**天皇賞(春)編** **第1章;淀の静寂と「死に戻り」のシミュレーション**
「VOICEVOX: 四国めたん」「VOICEVOX: 春日部つむぎ」「VOICEVOX: もち子さん」「VOICEVOX: 満別花丸」
五月の足音が近づくにつれ、窓から吹き込む風は心地よい暖かさを帯びていた。しかし、神宮寺研究室の中だけは、冷徹なデータが飛び交う極寒のシミュレーションルームと化していた。
若葉: 「教授! 今週の天皇賞(春)、これ完全にスバル君の戦いそのものですよ!」
神宮寺教授は、分厚いデータファイルの束からゆっくりと顔を上げ、細いフレームの眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
教授: 「ほう。3200メートルの長距離G1と、異世界転生アニメに何の関係があるのかね、若葉くん」
若葉: 「大ありです! 天皇賞(春)って、3200メートルの芝コースを息も絶え絶えになりながら走って、勝敗が決まるのは最後の直線だけじゃないですか。道中はとにかくポジション取りとスタミナ温存の駆け引きで、少しでもルートを間違えたら即アウト。これ、リゼロの『死に戻り』で何度も同じ局面をやり直して、最終巻で大逆転する構成とピッタリ重なるんです!」
若葉は身振りを交えながら熱弁を振るう。
若葉: 「序盤は通せんぼや罠だらけで、7コーナー、8コーナーあたりでようやく脚質ごとの運命が決まる。最初の失敗から『何回目でこのパターンを選べばいいか』って探り当てるの、まるで競馬の作戦会議みたいじゃないですか!」
部屋の隅でホワイトボードに16頭の出走登録馬を書き出していた佐倉が、苦笑しながら口を挟んだ。
佐倉: 「若葉さん、今は令和ですよ。でも確かに、現代競馬において3200メートルという距離は、もはや物理限界を超えた異質な領域です。馬の精神力が問われるという意味では、絶望的なループを繰り返すアニメの主人公と似た過酷さがあるかもしれませんね」
教授: 「ふむ……死に戻り、か」
教授は面白そうに顎を撫でた。
教授: 「悪くない比喩だ。我々がこれから行う『消去法』も、ある種の死に戻りのシミュレーションと言えなくもない。このペースではこの血統は息絶える、この位置取りではあの馬のスタミナは尽きる……。頭の中で何万回ものレースを繰り返し、生存ルートを掴む一頭を炙り出す作業だ」
教授が手元のキーボードを叩くと、巨大なモニターに16頭の馬名と、それぞれのレーティング、近走成績、血統データがずらりと並んだ。
教授: 「だが若葉くん。スバルが何度も命を落として正解を探したように、淀の迷宮たる3200メートルには、そもそも『生存フラグが一切立っていないモブキャラ』が多数紛れ込んでいる。まずは彼らに退場してもらい、物語のメインキャストだけに絞る必要がある」
若葉: 「生存フラグゼロ……響きがもう絶望的ですね」
教授: 「佐倉くん、まずは『論理以前の者たち』から消去していこう」
馬名 消去理由(ロジック) 確信度 ケイアイサンデラ 前走が障害未勝利戦11着。平地最高峰のG1へ挑むにはジャンルが違いすぎる。 ★★★★★ プレシャスデイ 直近4走中3走がダート。砂の迷宮に帰るべき存在であり、格が全く届かない。 ★★★★★ エヒト / ミステリーウェイ 9歳・8歳の高齢馬。過去10年で複勝率すら0%という「年齢の呪い(カース)」の範疇。 ★★★★★ 牝馬・下位レーティング勢 アクアヴァーナル、ヴェルミセル、ホーエリート等。G1水準の底力が不足。 ★★★☆☆
教授の指先が次々とキーを叩く。
教授: 「……さらに、近走で大敗が続くヴェルテンベルク、サンライズソレイユ、マイネルカンパーナも、この過酷な周回を生き残る体力はない。全て消去だ」
若葉: 「ひぃっ、次々とモブがなぎ倒されていく……!」
画面の半分以上がグレーに染まったのを見て、若葉が悲鳴のような声を上げた。
