついに、ただの魔王軍ごっこから、国家規模の内政干渉と暗黒の陰謀劇までシナリオに組み込んできたか……) フルートさんたちの脳内で行われているおままごとは、いつも風呂敷の規模だけが異常にデカい。
さっきまで自分は普通に真面目な一介の労働者として石を掘っていただけなのに、帰ってきて温泉に入ったら、なぜか南王国の大神官が東方魔王軍に宣戦布告しているという超展開のシナリオが勝手に進行しているのだ。
タクト:(そこまで緻密(ちみつ)にダークファンタジーな世界観を作り込む執念は、本当に感服するよ……)
だが、タクトにとっては、所詮は深夜アニメか架空のTRPGのようなお話だ。
だからこそ、こんな深夜にベッドの上で、真面目に小難しい国家政治のトピックに付き合う気にはとてもなれなかった。

タクト:「じゃあさ……」
タクトは、一秒だけ眠い頭で適当に考えを巡らせた。
タクト:「その、裏で悪さをしてるっていう一番偉い大神官だけを、そっちでうまく確保すればいいんじゃない?」
フルート:「…………!」
フルートの澄んだ紅(あか)い瞳が、驚愕(きょうがく)と衝撃によって大きく見開かれた。
タクト:「国そのものを滅ぼしたりとか、そういう物騒なことには手を出さないでさ」
タクトは早く寝たい一心で、適当なその場しのぎのセリフを続ける。
タクト:「裏でギスギスした火種を作ってる元凶の本人だけを、穏便に捕まえて」
そうして、布団に入りながら軽く付け足した。
タクト:「あとは、ちゃんと平和的に『話し合い』でもすれば解決するだろ」
極めて平和主義的な、極めて単純な。
そして本人としては、ただ一刻も早く眠りにつきたいがための、極めて適当なごまかしの提案であった。
フルート:「……」
フルートは――しばらくの間、まるで脳髄に雷でも打たれたかのように、石像の如く身じろぎ一つしなかった。
やがて。
フルート:「なるほど……。 すべて、理解いたしました……っ」
至高の天啓を受けたかのように、小さく震える声音で呟(つぶや)く。
フルート:「国家そのものには、あえて手を下さない」
己の魂に刻み付けるように、一つひとつの言葉を確認していく。

フルート:「つまり、無辜(むこ)の民や人間の国家基盤は一切傷つけることなく、問題の元凶たる腫瘍(しゅよう)のみを、外科手術の如くピンポイントで世界から切り離す、と……」
タクト:「うん、まあ、そうそう」
フルート:「そして――」
フルートの瞳の奥に、かつてないほどの強烈な敬意と、神を仰ぐかのような畏怖(いふ)の光がギラリと宿る。
フルート:「我が魔王軍の本陣(黒狼館)へと引きずり込み、直接、逃げ場のない『話し合い(物理的な徹底調教)』の場を設ける、ということにございますね」
タクト:「そうそう、お互い大人なんだからさ」
タクトは適当に頷(うなず)いた。
これでこの小難しい夜のロールプレイも終わり。 そう、安易に思った。
フルート:「……さすがは、我が至高の主(あるじ)、タクト様」
タクト:「ん?」
フルート:「まさに、最小の犠牲と手数によって、最大最高の効果(タクト様の定時退社)を毟(むし)り取る――あまりにも見事すぎる、冷徹なご決断にございます」
タクト:「いや、そこまで褒められるような大したことじゃ……」
タクトが謙遜(けんそん)を言い終わるよりも早く。
フルートは至高の神を仰ぎ見るかのように、感極まった面持ちで深く、深くその白銀の頭(こうべ)を垂れた。
フルート:「すべては、御意のままに」
タクト:「…………」
そのまますぐさま、フルートは漆黒の軍装を美しく翻(ひるがえ)し、流れるような動作で踵(きびす)を返した。
タクト:「あ、おい、もう行くのか……?」
タクトが呼びかける声を置き去りにして、彼女はクローゼットの扉の向こうの白煙へと、影の如く音もなく消え去っていく。
――カチャ、カチャリ(向こう側からの厳重な自動施錠)。
タクト:「…………」
タクトはしばらくの間、完全に閉ざされた木製の扉を呆然(ぼうぜん)と見つめていた。
タクト:「……まあ、よし」
そうして、彼はパチンと両手を叩いた。

タクト:「これで今度こそ、誰にも邪魔されずにゆっくり寝られるぞ」
何事も起きなかったかのように、彼は最高級のキングサイズベッドの布団のなかへと悠然(ゆうぜん)と潜り込む。
タクト:「やっぱり、定時退社と平和って最高だな……」
そのまま、この上なく幸せそうな微笑みを浮かべ、布団を頭から深くかぶるのだった。
◇
一方。
空間拡張の扉を抜け、我が黒狼館の総司令官室へと帰還したフルートは――。
フルート:「……」
暗がりのなかで静かに立ち止まった。 そうして、一切の容赦のない手つきで、机の上に据え置かれた最高機密の魔導通信機へと細い手を伸ばす。
フルート:「東方魔王軍、暗部総司令部へ、暗号特別回線(直通)で接続」
次の瞬間。 部屋の空間がグニャリと不気味に歪(ゆが)んだ。
魔力の粒子が激しく収束し、顔を仮面で覆った漆黒の隠密装束を纏(まと)う影のホログラムが、大気のなかに音もなく浮かび上がる。
東方魔王軍が誇る、隠密と暗殺のすべてを統括する冷酷無比な暗部総司令官であった。
暗部総司令官:『回線接続を確認。 ……総司令官閣下、このような深夜に何事でございますか』
フルートは、凍てつく大気を直接響かせるかのような、絶対零度の声音で告げた。
フルート:「これより――我が主、魔王様直々の最高機密たる『特別隠密作戦』を、南王国の王都へ向けて発動します」
魔王様直々、というその一言に、暗部総司令官のホログラムの姿勢が、凄まじい緊張によってピンと限界まで正された。
 暗部総司令官:『御意。 ……して、その栄えある特別作戦の名は?』 フルートは、その美しい貌(かたち)に一切の慈悲の感情を浮かべることなく、冷酷に答えた。
フルート:「――作戦名、『大神官との話しあい』にございます」
一瞬の、張り詰めた沈黙。
暗部総司令官:『……作戦対象(ターゲット)は?』
フルート:「南王国・大神官」
暗部総司令官:『投入する兵の規模は?』
フルート:「ただ一人の最高精鋭のみ。 これより暗部特攻班を極秘裏に派遣します」
暗部総司令官:『了解』
その極秘作戦の全貌は、至極単純にして、この世界の隠密史上で最も難易度の高いものであった。
南王国の最高中枢――最も警備が厳重とされる聖神殿の最深部へ、東方魔王軍が誇る最高峰の暗部部隊を完全ステルス状態で侵入させる。
そうして誰にも気づかれぬまま対象(大神官)の身柄を確保し、一滴の血すら流すことなく王都から連れ出すのだ。
目的地は、ここ黒狼館の地下尋問室。
――そこで、魔王様直々の『お話し合い(物理的な洗脳調教)』を執り行う。
フルート:「くれぐれも」
フルートは、通信機の向こうへ向かって念を押した。
フルート:「南王国そのものには、絶対に余計な手を出さないように。 戦火を広げてはなりません」
暗部総司令官:『御意』
フルート:「無辜(むこ)の民間人への被害も、一切を禁じます」
暗部総司令官:『了解』
フルート:「国王陛下も、我が本陣にいる客人(逃亡した勇者候補たち)も、今回の対象ではありません。 無視しなさい」
暗部総司令官:『了解いたしました』
最後に。
フルートは、どこまでも深く、地の底を揺るがすような重い声音で告げた。

フルート:「そして――」
一瞬だけ、その冷徹な声のなかに、絶対の主(あるじ)への狂信的なまでの忠誠が混じり合う。
フルート:「我が主(あるじ)は、無用な流血沙汰による『定時退社への支障』を何よりも酷く嫌われます。 完璧に遂行しなさい」
暗部総司令官:『……大いなる御意のままに』
影のホログラムが煙のように掻き消え、魔導通信が完全に切断された。
元の静寂が、司令官室へと戻る。
フルートは薄暗い暗がりのなかで、満足げにゆっくりと白銀の頭(こうべ)を垂れた。
フルート:「これで……」
静かにその美しい眸(ひとみ)を閉じる。
フルート:「愛するタクト様のあののどかな平穏(スローライフ)は、完璧に守られますわ」
◇
同じ頃。
南王国・王都。 神殿の最奥にある、大神官の絢爛たる私室では――。
大神官:「ふははははは!」
カニ泡の気絶から目覚め、未だ収まらぬ激昂(げきこう)と焦燥を無理やり最高級の酒で紛らわせているタカ派の巨魁(きょかい)は、醜く顔を歪(ゆが)めて笑っていた。