若葉: 「待ってください教授! シンエンペラーはどうですか? 名前からして『皇帝』ですよ! リゼロで言えば、エミリアたんの親戚の王族みたいな、超重要キャラっぽくないですか!?」
教授: 「確かにレーティングは110台を維持し、海外でも善戦している強力な刺客だ。しかし、近走の国内G1での大敗、そして何より3200メートルの長距離適性が全くの未知数だ。長距離適性という魔女の呪縛に屈し、最終決戦を前にパーティを離脱するゲストキャラ……そう結論づけざるを得ない。同じく距離適性が未知数のタガノデュードと共に、消去だ」
パチン、と教授がエンターキーを叩き、静寂が訪れた。 モニターに輝きを残しているのは、わずか4頭のみとなっていた。
教授: 「……終わったよ、若葉くん。これが、何万回もの死に戻りのシミュレーションを潜り抜け、最終ルートに到達した英傑たちだ」
■ 生存ルートに到達した4頭
クロワデュノール (レーティング122・大阪杯覇者) アドマイヤテラ (阪神大賞典レコード勝ち) ヘデントール (昨年覇者・コース適性◎) スティンガーグラス (ダイヤモンドS勝ち・好ローテ)
若葉: 「クロワデュノール……『黒い北の星』。なんだか本当に、漆黒のオーラを纏った主人公格に見えてきました……!」
教授は眼鏡の奥で不敵に目を細め、モニターの4頭を見据えた。
教授: 「さあ、第一段階のフィルタリングは終わった。だが、ここからが真の絶望の始まりだ。次の講義では、残ったこの4頭に対し、私の仮説『(コーナー負荷指数)』を用いて、淀の第一コーナーでどれほどの肉体的疲弊を負うかを計算する。彼らに『死を戻せない』現実の物理法則を突きつけてやろうじゃないか」
淀の静寂を切り裂く、真の王者を探すための苛烈なシミュレーション。神宮寺教授の秘密講義は、いよいよ核心へと足を踏み入れようとしていた。
**第2章;白鯨の霧と遠心力、が暴く第一コーナーの罠**
若葉: 「……ということで、見事に生き残った四人の勇者たちです!」
神宮寺研究室のホワイトボードには、先ほどの「死に戻りシミュレーション(消去法)」をくぐり抜けた四頭の名前だけが、誇らしげに書き残されていた。
クロワデュノール アドマイヤテラ ヘデントール スティンガーグラス
若葉は満足げに腕を組み、タブレットの画面とホワイトボードを交互に見比べた。
若葉: 「エミリアたん級の絶対的ヒロイン……じゃなくて、G1級の怪物ばかりですね。でも教授、ここからどうやって本命を絞るんですか? スバル君みたいに『死に戻り』の回数制限ギリギリまで粘るんですか?」
神宮寺教授は、ホワイトボードの横に置かれた黒板の前に立ち、チョークを手に取った。カツン、と乾いた音が研究室に響く。
教授: 「若葉くん、君は先ほど『淀の3200メートルはルートを間違えたら即アウト』と言ったな。それは半分正解で、半分間違っている。淀における真の絶望は、ルートを間違えたこと自体に気づかせないまま、じわじわと『呪い』を蓄積させていくことにある」
若葉: 「呪い、ですか?」
教授: 「そうだ。目には見えないが、確実に馬の肉体を蝕み、最終コーナーで一気に牙を剥く物理的な呪い。それを数値化したのが、私の提唱する仮説……コーナー負荷指数『CEL_phys』だ」
若葉: 「うわっ、出た! 教授の変態数式!」
教授: 「変態とは心外だな。極めて美しい、運命の計算式だよ。質量 を持ち、時々刻々と変化する速度 と、淀のコース半径 に支配された運動体。その軌道が描く向心力の総和こそが、この物理学的指数『CEL』の正体だ。馬という生き物は、第一コーナーの白鯨の霧の中で、自らの肉体を削りながらこの積分項を積み上げていく」
佐倉がモニターを見つめながら、静かに、どこか祈るような声で補足した。
佐倉: 「……僕らの歩みは、加速度を増す円運動の熱量として刻まれていく。その速度が、半径が、積み重なった時間の果てに一つの解を導き出すんですね」
教授: 「そうだ、佐倉くん。だが――」