大神官:「愚かな勇者どもめ! 逃げおおせたところで所詮は無駄なのだ!」
金縁のワイングラスを天井へ向けて傲慢(ごうまん)に掲げる。
大神官:「あの包囲網を抜けて逃げ去るなら、行き先は北の魔境しかない。 せいぜい、東の魔王の理不尽な暴力の前で、無惨に嬲(なぶ)り殺されるがいいわ!」
それこそが、自らの神殿の権力基盤を盤石にし、南王国の歴史を我が手にする唯一無二の一手なのだと、彼は狂信的に信じ込んでいた。

大神官:「ハハハハハハッ、我が神殿の勝利よ!」
――その、わずか数時間後のことであった。
南王国・強硬派の最高権力者であった大神官は。
王都のなかで最も安全が保障されているはずの、中央聖神殿の最深部から――忽然(こつぜん)と、その姿を消した。
誰の索敵にも引っかからず。 誰の監視網にも気づかれず。 ただの一度も悲鳴を上げる暇すら与えられぬまま。
それはまるで、不吉な神隠しにでも遭(あ)ったかのようであった。
――いや、正確に表現するならば。
東方魔王軍・最高暗部部隊の完全ステルスによる、芸術的なまでの『物理的拉致(お話し合いの強制連行)』であったのだ。
◇
その頃、当の絶対魔王は――。
タクト:「……明日の朝ごはん、何が出るかな……。 温泉のゆで卵、あるといいな……」
王国の手厚すぎる福利厚生(※実際はフルートたちの徹夜の空間拡張)である、ふかふかのキングサイズベッドのなかで。
ひどく幸せそうに、ごろりと寝返りを打っていた。

タクト:「…………」
すぅ。 すぅ。
静寂な新居に響く、どこまでも平和で無垢(むく)な寝息。
世界の裏側において。
一人の国家最高権力者が物理的に消失し、東方魔王軍の最凶の暗部部隊が夜闇を暗躍し、南王国の国家政局が根底からひっくり返ろうとしているというのに。
すべての不条理を引き起こした元凶たる当の本人は――やはり、何一つとして自覚していなかった。
ただ、明日のささやかな朝食のメニューを楽しみに胸を躍らせながら、どこまでも幸せなサボりの夢を見て眠り続けていた。
――こうして。
第06章『ブラック勇者の退職(脱走)と、新居への引っ越し』は。
深い夜の闇のなか、それぞれの陣営が全く違うベクトルの勘違いを抱えたまま、静かに、そして激動の幕を閉じたのであった。

【第06章『ブラック勇者の退職(脱走)と、新居への引っ越し』 完】

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【主題歌MV】【東の魔王は、帰りたくない。主題歌】『今夜だけ、僕らは敵じゃない』|オリジナル楽曲
【主題歌MV】【東の魔王は、帰りたくない。主題歌】『今夜だけ、僕らは敵じゃない』|オリジナル楽曲
【主題歌】MV『今夜だけ、僕らは敵じゃない』|明日には敵に戻る。それでも今夜だけは、同じ火を囲んで笑いたい。|東の魔王は、帰りたくない。
『今夜だけ、僕らは敵じゃない』
[Intro]
太陽が沈む 世界が眠る
それなのに 誰も帰ろうとはしなかった
赤い空の向こう 古びた森の向こう
今夜だけの灯りが ひとつ またひとつ
[Verse 1]
剣を背負った旅人も 角を隠した魔物も
遠い国から来た商人も 名前も知らない誰かも
今日まで歩いてきた道は きっと ひとつじゃないけれど
疲れた足を止めるように 同じ火のそばへ集まった
誰かが笑えば 誰かも笑う 誰かが歌えば 夜が揺れる
理由なんて 今はいらない ただ 火の粉が綺麗だから
[Pre-Chorus]
君には君の正しさがある 僕には僕の正しさがある
だから世界は今日もどこかで 剣を抜いてしまうけれど
せめて この灯が消えるまで せめて この夜が終わるまで
知らない君のその名前を 聞かせてほしい
[Chorus]
今夜だけ 今夜だけ 僕らは敵じゃなくていい
明日になれば また剣を取る それでも今夜は 火を囲もう
分かり合えなくてもいい 答えが違っていてもいい
太陽が沈んだ その瞬間から 奇跡みたいな夜が始まる
今夜だけ 今夜だけ 僕らは同じ空を見よう
[Drop]
Ah 火を灯せ Ah 手を叩け
敵も味方も 今は名前もなく
踊れ 踊れ 朝が来るまで
今だけは 今だけは
[Verse 2]
誰かが国を守るため 誰かが家族を守るため
誰かが信じた神のため 誰かが仲間を守るため
悪い奴なんて 決められない みんな自分を信じてる
譲れないものを抱えたまま 今日も誰かと争ってる
君が間違っているわけじゃない 僕が正しいわけでもない
ただ立っている場所が違うだけ それだけなのに 遠すぎる
[Pre-Chorus 2]
正義と正義がぶつかれば どちらも正しい顔をする
だから世界は簡単には ひとつになんてなれないけれど
だったら せめて今夜だけ だったら 答えは置いておこう
君が見てきたその景色を 僕に聞かせて
[Chorus 2]
今夜だけ 今夜だけ 僕らは分かり合わなくていい
明日になれば また敵になる それでも今夜は 笑っていよう
許せなくてもいい 忘れられなくてもいい
太陽が沈んだ その瞬間から すべてを少しだけ休ませよう
今夜だけ 今夜だけ 僕らは同じ火を囲もう
[Bridge]
夜が明ければ また僕らは敵になる
君の正義も 僕の正義も
明日にはきっと 剣になる
だから永遠なんていらない 約束なんて なくてもいい
この夜だけ この灯だけ
消えなければ それでいい
[Final Chorus]
今夜だけ 今夜だけ 僕らは敵じゃなくていい
明日になれば また剣を取る それでも今夜は 火を囲もう
分かり合えなくてもいい 同じ答えじゃなくてもいい
太陽が沈む だから始まる 終わりのような 祝祭の夜
今夜だけ 今夜だけ 君の話を 聞かせてほしい
今夜だけ 今夜だけ 僕の話も 聞いてほしい
明日になれば また離れてゆく それでも今夜は 笑っていよう
世界を変えられなくても 戦いを終わらせられなくても
この灯の下に集まった 僕らの夜は 本物だから
[Outro]
太陽が沈む だから 今夜が始まる
火は揺れて 笑い声が響いて
朝が来れば 僕らはまた それぞれの道へ
君は君の正義へ 僕は僕の正義へ
それでも――
今夜だけは 同じ火を囲もう
今夜だけは 僕らは敵じゃない
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あらすじ 軍事訓練開始から一週間、異世界召喚された勇者候補たちは過酷な鍛錬と睡眠不足で限界まで疲弊していた。 Sランクの候補者は優遇された隔離施設へ、C・Dランクは後方や一般兵部隊へ回され、氷室怜、藤堂葵らA・Bランク計十五名だけが、最前線で使い潰すための戦力として残された。 そこへ大神官の使者が現れ、十五人に東方魔王軍の重要拠点・死喰い谷の黒狼館を攻略せよと口頭で命じる。 平均レベル三十程度で消耗しきった彼らには明白な自殺命令であり、怜は国王の正式な意思か確認したいと訴えるが、使者は大神官の決定だとして取り合わない。 命令書もなく神殿側が独断で命令していることを疑った怜たちは、王城中枢へ潜入して国王に直接確認する。 国王は黒狼館への出撃命令を知らず、大神官が勇者候補を魔王軍に殺させ、失敗すれば国王へ責任を転嫁し、成功すれば神殿の手柄にするため画策していたことが明らかになる。 その後、黒狼館側では魔王タクトが、南王国全体や民間人を傷つけず、問題の元凶である大神官だけを排除する方針を示す。 側近フルートはこれを、魔王の平穏な定時退社とスローライフを守るための至高の命令と受け取り、大神官を黒狼館へ連行して「話し合い」を行う作戦を決定する。 フルートは東方魔王軍の暗部総司令部へ、最高精鋭一人による完全隠密作戦を命令する。 聖神殿最深部へ潜入し、国王、逃亡した勇者候補、民間人、南王国そのものには一切手を出さず、大神官だけを無傷で拉致して黒狼館地下尋問室へ連れてくる内容だった。 大神官は勇者候補が北の魔境へ逃げれば魔王に殺されると高笑いし、自らの勝利を確信していた。 しかし数時間後、厳重な警備下にある中央聖神殿の私室から、暗部の完全ステルス作戦によって誰にも気付かれず消失する。 その頃、事態の発端となった魔王タクト本人は、新居のキングサイズベッドで翌朝の温泉卵を楽しみに眠っていた。 大神官の失踪によって南王国の政局が揺らぎ始める一方、勇者候補、神殿、魔王軍はそれぞれ異なる思惑と誤解を抱えたまま、章は終わる。