教授はチョークの先で、数式の末尾にある『 』を強く叩いた。
教授: 「どれほど計算を尽くし、過去のデータを積分しても、システムの均衡を最後に決定づけるのは、この末尾に置かれた定数『 』だ。これは設計者である私ですら制御し得ない、初期衝動という名の定数。あるいは……最後には必ずこびりついて離れない、運命の不純物だ」
若葉: 「運命の、不純物……」
若葉がゴクリと唾を飲んだ。
若葉: 「それって……スバル君が完璧な計画を立ててループに挑んでも、毎回どうしようもない『誰かの感情』とか『イレギュラー』が混ざってルートが分岐しちゃう、あの感じですか?」
教授: 「まさにその通りだ、若葉くん。アドマイヤテラが前走でレコードを出した『過剰な闘争心』。スティンガーグラスが淀のタイトなコーナーで感じる『未知への戸惑い』。そうした心の揺らぎや見えない疲労が、この『 』に集約され、最終コーナーで一気に牙を剥く」
教授は薄く笑い、ホワイトボードの四頭のうち、一頭の名前に丸をつけた。
教授: 『アドマイヤテラ』
教授: 「では、この『消滅の霧』の概念を用いて、阪神大賞典をレコード勝ちしたアドマイヤテラを検証してみよう。佐倉くん、彼がレコードを出した時のデータを」
佐倉: 「はい。前走の阪神大賞典、アドマイヤテラはレーティング115を記録し、従来のタイムを大幅に更新する驚異的なレコードで勝利しました。後半の持続ラップは見事の一言です」
教授: 「だが、それが罠だ」
教授の冷徹な声が響く。
教授: 「レコードで走破したということは、道中全体の平均速度 が極めて高かったことを意味する。当然、コーナーリング時にも通常以上の速度で突入し、高い負荷に耐え続けていたはずだ。アドマイヤテラの肉体は、前走ですでに私の設定する『臨界負荷(Critical Load)』の閾値ギリギリまで酷使されている可能性が高い」
若葉: 「えっ……でも、勝ったんだからスタミナは無限大なんじゃ?」
教授: 「機械ならな。だが馬は生き物だ。レコード決着という名の『死闘』を演じた直後のレースで、再び淀の第一コーナーという負荷をかけられた時、目に見えないダメージが牙を剥く。スバルが死に戻りのストレスを抱え込みすぎて、ふとした瞬間に精神が崩壊しかけたのと同じだ。アドマイヤテラは、非常に危険な人気馬と言わざるを得ない」
若葉: 「うわぁ……あの強かった前走が、逆にマイナスフラグになるなんて……」
教授: 「では、もう一頭見てみよう。長距離の深淵から這い上がってきた伏兵、スティンガーグラスだ」
教授は二つ目の名前にチョークを向けた。
教授: 「佐倉くん、彼が勝ったダイヤモンドステークスの舞台、東京競馬場3400メートルのコース形態はどうなっている?」
佐倉: 「東京競馬場は、コーナーの半径 が非常に大きく、ゆったりとしたカーブを描いているのが特徴です。一方、京都競馬場はそれに比べるとコーナーがタイトです」
教授: 「まさにそこだ」
教授は黒板の数式の分母、半径を表す『』をトントンと叩いた。
教授: 「数式を見れば一目瞭然だろう。コーナー半径 が大きい東京では、分母が大きくなるため、結果として負荷 は小さくなる。スティンガーグラスは東京の緩やかなカーブでスタミナを温存できたからこそ、あのパフォーマンスを発揮できた。しかし、京都のタイトなコーナーでは分母の が小さくなり、負荷は跳ね上がる。東京での実績をそのまま淀に当てはめるのは、あまりにも早計だ」
佐倉: 「なるほど……! 長距離の実績があるからといって、コース形態による物理的な負荷の違いを無視してはいけない、ということですね」
若葉: 「コース設定の罠……! まるで、同じ魔女教徒でも『怠惰』のペテルギウスと『強欲』のレグルスで、全く攻略法が違うみたいな話ですね!」
教授は黒板消しを手に取り、軽くチョークの粉を払った。
教授: 「前走のダメージという時限爆弾を抱えるアドマイヤテラ。そして、物理的差異という壁に直面するスティンガーグラス。この二頭は、 の観点から極めて厳しい戦いを強いられるだろう」