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解説+感想+採点読みました。第6章、かなり面白いです。 特に今回は「勇者側の物語」と「タクト側の物語」が完全に別方向へ走っているのに、最後に一本へ収束する構成が非常に強いです。
総合評価
94点 / 100点
| 項目 | 点数 | 評価 | ||:|| | ストーリー構成 | 96 | 脱走→分岐→黒狼館→タクト新居→大神官拉致まで、展開が大きい | | コメディ | 98 | 「退職」「福利厚生」「定時退社」の異世界化が非常に強い | | 氷室 怜 | 96 | 軍師系主人公として一気に存在感が増した | | タクト | 95 | 本人だけ何も分かっていない構造が抜群 | | フルート | 97 | 「定時退社を守る魔王軍」という狂った忠誠心が面白い | | 千歳 凪 | 94 | 《ギャンブル》の設定が今後の重要伏線になる | | 世界観 | 95 | 南王国・神殿・魔王軍の三勢力が立体化 | | 引き・次章への期待 | 97 | 大神官拉致で次章へのフックがかなり強い | | テンポ | 90 | 面白い反面、説明量が多い部分は少し圧縮可能 | | 商業ライトノベル適性 | 93 | コメディ×無自覚最強×群像劇としてかなり強い |
1.この章の一番大きなポイント
この章の本質は、単なる「勇者の脱走」ではありません。
「全員が自分の立場から別々の物語を生きている」
ここが非常に面白いです。
氷室側
> 「ブラック国家を退職する」
という社会人ネタ。
実際には、国王から親書を託され、命懸けの外交任務へ向かっています。 さらに氷室は「これは敗走ではない、第二の人生を選ぶのだ」と解釈する。
:chatgptcontentreference{index="0"}
国王側
国王は、
「勇者を死なせたくない。しかし大神官派を正面から止められない」
という政治的板挟み。
そこで「脱走」という形にして勇者を逃がす。
しかも親書まで渡す。
ここで国王が単なる無能王ではなく、弱い立場ながら何とか勇者を救おうとしている人物になっています。
2.「退職する」が、この章の最大級の決め台詞
ここ、かなり好きです。
> 「俺たちは今日――退職する」
そして全員が、
> 「退職」
と復唱する。
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普通ならシリアスな「王国からの脱出宣言」なんですが、この作品では、
異世界召喚された勇者=ブラック企業の新入社員
という現代的な置き換えが成立している。
さらに、
社会保険 正社員雇用 退職届 第二の人生 転職先 ブラック企業
まで全部つながっている。
この作品独自のコメディラインがかなり明確になっています。
3.混浴風呂を「脱出装置」にする発想が秀逸
ここは完全にこの作品のノリです。
一見すると、
「勇者候補たちが毎晩バカみたいに魔法を撃ち合っている混浴風呂」
なのに、実は氷室が、
毎日の魔法戦闘を利用して外壁を少しずつ破壊していた。
つまり、
> 覗き合戦 > ↓ > 魔法の撃ち合い > ↓ > 外壁へのダメージ蓄積 > ↓ > 脱出用トンネル完成
という伏線回収。
:chatgptcontentreference{index="2"}
これはかなり良いです。
「今までのバカ騒ぎが全部意味を持っていた」というタイプのギャグ伏線になっています。
4.脱出シーンは映像化すると強い
15人が最大火力を一箇所へ集中。
外壁爆破。
土煙。
神殿騎士が気づく。
そして、
> 「走れぇぇぇぇぇっ!!」
で全員脱走。
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これはアニメ化した場合、かなり映える場面です。
特に、
「これで、このブラック企業ともおさらばだぁぁぁっ!」
から大爆発につながるのが、この作品らしい。
5.そして氷室の「七人だけ北へ」が良い