ホワイトボードに残されたのは、いよいよ二頭のみとなった。
クロワデュノール
ヘデントール
教授: 「残るは、絶対的強者のクロワデュノールと、昨年の覇者にしてループの経験者であるヘデントール……。次回は、この二頭の血統と臨界負荷の限界値について、さらに深くメスを入れていくぞ」
**第3章;王選の血脈、黒い北の星とループの覇者**
若葉: 「……結局、最後は『王様』を決める戦いになるんですね、教授」
若葉が、リゼロの最新ポスターを指差しながら言った。
教授: 「王選、か。確かに言い得て妙だ。天皇賞(春)という舞台は、単なる速さを競う場ではない。3200メートルという絶望の果てに、誰が真に『盾』を戴く資格があるのかを問う、もっとも厳格な王選の場だ」
佐倉がタブレットを操作し、一頭の血統図をモニターに大きく映し出した。
佐倉: 「まずは、クロワデュノール。父キタサンブラック。2000メートルの大阪杯を完勝し、中距離の王者としてここへ乗り込んできましたが……世間では『距離の壁』を危惧する声が絶えません」
教授: 「壁、か。だが私にはそうは見えない。血統とは、先祖たちが数えきれないほどの敗北と死を繰り返し、その果てに掴み取った成功の記録を積分した、壮大な『死に戻り』の記憶なんだ」
若葉: 「死に戻りの、記憶……」
教授: 「そうだ。クロワデュノールの父、キタサンブラック自身が、かつてこのローテーションで春の盾を連覇した。その時、彼が淀の坂で見せたのは、中距離馬のスピードを極限まで持続させるという、従来の概念を破壊するような『初期衝動』だった。クロワデュノールの血管を流れるのは、単なる情報の羅列ではない。淀を制圧するための、最適化された『解』そのものなのだよ」
若葉: 「それって……リゼロで言えば、ラインハルトみたいな感じですか!? 生まれた時から『最強』の加護をいくつも持っていて、その存在自体が世界のルールを塗り替えちゃうような……」
教授: 「ラインハルトか。確かに、クロワデュノールが持つレーティング122という数値は、他の馬からすれば『物理法則の無視』に近い絶望だろうな。だが若葉くん。最強の騎士にすら、予測不能な『 』は訪れる」
教授は再び眼鏡をかけ、視線をもう一頭の方へ向けた。昨年の覇者、ヘデントール。
教授: 「もう一人の候補者だ。ヘデントールは、昨年のこの舞台ですでに『正解』に辿り着いている。いわば、3200メートルのループを一度完走し、春の盾という報酬を手にした経験者だ」
若葉: 「スバル君だ……」
若葉が小さく声を漏らした。
若葉: 「何度も傷ついて、絶望的な状況を乗り越えて、ようやくハッピーエンドを掴み取ったスバル君。ヘデントールも、骨折っていう大きな絶望(デス)を乗り越えて戻ってきたんですよね」
佐倉: 「その通りだ。だが、死に戻りには必ず代償が伴う」
佐倉が重苦しい表情でデータを補足する。
佐倉: 「ヘデントールは骨折明けの前走、京都記念で8着と大敗しました。昨年の覇者としての輝きは、まだ戻っていません。ファンの多くは、彼が『以前の彼』のままでいるのかどうかを疑っています」
教授: 「質量 は変わらずとも、経験という名の積分項が、時に重荷(ダメージ)として肉体に沈殿することがある」
教授は黒板の前に戻り、積分記号の横に小さく『 』と書き加えた。
教授: 「ヘデントールにとっての『 』は、昨年の勝利という成功体験がもたらす『プライド』か、それとも怪我への『恐怖』か。もし彼が、淀の第3コーナーで昨年の自分を追い越すことができなければ、その歩みは熱量を失い、冷たい統計の中に消えていくだろう」
佐倉: 「スピードの権化として降臨した『騎士』クロワデュノールか。それとも、死の淵から這い上がり、再び頂点を狙う『経験者』ヘデントールか……」
若葉: 「教授、結局……運命はどちらに微笑むんでしょうか?」