ここはコメディだけではなく、ちゃんと主人公としての格が出ています。
15人全員を無理やり北へ連れていかない。
南へ行く者は南へ。
北へ行く者は北へ。
そして最終的に、
15人 → 7人
になる。
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これは重要です。
氷室が「俺についてこい!」だけの主人公ではなく、
「お前たち自身で進路を選べ」
と言っている。
だからこそ、7人が自発的についてくることに説得力があります。
6.氷室がタクトを再評価するところも重要
ここが第6章の裏テーマだと思います。
以前の氷室:
「Eランクの採掘士=ハズレ」
現在の氷室:
「あいつが最初から正解を選んでいた」
という認識変更。
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つまり第6章は、
「勇者候補たちがタクトを追いかけ始める章」
でもあります。
タクト本人は逃げているだけなのに、
氷室たちから見ると、
> 「生存戦略の師」
になってしまっている。
この認識のズレがめちゃくちゃ面白いです。
7.タクトの新居パートは、コメディとして非常に強い
ここはかなり好きです。
タクト本人は、
「危険手当が増えたから、ちょっと良い宿舎になった」
と思っている。
ところが実際は、
フルートとチェロが徹夜で作った魔王の新居。
しかも、
五十畳 王宮級家具 天蓋付きキングサイズベッド 超高級露天風呂 空間拡張 黒狼館への直通扉
という、とんでもない仕様。
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そしてタクトの結論が、
「南王国の福利厚生、すごいな」
なのが最高です。
読者は真実を知っている。
タクトだけ知らない。
この構造が非常に強い。
8.凪の《ギャンブル》は、実はかなり重要な能力
ここは単なるヒロイン能力紹介ではなく、今後の物語を大きく動かせる設定になっています。
《ギャンブル》が、
「確率を上げる」
だけではなく、
条件次第では、
「本来不可能な結果まで可能にする」
領域へ到達している。
しかも、
> タクト本人が本当に願ったこと
が発動条件。
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この条件が良いです。
無条件の万能能力にすると何でも解決できてしまいますが、
「タクト自身の願い」
が鍵になっている。
だから今後、
「タクトが何気なく口にした願いが、凪によって現実になる」
という非常に強い展開を作れます。
9.凪の「タクトの隣の102号室」も強い
これは笑いました。
タクト:
> 「……何それ、怖すぎるんだけど」
凪:
> 「ふふっ」
この二人の温度差がいい。
タクトにとっては、
「なんでこいつが隣にいるんだ」
なのに、凪にとっては、
「タクトくんの隣の部屋になれた♡」
という幸福。
ここも完全に認識ズレ型コメディです。
10.そして最大のオチ
第6章最大の構造的ギャグはここです。
氷室たちは、
命懸けで北へ向かう。
↓
黒狼館へ到着。
↓
「恐ろしい魔王軍との外交交渉だ!」
↓
実際にはフルートたちは、
「タクト様と同郷だから客人として歓迎します」
となる。
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そして勇者たちの想像する「恐怖の魔王軍」が、
実際には、
元盗賊をメイド・執事として働かせている謎の館
になっている。
この温度差がすごくいいです。
11.フルートの「定時退社」が最強のギャグになっている
個人的にはここが今回のベストギャグの一つ。
フルートの思考では、
> 南王国が不安定になる > ↓ > 軍隊が動く > ↓ > 北方鉱山が騒がしくなる > ↓ > タクトの生活が乱れる > ↓ > 定時退社に支障が出る
となる。
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国家存亡より、
タクトの定時退社のほうが重要。
これが東方魔王軍の価値観として完全に定着しています。
12.大神官拉致で章を終えるのも非常に良い
そして最後。
タクトは、
> 「大神官だけ捕まえて、平和的に話し合えばいいんじゃない?」
と軽く言う。
ところがフルートは、
「至高の天啓を受けた!」
となる。
そして、
作戦名 『大神官との話しあい』
実態 東方魔王軍最高暗部による大神官の完全ステルス拉致
(笑)
しかもタクト本人は、
「定時退社と平和って最高だな……」
と寝る。
:chatgptcontentreference{index="10"}
この締めはかなり強いです。
13.この章で一番評価したい構造
実は第6章、
氷室 「タクトこそ生存戦略の天才だった!」
凪 「タクトくんの願いなら世界の因果を書き換える」
フルート 「タクト様の定時退社を守らねば」
大神官 「勇者は北で魔王に殺される!」
国王 「勇者を逃がして魔王と和平したい」
タクト 「明日の朝ごはん何かな」
という、
6人(陣営)が全員違う世界を見ている。
なのにストーリー上は全部つながっている。
これがこの作品のかなり大きな武器になっています。
14.気になった点
94点にした理由は主にここです。
① 説明がやや多い
特に、
凪の《ギャンブル》詳細 南王国の政治構造 氷室の戦術説明 魔王軍側の作戦説明
あたりは面白いのですが、同じ情報を少し重ねて説明している箇所があります。
特に凪の能力説明は設定として面白いので、むしろ削るより、
「本編で少しずつ明かす」
方式にするとさらに強くなると思います。
② 「ブラック企業」系ワードは強いので使いすぎには注意
今回は、
ブラック国家 社畜 退職 転職 福利厚生 労務コンプライアンス インセンティブ 定時退社
などが大量に入っています。
今回は章タイトルそのものが、
『ブラック勇者の退職(脱走)と、新居への引っ越し』
なので成立しています。
ただ、今後も毎章同じ密度で使うとギャグの新鮮味が薄れる可能性があります。
第6章の「退職」はかなり大きなギャグイベントとして使い切る
くらいがちょうどいいと思います。
15.商業ライトノベル的に見ると
かなり特徴があります。
一般的な異世界ファンタジーなら、
> 勇者召喚 > ↓ > 訓練 > ↓ > 魔王討伐
になりやすいところを、
この作品は、
> 勇者召喚 > ↓ > ブラック企業化 > ↓ > 勇者が退職 > ↓ > 魔王軍へ転職活動 > ↓ > 魔王本人は温泉でサボっている
という方向へ持っていく。
作品独自の「ズラし」が明確です。
特に今回、
「勇者側から見ると、魔王軍へ向かう=地獄」
なのに、
読者から見ると、タクトのいる場所=天国
という二重構造になっています。
ここはかなり強いです。
最終評価
⭐ 第6章「ブラック勇者の退職(脱走)と、新居への引っ越し」
94 / 100点
そして、項目別に言うなら、
ストーリー:96 キャラクター:95 ギャグ:98 伏線・構成:96 世界観:95 読みやすさ:89 次章への引力:97
です。
個人的に第6章で一番好きなのは、
> 勇者7人が「死地へ向かうぞ!」と決意している一方、 > その目的地ではタクトが「最高の新居だなぁ」と温泉に入っている
という構図。
そして最後には、
タクトの何気ない「話し合えば?」 → フルート「最高機密作戦を発動します」 → 大神官、完全ステルス拉致
まで行く。
この「本人の意図は平和、周囲が勝手に物騒になる」構造が、この作品の最大の面白さの一つになっています。
そして第6章は、単なるギャグ回ではなく、氷室たちがタクトのもとへ向かい始めた転換点としてもかなり重要です。:chatgptcontentreference{index="11"}
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◀第05章『ブラック勇者と、炭火焼きのワイバーン』
▶第07章『オリハルコンと、解なしの温泉』
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