教授は答えなかった。代わりに、彼はモニターの電源を落とし、窓の外、西の空へと視線を投げた。
教授: 「若葉くん。明日の最終講義では、いよいよ結論を出そう。この二頭の激突によって生じる『運命の不純物』が、どちらを浄化し、どちらを飲み込むのか……。私たちの計算が、最後の『一秒』に追いつけるかどうか、試してみるとしよう」
若葉: 「最終講義……。いよいよ本命が決まるんですね」
若葉は、手に持ったリゼロの文庫本をぎゅっと抱きしめた。
**第4章;淀の第三コーナー、見えざる手と臨界負荷**
教授: 「これより、最終シミュレーションを開始する」
若葉はタブレットを握りしめ、ごくりと息を呑む。佐倉もまた、緊張した面持ちで手元のコンソールに向かっていた。
教授: 「舞台は淀、3200メートル。生き残った『騎士』クロワデュノールと、『経験者』ヘデントール。この二頭の軌道を、(コーナー負荷指数)の積分項に代入していく。佐倉くん、ゲートを開けたまえ」
佐倉: 「はい。シミュレーション、スタート」
佐倉がエンターキーを叩いた瞬間、モニター上の無数の光点が動き出した。
佐倉: 「向正面からのスタート。最初の第3コーナーから第4コーナーへ。各馬、ポジション取りのために初速 を上げます」
教授: 「ここが最初の『白鯨の霧』だ。クロワデュノールは中距離で培った圧倒的なスピードがある。彼にとって、序盤のポジション取りは造作もないことだ。しかし、その余りあるスピードゆえに、無意識のうちに想定以上の遠心力を受けてしまう。霧は痛みを与えず、ただ静かに彼の筋肉から酸素を奪っていくんだ」
若葉: 「でも、クロワデュノールのステータスなら、その程度のデバフは弾き返せるんじゃ……?」
教授: 「ああ、弾き返せるだろう。……第一周目ならばね」
佐倉: 「1コーナーから2コーナー。ペースは平均よりやや遅め。ヘデントールは後方待機、クロワデュノールは好位をキープしています。両者とも、 の数値は臨界負荷(クリティカル・ロード)の下で安定しています」
若葉: 「嵐の前の静けさですね……。リゼロで言えば、村人たちと和やかに会話してる日常パートみたいな。でも、絶対にこの後とんでもない絶望が来るんでしょ……?」
教授: 「来るぞ。淀の第三コーナー……通称『淀の坂』だ。高低差3.2メートル。ここを登り、そして下る。この過程で、馬の肉体にかかる負荷はこれまでの比ではない。若葉くん、君の好きなアニメの言葉を借りるなら、ここはまさに『見えざる手』が襲い掛かる場所だ」
若葉: 「ペテルギウスの……!」
教授: 「そうだ。坂の頂上に向かって速度 が落ちようとするのを、騎手は必死になだめる。そして下り坂で一気に加速の波が押し寄せる。この激しい加減速の波状攻撃が、馬の精神と肉体を不可視の力でねじ切ろうとするんだ」
佐倉: 「クロワデュノールの が急上昇! 臨界負荷に到達しそうです!」
教授: 「血が騒いでいるんだ。父キタサンブラックから受け継いだ闘争心、あるいは大阪杯を圧勝した王者のプライド。それが、この過酷な下り坂で彼に『行け』と命じている。だが、それは罠だ。ここで初期衝動(+α)を制御できなければ、最後の直線で脚が完全に止まる」
若葉: 「死に戻り(ループ)の経験が足りないってことですか……! クロワデュノール、耐えて……!」
佐倉: 「一方、ヘデントールはどうだ……驚異的です! 淀の坂を前にしても、 のグラフがほとんど波打っていません。極めてスムーズに、最小限のエネルギー消費で坂を下っています!」
教授: 「当然だ。彼は知っているのだからな。昨年の覇者である彼は、この『見えざる手』の躱し方を身体で記憶している。どこで息を入れ、どこで重力に身を任せるべきか。骨折という絶望を乗り越え、彼は再びこのルートに帰還した。その経験値の積分こそが、彼を守る最大の加護なのだ」
教授: 「今日の講義はここまでだ」
若葉: 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ教授!! そこは『さあ、運命の結末だ!』ってポチッとするところじゃないですか!? アニメの最終回直前のAパートでCM行くみたいな焦らし方、やめてください!」
教授: 「慌てるな、若葉くん。システムの均衡を最後に決定づけるのは、あの計算式の末尾に置かれた定数『+α』だと言っただろう? どれほど精緻なシミュレーションを行っても、最後の数秒間、馬と騎手が何を思い、どれほどの熱量を爆発させるかは、神のみぞ知る領域だ。私の論理(ロジック)が導き出した『答え』はすでに出ている。だが、それを語るのは……全てが終わった後、答え合わせの最終講義で十分だろう」
**最終章;積分定数『』の輝き、そして春の王の帰還**
若葉: 「……っっ、スバルくーーん!! じゃなかった、クロワデュノールゥゥゥ!!」
佐倉: 「若葉さん、声が大きいです。講義棟の端まで響いてますよ」
若葉: 「見ましたか教授! 昨日のレース! 最後の直線、完全にアニメの最終回でしたよ!」
佐倉: 「金曜日に教授が言っていた通りになりました。道中、クロワデュノールは血のたぎりを抑えきれず、淀の第三コーナー――『見えざる手』の坂で、明らかな掛かりを見せました。教授の計算通り、あの時点で彼の肉体にかかる負荷 は限界を突破し、レッドゾーンに突入していたはずです」
若葉: 「そう! 最後の直線に入った時、クロワデュノールの脚色が一瞬鈍ったんですよね。内側から、スタミナを完璧に温存したヘデントールがスッと抜け出した。まるで、死に戻りのループで『完璧な最適解』を引いたスバル君みたいに、無駄のない完璧な軌道でした」
若葉: 「ここです! ここで私、泣いちゃいました! 限界を超えてるはずなのに、さらに加速するなんて……。まるで、絶体絶命のピンチで新しい『権能』に目覚めた主人公じゃないですか!」
教授: 「見事なものだ」
教授はゆっくりと立ち上がり、黒板の前に歩み寄った。そして、チョークを手に取ると、数式の末尾にある『 』の文字を大きく丸で囲んだ。
教授: 「佐倉くん。私のシミュレーションにおいて、クロワデュノールの肉体は淀の坂を下った時点で『物理的な死』を迎えていた。ヘデントールの勝利は、計算上は99パーセント揺るがないものだったはずだ。だが……」
佐倉: 「残りの1パーセント。定数『 』ですね」
教授: 「そうだ。質量と速度、そしてコース半径。それらすべてを積分し尽くしても、決して数式には収まらない『運命の不純物』。……クロワデュノールの血管を流れる、父キタサンブラックの血。あるいは、絶対に先頭を譲らないという、設計者すら制御し得ない初期衝動。競馬というシステムが、単なる物理法則の証明ツールに成り下がらない理由がここにある。我々は自らの意志でその鎖を断ち切るのだよ」
若葉: 「でも、教授のシミュレーション、最後は外れちゃいましたね。やっぱり競馬はデータじゃ割り切れないってことですか?」
教授は「ふっ」と鼻で笑い、白衣のポケットから一枚の紙切れを取り出した。
教授: 「誰が外したと言ったね」
教授: 「論理の果てにたどり着いた『最適解』ヘデントールと、計算を破壊する『 』のクロワデュノール。この二頭の激突は火を見るより明らかだった。ならば、その両方の可能性(ルート)を担保しておくのが、真のシミュレーターというものだろう?」
若葉: 「うわー、大人ってずるい! スバル君みたいな純粋さが足りないですよ!」
教授: 「ふん。純粋さで馬券が当たるなら、誰も苦労はしないさ」
教授: 「さあ、余韻に浸っている暇はないぞ。次の舞台は、すべてのホースマンの夢が帰結する場所……府中の2400メートルだ。若葉くん、佐倉くん。新たなデータ(絶望)を構築する準備はいいかね?」
『神宮寺教授の秘密講義』――次なるシミュレーションの幕が開く。
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